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7.番外編:二条清久の事情 1

 高校二年の十月、僕は突然、就任したばかりの生徒会長より会計役を任命された。

 

「俺が知る中で、二条が一番金勘定しっかりしてそうだからな!」

「他にもいるよ。立候補が何人かいたはずでしょう?」

「あんなのはただ役員になりたいだけだ。仕事する気のないヤツ入れてもしょうがねえだろ」

「僕も会計なんかやる気ないよ。面倒だしヤダ」

「そんなこと言って。ちゃんと役員になりさえすれば二条は仕事する。俺は君の、そんな真面目な所が大変気に入っているのだ」


 はっはっは、と高らかに笑う男から視線をそらし、トントンと教科書を片付ける。

 十月より生徒会長を継いだこの男は、全校生徒が参加する選挙において断トツの人気を誇り、満場一致でその座についた。

 宮歌貴紘みやうたきひろ。宮歌宝石という貴金属産業の社長息子であり、いわゆる裕福な家の御子息だ。おまけに母親が外国人らしく、日本人離れしたブロンド髪に碧い目を持っていて、しかも美形である。ハーフにも色々いると思うが、宮歌の顔はうまい具合に日本人と外国人の遺伝情報が噛み合ったのだろう。

 だから当然の話、特に女子から多大なる人気がある。道を歩けばスカウトに遭い、逆ナン、逆痴漢も日常茶飯事らしい。まったく怖い世の中だ。

 そして僕はそんな宮歌とは全く関わり合いになりたくないので、とっとと片付けて撤収しようとする。会計なんて絶対やりたくない。というか、宮歌の近くにいたくない。

 なのに教室の扉をがらりと開けた途端、僕と同じくらいの背丈を持つ眼鏡の男が壁のように現れた。


「あ、二条君。丁度良かったです。今ちょっと、生徒間で署名を集めてましてね。ご協力お願いできますか?」


 その身長は180といった所。僕もこいつも無駄に身長がある。互いに眼鏡で、僕は黒フチのオーバル型だけど相手はノンフレーム型。同じような背丈に同じような眼鏡である故に、この高校において僕はよくこの男の引き合いに出され、勝手に比べられている。

 見た目で唯一違うのが、顔の造りだ。特徴もなく平凡の域を越えない一般人そのものな僕に対し、コイツは腹が立つほど美形。いっそ美人と言っていいだろう。歌舞伎の世界に「女形」という役がいるらしいが、まさにこの男はその表現が似合う。身体の造りはまるきり男性なので女装が似合うとは思えないが、顔だけなら女装しても十分見栄えが良さそうである。

 橘御幸たちばなみゆき。……言っては悪いが、名前も女っぽい。確か橘もまた選挙によって生徒会副会長に決まったのではなかったか。コイツも橘重工という大企業の息子であり、御曹司だ。なんでこんな何でもない公立高校に通っているんだと首をひねりたくなるが、「無駄に金かけても学ぶものは同じだし」というのが二人の弁。確かにそうかもしれないが、妙なところでリアリストだと思う。


「署名?」

「ええ。俺、今期の生徒会執行部なんですがね。部費の振り分けについて前々から意見が出されていたんですよ。それでいっそのこと話し合いの場を設けようと思いまして、各委員会役員から署名を頂いて回っているんです。二条君は今、クラス委員をされていますよね」

「あぁ……そういう事か」


 納得して橘からボールペンを受け取る。クラスの中で一番真面目そうとか、そういうくだらない理由で僕は今年、クラス委員に任命されてしまった。推薦された上、クラス全員の拍手を以って成立したのだから全くもって腹立たしい。民主主義なんてくそくらえだ。

 部費の振り分けでもなんでも好きなように話し合ってくれ、という思いを込めてガリガリと名前を書く。

 ――すると橘がニヤリと、非常に腹の立つ笑みを浮かべた。


「ふふふ、かかりましたね?」

「は?」


 ぺらりと橘が書類をめくる。そこにはカーボン紙が挟まっていて、裏にある書類は生徒会執行部役員の任命書になっていた。なんたらかんたらうんたらと長ったらしい文章の最後に「署名を以って了承する」と明記されている。


『私は会計の任を請け負います。二条清久』


「なっ!!」

「やりましたよ宮歌! 二条君ゲットです」

「よくやった橘! これで生徒会のめんどくせー金勘定は二条に丸投げできるな! よし、次は監査役だ。こいつも前から目をつけてたヤツがいる。剣道部主将だ」

「書記はどうするんですか?」

「俺や橘狙いじゃねーやつからアミダクジで決める予定。行くぞ! 二条君、明日放課後、早速会議なので生徒会室まで来られたし。では、アディオス!」


 わははー!と高笑いしながら金髪碧眼のちゃらんぽらん男と無駄に腹黒な美形眼鏡が去っていく。

 ひゅるりらーと心の隙間風が吹きすさぶ中立ち尽くす僕と、教室に校内二大アイドルが揃った事できゃあきゃあと騒ぐ女子たち。

 ……まじで? 僕、今年はクラス委員と会計の掛け持ちなの? なんでそんな面倒事に巻き込まれてるの?

