エースの孤独
投手によっていろいろあるみたいだが、ブルペンに入って俺がまずすることは、プレートを踏むことだ。
俺はあまり細かいことを気にするタイプではない。だから、よく一流選手が行うルーチンワークだとか、願かけみたいなことは一切しない。それでも、唯一とも言えるこのルーチンは、入学してすぐに相模先輩に言われて始めた。
グラウンドコンディションは野手が確認してくれる。でも、プレートを踏めるのは投手だけだ。だから、投手であるお前が責任を持って確認しろ。確認を怠って怪我をしたらそれはお前の責任だ。
最初に言われたころは、先輩に1000球投げろと言われれば、はいわかりました!と言わんばかりになんでも聞くような勢いだったが、今はちゃんと意味を理解しながら行えている。
ぐらつきはないか、プレートは一塁側三塁側どちらがよりすり減っているか、プレートの縁は固いか柔らかいか、プレートはマウンドから浮き出ているかほぼ平行か、などなど。実際に投球する際には影響の与えそうな情報がプレートひとつとってもたくさんある。
それを相模先輩に教えられた。
といっても、ブルペンでは誰がどこで投げるかほぼ定位置が決まっているので、俺が使うプレートは普段から俺が使っているプレートだ。踏まなくても分かるようにはなってきた。
とはいえ大事な作業だ。実際に踏んでみる。グラブをつけてただボールだけを持たない状態で軸足だけで 立ってみる。
いつもと変わらない。
とりあえず、投げてみるか……
ボールを握ってみる。良くも悪くも今までと変わらない。ボールのせいじゃないのは。さっきのキャッチボールでもわかってる。
坂本を立たせて、短い距離でキャッチボールをする。心なしか坂本のミットの響きも普段より弱い気もする。
いつもならもっと弾けるような音がするはずなのに、若干「ボスッ」と感がある気が……
ほかにも違和感はあるが、それがなんなのかは分からない。
こんな気持ちのまま投げても大丈夫なんだろうかと、不安にもなる。
坂本が投げ返してきたボールを見つめる。当たり前だが、やっぱり普段使っているボールと何も変わったところはない。
体のどこにも異変がないのに、調子が狂うとなれば、ボールがどこか変なんじゃないか思いたくもなる。
いろいろ試してみても、ダメそうならコーチに相談してみてもいい。
でもなぁ
コーチかぁ……
今までコーチとうまくやれてたかどうかで言われればまああまり良くはなかった。
先輩にべったりすぎて、コーチに教えてもらおうとしたことはほとんどないし、逆に期待されてる相模先輩の邪魔をしてるぐらいに見られてるようだ。
相模先輩以外の投手の先輩とも仲が悪いとまでは言わないけども、コーチに好かれていないのと同じ理由で、よく思ってない人もいる。俺が10番をもらっちゃってるってのもあるし。
「今坂、はよ投げろ」
「おっと、わりわり」
ボールを見ながら考え込んでしまっていた。
「あんま気の抜けたボール投げてると怒られるぞ。俺がピッチャーしようか、お前はキャッチな、センスなさそうだけどな!」
……
ひょっとして、こいつからも嫌われてる?
ブルペンでの投球練習が終わった。
キャッチャーをやることはなかったが、結局最後まで気の抜けたボールと言われ続けた。
「なあ今坂?」
練習中とは違うトーンで坂本が声をかけてくる。
「お前、どっか痛めてたりしてないか? マジで」
「いや、どこも悪くはないんだけど…」
「そうか、ならいいだけど・・・・・・そういえば、お前今日は相模先輩のとこに質問行けねーな。たぶん今日は走らされてるだろうし」
「あっ」
今わかった。さっきの違和感の正体……
肘とか肩とか足とか指とか、グローブとかスパイクとかアンダーに違和感があったわけじゃない。
俺の気持ちが、状況が、以前とは変わったんだ。
俺は今日から独りだ
今までのように先輩と話すこともないし、いじられることもないだろう。
先輩にアドバイスをもらうのもきっと難しいし、今までのように指導してもらえるとは思えない。
相模先輩以外の投手陣と仲が悪いなんてことはないが、今まで相模先輩をずっと追いかけてきた。なんの練習でも先輩にくっついてたこともそうだし、先輩を目標にして努力してきたこともそうだ。
だけど、もう以前のようにある意味友達のような関係に戻れるかわからない。
そういう意味では、俺は友達を失ったような気持ちだ。
いつもと同じように先輩が隣で投げていても、今までのように先輩の隣で投げるわけにはいかない。
……
…………
本当に俺は独りになったんだなぁ