おじいさん→女子高生(作:鈴木りん)
「ど、どうすりゃいいんじゃあぁぁ!」
ぴちぴち女子高生の格好には、凡そ相応しくないその言葉を、何とも可愛らしい声で吐き出した儂は、急いでその場から逃げようとした。
でもそんな中、今の状況をもう少し理解しようと、立ち止まって考えてみる。
突然、道端で儂と女子高生と小学生男子の三人がぶつかり、こともあろうに儂が女子高生の姿に入れ替わってしまったのだ。
しかも、少年は儂に、女子高生は少年にと、事は複雑に入り組んでいる。
――これは、夢か現か
と、そのとき思い出したのは、遺言書用紙。さっき買ったばかりの便箋だった。
あれがなくては、困るのだ。なぜなら、儂は今から――
ふと、儂の掌にその便箋の感触が無いことに気付く。
――遺言書の紙は、どこだ?
先程の衝撃にも、目の前のじじい――いや、麗しきご老体の儂は、便箋を手放さずに耐えたのだ。見間違う訳もない、もう一人の儂が、その油気の無い白髪を振り乱しながら、便箋を右手でむんずと握りしめているのが、確認できた。
「ええい、それを儂に返せ!」
今や儂の一部となった、その白く華奢な腕を突き出して、じいさんからその便箋の束をひったくった。
「憶えてろよ、そこの儂! その体、必ず取り戻してやるからな! へへんだ、ばっきゃーろー。お前の母ちゃん、でぇーべぇーそぉ!」
気持まで若返ったのか、つい、そんな悪口を自分に向かって云い放ち、駆けだした、儂。
おお、走れる走れる! 体が軽い。こんな感覚は、久しぶりだ。
けど、いちいち胸がぷるんぷるんと揺れるのが、気になって仕方がない……確かに昔は、そんな感じで走る女の子の姿を見るのが大好きだったが。いざ自分がそうなってみると、不思議な気分だ。……まあ、それはいいか。
闇雲に駆けだし、辿り着いたその先――それは、小さな公園だった。少しだけ遊具のある、素朴な公園。砂場もなく、誰もいないようだ。
とりあえず、うら寂れた感じのブランコに、腰を降ろした。
――最近は、こういう場所で子どもが遊んでいるのを見るのが少なくなったな
そんなことを想いながら、キーコキーコ、音を立ててブランコを漕いでいた儂は、いつしか、うとうとと眠りこけてしまった。
☆彡
気がつけば、辺りは夜。少し、肌寒い。
薄暗い公園の灯だけが、儂の女子高生姿を照らし出す、そんなどんより曇の夜だった。
――どこに行けばいいかもわからんし、とりあえずここにじっとしてるか
そんなことを思った、そのときだった。
儂の目の前に、突然、まばゆいばかりの光の塊が、現れた。
「うわ、眩しい!」
数秒後に、恐る恐る、瞼を開いてみる。
するとそこには、海に流れ着いた流木のような棒を持った、白髪姿の老人が立っていた。いや正確には、地上から少し浮いていた。
湯浴みをする修行僧のような、白い和服を着た、変なじいさん。
「うわっ! なんだ、このじじいは!」
「何じゃ、その云い方は! オヌシこそ、ただの白髪じじいだろーが!」
「うるさいぞ、じじい! 今の儂はな、こんな、ぴちぴちぷりぷりの女子高生なんじゃ! ほれ、パンツでも見せてやろうか? ほれほれッ」
「うわッ、やめるんじゃ! これでもワシは神様じゃぞ。そんなもの、興味ない……こともないが……いいから、やめるんじゃ!」
と、お尻をリズミカルに振っていた儂が、ここで気付く。
「ん? お前、神様なのか? 儂が元々じじいだってことも知ってるし、本当なのかもな……じゃあ、直ぐにこの姿、元に戻せるじゃろ!」
「そうじゃ。ワシは神様じゃ。オヌシとは違って、『ただの』白髪じじいではないんじゃ。ふふん。神様だから、姿を戻すなんてことくらいは御茶の子サイサイなんじゃが……」
と、ここで神様じじいが、仙人の持つようなうねうね棒を儂にウリウリと押し付けながら、気持ち悪い上目遣いをした。