 ほんと、あの二人と関わってからろくなことが無い。僕の高校生活は毎日が灰色模様だった。


 帰る準備をしたならまっすぐ玄関口に行けばいいのに、足が勝手に違う所へ歩いていく。

 そうかぁ、僕、癒しを欲しているんだな。理性よりも本能が先立って心に休息を求めているのだ。ポーターの肩掛け鞄を手に向かう所は、校舎から渡り廊下を歩いた所にある古い道場。真ん中をネットで仕切って片側を剣道部が、もう片方を合気道部が使っている。そして僕の目的は合気道部の方だった。

 木格子のついた窓からチラリと中を覗いてみる。ゆっくりと視線をめぐらす事、3秒。

 ――いた。

 白い胴着に紺の袴。足は裸足で、ポニーテールに赤いハチマキを巻いた女の子。一年生の彼女は他の部員と一緒になって並び、上級生の呼び声に呼応しながら稽古をしていた。

 いち、に、さん。

 いち、に、さん。

 大きく声を上げながら同じ動作を何度も繰り返す。それは一見とても地味で面白みのない動きだが、彼女の姿だけはやけに鮮やかで綺麗に見えた。

 一つ一つの動作にキレがあって、全身がしなやかに伸び、きびきびしている。身をひるがえす度に小さなポニーテールがふわりと浮き、袴のすそがひらりと揺れる。

 何より、彼女の表情が僕を魅了してやまなかった。真剣そのもので、真面目に練習に打ち込む表情。鋭い目と、引き締められた唇。

 今、彼女の頭の中には何の雑念もないのだろう。あるのはただ、今の動きを研磨する事だけ。強くなりたいとか他の人間より上に立ちたいとか、そういった上昇思考や欲もなく、ただ自分の技を磨き上げる事だけを考えているように見える。

 ひたむきな姿勢。純粋な瞳。彼女の存在そのものが僕にとって清涼剤のようなものだった。

 心が洗われる。あんな人もいるんだと心が安堵する。素敵な女の子だと見蕩れてしまう。


「まーたこんな所で覗きですか? 二条君」


 笑いを含んだような声が聞こえて横を向くと、そこには白い胴着に紺色の袴を穿いた女子が立っていた。ベリーショートの髪型で背がやたら小さいが、彼女は合気道女子部の主将だ。名を寺町という。今月部長に就任したばかりで、ちなみに男子部の主将が副部長らしい。


「覗きって、聞こえが悪いな。ちょっと見ていただけだよ」

「ふーん。雛田陽子ちゃんを?」

「……何を見ようと、僕の勝手でしょうが」


 フン、と鼻を鳴らす。別に迷惑かけてないんだから窓の隙間からちょっと見るくらいいいじゃないか。


「彼女はすごいよねー。めきめき頭角を表しているよ。同じ一年の棚部もいいセンいってるけど、やっぱり合気道をやってた年月に差が出てるね」

「ふぅん? どうして強豪校に入らなかったんだろうね」

「あたしも聞いたんだけどさ。別に大会で戦ったり、成績を残したいわけじゃないからって言ってた。あと、この高校が一番学費安かったんだってさ」

「学費か。なるほどね」


 ふむ、と頷く。苦学生という風には見えないが、彼女なりに吟味した結果この高校を選んだのだろう。その割に勉学方面で苦労しているようだが、学費で折り合いをつけながら合気道を続ける為に、背伸びして入学したのかもしれない。

 何にせよ、邪魔者が来てしまってはゆっくり見ることもできないので、早々に退散する。彼女を見て十分癒されたし、クラス委員と生徒会会計の掛け持ちも仕方ないから頑張ろう。


 雛田陽子。

 彼女を初めて見た時は本当に偶然だった。春の四月、僕はクラス委員になったばかりで、偶々クラスメートである寺町に用事があって道場を訪れたのだ。

 その寺町を相手に組手をしていたのが、雛田さんだった。

 後になって話を聞くと、雛田さんは幼少の頃から合気道を習っている経験者らしく、寺町はどれ程の使い手か実際に手合わせをして確かめたかったらしい。

 言われたら成程、と納得してしまう所作の洗練さがそこにあった。

 高校から始めた部員とは明らかに違う。一挙一動の完璧さ。彼女はある意味非常に愚直に、ただそれだけを研磨してきたのだと判る。

 受け手に徹する寺町に、躊躇なく技をかけていく雛田さんの動作は見事な程に鮮やかで、無駄が一切なかった。

 僕が感じた印象は、組手を目の当たりにした合気道部の部員達も同じだったらしく、雛田さんと寺町の織り成す演武に目を奪われていた。

 ……そう。まるで演武。時代劇の殺陣にも似た、演技。

 あらかじめ互いの動きが台本で決められているみたいに、雛田さんは寺町をひっくり返して半回転させて、赤子の手をひねるようにかるく技を決めていく。そして寺町もまた、負け役に徹する役者のように技を受けていた。

 けれどそれは、互いに上達者でなければ出来ない領域なのだと判る。呼吸が一致していなければ、こんなにもなめらかに技は決まらない。それ程までに二人の動きは無駄が一切なかった。

 恐らくは、そんな彼女の姿に、僕は一目惚れをしてしまったのだろう。雛田さんが気になって仕方なかった。寺町に詰め寄って彼女の名を知り、いつしか校内の至る所で雛田さんの姿を探していた。


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