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6.夢叶う、雨の道

 さぁぁ、さぁぁ。

 昨日のにわか雨の激しさとは一変して、今日はいつも通りの梅雨らしい、静かな雨。

 放課後のホームルームが終わるのを今か今かとそわそわしていた。焦った所で担任の話が短くなるわけではないのに、何度も何度も窓を見てしまう。

 今日は一日中雨のようだった。先輩のクラスはもう、ホームルームが終わっているだろうか。それとも長引いているだろうか。

 先輩は玄関口で待ってくれている? 私は、先輩を待ってもいいのだろうか。棚部の話を思い出す。もしかして、学校の玄関って目立つ? そりゃ、玄関だから目立つか。

 これからは図書室とかで待ち合わせしたらいいのかな……って、これからとか! どんだけ厚かましいのか。でも、ちょっと期待してもいいのかな。期待するだけなら、罪じゃない?

 悶々と考えてたらいつの間にか担任の話が終わっていた。挨拶の礼をした後、スポーツバッグを肩にかけて廊下を走る。

 廊下を走るなと怒られるのも日常茶飯事だ。人とすれ違う時だけ速度を落とす。

 下駄箱の並ぶ広い玄関口にたどり着くと――いつもの場所に、二条先輩が後ろ姿で立っていた。


「に、二条先輩っ! 待ちましたか?」


 恐る恐ると声をかけると、振り返った先輩はニコリと笑う。


「全然。というか、前から思ってたけど君、足すごく早いよね。二年の教室って玄関から一番遠いのに」


 そりゃ、毎回全速力でしたから。風紀委員や先生に怒られつつ、注意して走ってましたから。


「今日も晴れ女のジンクスはハズレかな? 一度外れると続くものなんだね」

「……ほんとですね。たった2日続いただけなのに、晴れ女なんて気のせいなのかなって思えてきます」

「はは、それは極端だね。君は間違いなく晴れ女だと思うよ」


 くすくすと笑った二条先輩は手に持っていた傘をばさりと開く。そして片手に持って私を見下ろした。


「君がずっとしたかったっていう相合傘。する?」

「えっ、し、してもいいんですか?」

「勿論。どうぞ」


 す、と先輩が傘を掲げ、私はおずおずと彼の隣に立った。そういえば相合傘自体、生まれて初めてだ。ドキドキして、二日連続でこんなにも幸せを味わっていいのだろうかと怖くなる。何というか、幸せの反動がとても怖い。

 雨はしとしとと静かに降り続けていて、激しさがないからか、昨日よりは歩きやすかった。でも朝からずっと雨が降っているので少し肌寒い。

 だけど私の身体が寒さに震える事はなかった。むしろ熱が上がってきている。顔まで暑くて、のぼせてしまいそう。

 何故なら、さっきから先輩の腕がちょこちょこと私の腕に当たっているから。

 ……相合傘って、こんなにも密着しなくちゃいけないものなんだ。初めて知った。腕が当たると申し訳ないから少し離れようかと思うのだけど、そうすると片側の肩が雨に濡れる。

 難しい。相合傘は難しいものだったんだ……。よっぽど大きな傘でないと快適な相合傘はできないんだ。もしかして、私も傘持ってるんだからそろそろ自分の傘をさしたほうがいいのかな。

 もう十分堪能しましたので結構です、とか言って……。でもそれ、失礼じゃない? こういう時なんて言えば穏便に話が進むんだろう。さっぱりわからない! 二条先輩は窮屈と思っていないかな。肩幅あるんだなこの女とか思われたら泣いてしまう。確かに、私の身体は典型的な体育会系というか、決して華奢とは言えないのだけど……。


「あ、あの、先輩」

「――実は、君のことはずっと前から知っていたんだよ。雛田さん」


 やっぱり傘別々にしましょうか、と口にしようとした途端、二条先輩が話し出す。出端を挫かれた私は「え?」と間の抜けた声を上げた。先輩が傘をさしながら私を見下ろし、黒フチメガネの奥にある瞳を優しく細める。