「どうしよっかなぁ……そのまま戻しても面白くないしなぁ……そうじゃ、こうしようか。何かひとつでいいから、世の為、人の為になるようなことをしたら、戻してやろう」
「な、なんじゃとぉ? 儂が入れ替わった三人の命運を握ってるってことか? 仕方ない、じゃあ……って、おい! その変な棒でウリウリと儂に触るな! 儂を脅す気か? それならそれで、儂にも考えが――」
と、そのときあたりに響いたのは、携帯の着信音だった。
どうやら、体の入れ替わった女の子の胸ポケットから、聴こえてきている。
「ああ、もしもし? 儂じゃ」
『ええ? 「わし」って誰? ああ……いつものギャグね。もぉ、お茶目なんだから……。じゃあ、明日の放課後、いつもの門の前で。待ってるからね!』
そう云って、一方的に電話を切った、若い男。
どうやら、この女子高生の彼氏らしい。
「おお、おお! これは、彼女がピンチじゃの。デートに行かなかったら、フラれてしまうかも、じゃ。彼女の代わりにきっちりとデートを終わらせるのも、ある意味、人助けと云えるかも知れぬ」
ふふん、と鼻息を荒くし、愉快気にニタニタ笑いを浮かべた、スケベじじい。
「な、なんじゃと! 儂に若い男とべったりしろというのか? いやじゃ! 儂は女が好きなんじゃ!」
「誰も、くっつけとは云っておらんじゃろーが。ふーん……。じゃあ、いいのかなぁ……。みんなの体が、そのままで」
――ぐぬぬぬぬぅ
儂は、彼女の細い顎を使ってギリギリと歯ぎしりさせ、イケ好かない目前のじじいを、睨みつけてやった。
☆彡☆彡
次の日の、午後。放課後の時間。
女子高生の学校の門の前で立っていると、もやしのようにひょろり背の高い学生服男子が、にこやかとに手を振って、儂の方に向かって来るのが見えた。
――しっかし、なんじゃその、へらへら笑顔は! 男ならシャキッとせんか!
そんな、今ではすっかり古臭く、時代に取り残された感のあるセリフを吐きたくなるのを喉元で必死に堪えた儂は、脇をきゅっと閉め、小さく手を振った。
背筋に覚えた、若干の寒気。
「いやあ、待った? 遅れてごめんね。でも、あれ? 今日は休みだったって噂で聞いたような気がするな。でも良かった。やっぱり、来てたんだね!」
「ああ? もちの、ろんじゃ。学校に来ていたに決まってるじゃろ」
「も、もちの、ろん? ……じゃろ?」
ふと青年の両眼が、恐怖に曇る。
「あ……。ご、ごめーん。なんか最近、私の周りにじじいばっかり寄って来るんでぇ、つい変な言葉になっちゃってぇ……」
「そ、そうなんだ。でも、じじいばかり寄って来るって、それまたどういう――」
「と、とにかくデートよ!」
儂は、儂に秘められたあらん限りの女子力を使って会話を何とかこなすと、前に歩みを進めようとした。とそのとき、儂の左手に少し汗ばんだ、むにゅっと柔らかい感触が走った。
「いつものとおり、まずは再会のキスを……」
もやし男が、儂の、いや、借物の女子高生の体を引き寄せようとする。
「やめるんじゃ、ぼけぇ! 儂から離れろぉ!」
――やってもうた。
儂は、神様との約束を破り、もやし高校生の頬の辺りを、女子高生の「か細い」腕で力任せに殴ってしまったのだ。何の防御姿勢もとらなかった彼は、鼻から赤い鮮血を噴水のように噴き上げ、スローモーションの動きで向こう側に吹っ飛んで行った。
「す、すまん! 儂には無理じゃった!」
あの、神様のじじいが、その辺で浮かびながら、せせら笑ってるような気がした。
でも仕方がない。耐えられなかったのだから。
道の上で伸びたまま横たわる彼を置き去りにして、儂はよくわからない道をよくわからない方向に、駆けだした。
軽いステップとともに細い道を進むと、何故かそこは、四方を塀に囲まれた行き止まりだった。
庭先から塀をのり越えて伸びた大きな木の枝が道路にせり出しており、そこに、ばあさんが一人、ぶら下がっているのが見えた。
――ん? ぶら下がってる?
