エースとの決別?
ひとまず今日の練習は終わった。とにかく今から片付けだ。
ボールの清拭、グラウンドの整備、ピッチングマシンやら防球ネットやらの大型備品の撤収、練習が終わったとはいえ、これらの仕事を全てやらないことには何があっても帰れないのだ。
練習で疲れきった体でだらだらやることも不可能ではないが、一刻でも早く帰って、あたたかい食事や、借りたけどまだ見てないDVDなどを楽しむために全力で作業を行うのが普通だ。
片付け自体は主に1年の仕事で、2年はその補佐と確認、三年は部室が混まないように先に着替えをしている。
野球部専用の倉庫に入りきらない大型の備品をグラウンドの隅に寄せ、ピッチングマシンなどの倉庫に入れられる備品を片付ける。3年が着替え終わる前には少なくとも部室に片付ける備品以外の片付けを完了しておかなければならない。でないとどんどん後が遅くなってしまう。
とは言っても3年生が着替え終わるのは遅い。というか、出てくるのが遅い。人によっては軽くグローブの手入れをしたり、携帯で家族に「今から帰る」なんてメールを送っていたりする。
着替えてすぐに出ていく先輩たちも多いが、そういう人は帰りに飲むジュースを食堂横の自販機に買いに行ったんだろう。そういう先輩が多いためになんとか2年生は3年の着替え終わるまでには部室の前で着替えを待つだけの状態になれる。
3年が全員出てきたのを確認したら、今度は2年が部室に突入していく。一年生は運び込みやすいように扉の前に道具類をずらりと並べてある。それと同時に最終確認をするのだ。しばらくして2年が出て来ると、1年の第一陣が道具を残して突入を始める、という流れだ。
電光石火の速さで着替え、着替えた奴から部室の外に備え付けられている箒とちりとりで床の砂やらゴミを回収していく。部室内は基本飲食禁止なので、覗くことすらためらうようなパンドラの箱、もしくはビニール袋がないのは幸いだ。上級生が散らかした部室をきびきびと片付けていく。第二陣の1年は入口の道具の前に整列し、掃除隊の報告を待っている。掃除隊が出てきて、よし! の号令がかかるとそれぞれ担当の荷物を部室内の所定の位置に戻していく。すべて搬入が終わったら、残りの1年は手早く着替え、施錠係が鍵を閉めて、終礼に集まるのだ。この方式、必然的に一年が三年を待たせることになるため、一年は手際よく、かつ完璧に仕事をしなければいけない。今でこそ慣れてきてはいるが、1年があーだこーだ言いながらやっていた。3年から「いつまで経っても帰れねーじゃねーか!」とどぎついお叱りが待っていたのもつい最近の話だ。
2年で投手の俺は基本的にブルペンの清掃が担当だ。グラウンドほど気を使わなくていいぶん、気が楽ではあるが、人数が少ないので、テキパキ動かなければあっという間にブルペン組が怒られ役になってしまう。
まず、開始やガラスの破片などから落ちていないか、投手組全員で四つん這いになり、目を皿のようにして探す。石を拾い終えたら、トンボをかけ、土をならし、削れているところには土を足し、叩いて固める。
あとはネットに穴が空いていないかの確認、投球練習用のボールは倉庫にしまい、施錠する。それらが全て終わったら、ブルペンにも鍵をかけておしまい。
片付けは忙しい。
ここまで終わると、「やっと帰れる」と実感が湧いてくる。今日の晩飯何だろうとか帰りにジャンプの続き読んで帰るかとか、やるかどうかもわからない願望がむくむくと湧いてくる。
片付けは忙しい。
片付けの間はほかのことを考える余裕はない。しかし、片付けの時には考えずに済んでいたことでも、それが終わるとどうしても気になってしまう。
さっき、先輩に言われたことだ。
今まで先輩に一番可愛がってもらっていたのは、贔屓目に見ても自分だったと思う。質問すればなんでも答えてくれたし、練習の面倒もよく見てもらっていた。
それが当たり前だったし、これから先輩が引退するまでの残り少ない時間も当然そうなると思っていた。
だが、それは違った。
夏の大会までずっと今までのようにはいかないだろうと思ってはいたが、それは先輩が大会に向けて集中し始めてから、状況が少しずつ変化していってからそうなるものだと思っていた。
それが、まさか、いきなり、突然、先輩の方からはっきりと口にするとは思っていなかった。お互いに言葉にするなら俺の方から、集中して欲しいから面倒は見なくていい、というものだと思っていた。
考え過ぎかもしれない。
先輩のほうはもっと前から集中したがっていたが、意を決したのが今日だったのかもしれない。普通はそう考えるのが自然だ。
でも、それでは今日の先輩がなぜあんなにも自分をかばうようなことをしてくれたのか……?
それがわからない。
そういえば先輩の様子がおかしいと思ったのは、またロードワークに行くって言った時だった。その前になにかあったんだろうか。
わからない。ただ俺も、先輩にずっとついてきた、ついていこうと心にきめて入学してきた。
「先輩、ちょっといいですか?」
色々考えたがダメだ。自分でいくら考えても、それらしい答え以外出てこなかった。だったら先輩に直接聞いてやろう。
「なんだ?」
学校指定のカバンと野球部用のエナメルバックを抱えて、帰ろうとしている先輩を呼び止めた。
さっきのモヤモヤした気持ちのまま、帰ったらどんな手段を使ってももうモヤモヤで眠れなくなりそうだ。
ここは先輩に直接聞くのが一番のはずと声をかけてはみたものの、怖い……
「今日の話なんですけど……」
だが、ここまで聞かないというわけにもいかない。
「ああ、なに? 気になることでも?」
「いや、あの、オレ……先輩を怒らせるようなことしました? 」
「別に」
「だったら、謝りたいんです。すいません」
「別に謝ってもらうようなことはないけど……それに練習を一人で集中したいってのが今の時期じゃあ普通だろ」
そりゃそうだ。
「それとも、そのすいませんっていうのはそこを押してでも自分の練習に付き合ってくれってこと?」
「いや…全然‥…そんな、つもりは……」
当然そんなつもりはない。先輩に最後に悔いが残らないようにやりきって欲しい。少なくとも、自分が先輩の負担になるようなことは俺も望んでない。
「だろ?これが普通。別にお前のことを嫌いになって言ってるわけじゃないから安心しろ。じゃ俺は帰るから」
それだけ言うと、先輩はさっさと帰ってしまった。納得できない答えだけを残して。
俺は先輩の背中を見送るしかできなかった。