「君が一年の、春からね」

「春……って、私が入学してすぐって事ですか?」

「そう。用事があって道場に行った時、丁度君が二年生を相手に稽古をしていたんだ。その時の相手は確か、今の部長だったよ」


 部長? そういえば、そんな事もあったかもしれない。部活の稽古は日常的に行っているので、特別覚えているわけではないのだが。

 二条先輩は昔を懐かしむように、雨の道を眺めながら話し続ける。


「目を奪われた……というのかな。君の一挙一動がとても鮮やかで、しなやかで、目が離せなかった。合気道ってこんなにも動きが洗練されたものなんだって、すごく驚いたね」

「そ、そんな。……ほめ過ぎですよ。私くらいの使い手はいくらでもいますし、大会なんか出たこともありません。小学生の頃から何となく続けていただけなんですから」

「じゃあきっと、その長年の努力に見蕩れたんだろうね。……実は何度か、道場を覗いていたんだ。君はいつもひたむきに稽古をしていて、何度も何度も同じ動作を繰り返して、飽きることなく練習に励んでいた。その時の君は全く周りを見ていなくて、ただ自分の技を磨く事に夢中で……」


 静かに降る雨の中、二条先輩はくすりと笑う。


「あんなにまっすぐな目を、僕は今まで見た事がなかった。うーん、僕の周りには偏屈者や皮肉屋が多かったからね。ここだけの話だけど、生徒会役員なんて皆ちょっとオカシイから」

「……おかしいんですか?」

「僕の主観だけど。生徒会長なんかホントちゃらんぽらんだし、副会長は無駄に腹黒いし、書記の女子もなんというかお調子者で騒がしいし……心労が絶えないよ」


 はぁ、とため息をついた先輩に思わず吹き出してしまう。生徒会役員がどんな人達かはあまり興味はないけど、二条先輩を含めて何となく別世界のような、まるで漫画から飛び出してきたみたいだと思っていた。けれど先輩の愚痴を聞いて、不思議な親しみを感じた。別に特別でもなんでもなく、同じ高校に通う学生なんだなぁ、と。しかも二条先輩が割と苦労人らしい所が、とても「らしい」と思えてしまった。


「だからなのかな。部活に励む雛田さんを見ると、すごく心が洗われたんだ。真剣に、前だけを見て稽古に励む姿が清涼剤みたいでさ。嫌なことも腹の立つ事も全部綺麗になくなってしまって……いつの間にか道場だけじゃなく、学校の色々なところで君の姿を探していた」


 ぽつ、ぽつ、と傘から雨粒が落ちていく。

 私は僅かに目を丸くし、思わず二条先輩を見上げた。すると彼もまた私を見下ろしていた。


「図書室で君に声をかけたのは、偶々じゃないよ」

「……」

「僕の、精一杯の勇気だった。……はは、あんな程度で勇気とか。笑っちゃうよね」


 ふるふる、と首を振る。全然笑うところじゃない。だって、私の勇気も……。


「わ、私も、ばかみたいな勇気です。あの図書室の日からずっと二条先輩に傘を貸したくて、雨の日じゃないと、声をかける勇気もなかったんですから」

「君はすごかったよね。僕なんかずーっと雨男だったのに、不思議な事に君が来るといつも雨が止むんだ。……だから僕は、雨の日を待つようになった。――君が来るかなって、待っていた。いつも」


 いつも? にわか雨の時、いつも二条先輩は玄関口で立っていた。何故かいつも傘を持っていなくて、まるで雨が止むのを待つように、ぼんやりと雨空を見上げていた。

 ――あれは、空が晴れるのを待っていたんじゃなくて、私を待っていたの?


「雛田さんが来ると雨が止んで……一言二言、君に声をかけるのが楽しみになった。雨なんか大嫌いだったのに、天気予報を見る度わくわくした。そのうち、君はもしかして僕に気があるんじゃないかって期待するようになってしまって……」


 ぱちゃん。二条先輩の革靴が小さな水たまりに入る。そして彼は、わずかに足を止めた。


「怖くなったんだ」

「……二条先輩じゃなくて、生徒会にいる他の人達が目的という話……ですか?」

「そう。勿論本気じゃなかった。雛田さんはそういう人じゃないはずだって思っていた。でも怖くて、傷つくのが怖くて、だから君を疑うような事を言ってしまったんだ。……情けないよね。先日は本当にごめん」