太い枝から伸びるようにして彼女の首に巻きついたタオル生地と、足元に置かれた木製の縦長椅子。
「くおら、なにしとんじゃあ!」
儂は、軽い女子高生の体で素早く動くと、ばあさんの足を支える椅子に上がって無理矢理首からタオルを剥ぎ取って、彼女を椅子から引き摺り降ろした。
げほっげほっ
儂――いや、うら若き女子高生の腕の中で、栗毛色のパーマ髪のばあさんが、苦しそうに胸を動かし、荒い呼吸をした。
「なにやっとんじゃ! 死んじまうじゃろうがぁ!」
「い、生きていても……仕方ないんです。主人に去年死なれて、子どももいないし……」
「にしても、それが死ぬ理由にはならん!」
――ん? そう云えば儂は昨日、何をしようとしてたんだっけ……
と、そのとき気付いた、ばあさんの端麗な容姿。まさに、儂の好みのタイプ。
目尻や額に程よく入った皺、それと頬に可愛らしく散らばったシミが、儂の心を激しく揺さぶった。
「な、なんだ。こ、これからは、わ、儂と一緒じゃ」
「は? お嬢さんと一緒ですって? それに、先ほどからお嬢さん、妙に年寄り臭い言葉をお使いね……」
「信じられないかもしれんが、儂は、本当はじいさんなんじゃ」
「じ、じいさん? こんなに可愛らしいのに?? だとしたら、すごいコスプレ……」
「コスプレじゃないわい! ほれ、これが証拠じゃ!」
儂は、背中のリュックに入れておいた、遺言用の便箋を取り出した。
「実は儂もな、ばあさんに先立たれて辛かったんじゃ。子どもや孫たちは、全然寄り付かんし、もう生きてくのが嫌になってた。それで遺言書を書いて、あの世に行こうと思ってた……丁度、今のアンタみたいにな。でも、アンタを助けてみて、わかった。死んじゃいかん。儂らにも、まだまだ生きて楽しめることがあるはずなんじゃ」
「すごく良いこと云ってるのはわかりますけど、でもそれが、あなたがおじいさんだという証拠……ではないわね」
「ええい、うるさいわ! とにかく、儂と生きるんじゃ!」
儂は、彼女の目前で、手にした便箋を力いっぱい、破り捨てた。
「よ、よくわかりませんけど、なんだか生きる気力が湧いてきましたよ。お嬢ちゃん……いえ、おじいさん、ありがとうございます」
「そうか、生きてくれるか!」
とそのとき、儂の体はまばゆいほどの光りを発し、それと同時に、ほんの一瞬だが、気を失った。
気付くと儂は、元のじじいの体に戻っていた。
「まあ、本当におじいさんでしたのね」
「だから、云ったじゃろ! 儂は、儂じゃ」
ふと見上げると空に、雲に乗ったあのじじい――いや、有り難い神様――がウシシと口を押えながら、何処かに消えて行こうとしているのが見えた。
まあ、一応、願いを叶えてくれたんじゃ、礼でも云うか――ありがとよ。
――さあて、生きるとするか。
「それで、儂の名前なんじゃが……」
儂は、ばあさんの手をぎゅっと握り、その瞳をじっと見つめながら、長い間閉じこめられた記憶を思い出すようにして、自己紹介を始めたのだった。
―Fin―