 苦しそうに顔を歪めて前を見る。そんな二条先輩を見て、私は慌てて「気にしてませんから!」と声を上げた。するとほっとしたような笑みをみせて、歩きながら私を見つめる。


「――君が好きだ」


 思わずつんのめって足を止めそうになった。だけど二条先輩が歩き続けているので、急いで傘の中に入る。ドッドッ、と心臓が音を鳴らせて、動機が激しい。苦しい。息がしづらい。

 嬉しくて、夢みたいで、お腹の底から身体が熱くなっていく。思わず叫んで身体の熱を発散させたくなる。


「御覧の通り情けない男で。あんまりお得な所がないんだけど、よかったら僕と……」

「つつつ、つきあってください! わ、私からお願いしますっ!」


 思いのほか大声になってしまった。今が雨模様で安堵する。これが晴天の下なら、私の声はかなり広範囲に響き渡っていただろう。恥ずかしい。

 だけどもう無理だった。こみ上げる気持ちが抑えられない。嬉しくて頭がおかしくなりそうで、今のチャンスを絶対に逃したくない。


「私も、私も……ずっと二条先輩が好きでした。あの図書室の日からずっと。先輩の真面目な所とか、眼鏡が似合う所とか、真っ黒な黒髪とか、優しい笑顔とか……あ、私、二条先輩の事それくらいしか知らなくて恐縮なんですけど、でも、好き……なんです」


 もっともっと、他に理由が必要かもしれない。説得力が足りないかもしれない。好きという言葉はどれだけの根拠を足せば信じてもらえるんだろう。

 でも、この嬉しい気持ちは嘘じゃない。間違っていない。恋する気持ちにどきどきしているんじゃなくて、二条先輩にどきどきしている。

 嬉しいのに恥ずかしくて、顔を見られないくらい……胸が高鳴っている。

 二条先輩は足を止めた。駅に入って、軽く振り捌いた傘を閉じる。


「そっか、嬉しいな。想いが通じて」

「わ、私も嬉しい……です」


 一年もの間、特に目立った行動もしないまま、ずるずると片思いをしていた。それなのに、こんなに幸せを感じていいのだろうか。もっと恋は苦労しないといけないのではないだろうか、もう幸せになって構わないのだろうか。


「じゃあ、これからよろしくね」

「は、はい!」

「……もしかして緊張してる? そんなに硬くならないでいいと思うけど」

「あ、すみません。がんばります」


 ずっと憧れていた二条先輩とおつきあいができる、と思うとがちがちに身体が固まってしまう。先輩はくすくすと笑って「可愛いなぁ」と呟いた。


「まずはお互いを知り合おうよ。好きな食べ物とか、好きな音楽とか、色々教えて欲しい。そうすればもっと仲良くなれると思わない?」

「そ、そうですね。私は、ポテトコロッケと唐揚げが好きです」

「ああいや、今じゃなくて。とりあえず中間テストが終わってから改めてデートでもしようって事なんだけど。ポテトコロッケと唐揚げが好きなんだね。僕も唐揚げは好きだよ」


 笑いまじりに言われて顔が熱くなってしまう。今じゃなかったのか、恥ずかしい……。

 でも、二条先輩の言葉を聞いて「そういう事なんだ」と思い至った。

 好きと告白して好きと返して、それで終わりじゃないんだ。当たり前だけど、その先がある。両想いはハッピーエンドではない。ただの、始まりなんだ。

 昨日まで始まってもいなかった恋が、ようやくスタートラインについた。

 ゴールがどこにあるのか判らないけれど……それに向かって突き進んでいくのがおつきあいをするという事なら、私はまだまだ頑張らなきゃいけない。でも、その歩みは決して辛いだろうとは思えず、むしろ見えない道筋にワクワクしていた。


 さぁぁ、と爽やかに恵みを降らし続ける優しい雨は、静かに六月の風景を雨色に染め上げる。

 晴れ女のジンクスは外れ、奇跡は起きた。

 ……ううん。晴れていたって、雨だって、奇跡は起き続ける。隣に憧れの先輩がいるという奇跡が。

 

 ――でも、いつかそれが奇跡でもなんでもなく、ただの日常に変わったとしたら。

 それはなんて素敵なことなんだろうと、優しい雨を見た。


Fin

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