第6話 少年
エステルはパイロットとしての腕と『ティンカーベル』の機体で数多くの戦果を挙げて行った。彼に対する上官の評価も上々で、少尉から中尉へと昇格していた。
彼の技量も然る事ながら、『ティンカーベル』(シャラ)の性能が他の機種よりも数段勝っていたのは言うまでも無い。
そして、他の機種の追随を許さない圧倒的な『ティンカーベル』の能力値の高さに嫉妬した者の中には、「エステルは、『ティンカーベル』のお陰で成り上がった中尉だ」と陰口を叩く輩も居た。
「二重スパイ? 本当なのですか? ……自分は、その……」
エステルはデュラン大佐の言葉を疑った。
「残念ながら、これは信頼出来る確かな情報だ」
デュラン大佐はエステルの気持ちを慮ってか、同情する様な眼で彼を見下ろした。
「……」
(生きていた……!)
エステルはカッと頭に血が昇るのを覚えた。
慌ててデュラン大佐に気付かれない様に視線を落して俯く。
「マーベリック・ルノー。彼は此処数年の我々の作戦内容及び極秘資料を漏洩させていた張本人だ。先日、彼の姿がマハールの街で確認された」
デュラン大佐は手元のスイッチを押した。
エステルの眼の前に、等身大に映ったマーベリックの姿が3‐Dで再生される。
マーベリックはこざっぱりとしたスーツ姿で隠しカメラに収められていた。ぱっと見は何処かの企業幹部といった風格だ。
軍から逃亡すれば銃殺刑が待っているにも関わらず、彼は何不自由無く生活している様だった。明らかに強力な何者かの庇護が、彼の背後に見え隠れしているのが窺える。
(シャラの仇! そして……)
やっと癒え掛けていた心の傷が再び抉られる様に疼いた。
しかし、彼の目の前に居るデュラン大佐には、エステルの身の上に何が起こったのかを知る由も無い。
「今更君に事後報告も無いのだがな、君も行方不明になった相棒の事が気懸かりだろうと思って、お節介にも首を突っ込ませて貰ったのだ」
「どういう意味ですか?」
「地球連邦軍から、本部隊への撤収命令が下った。我々は一週間後に全軍を引き揚げる。君にはその殿を頼みたい」
「……了解しました」
(小者は今更処分には値しないと言う事か……)
噂でエステルが特殊戦闘機隊に配属され、数多くの功績を挙げたのだと聞いていたアーヴィンは、久し振りに自分を訪ねて来た彼の顔を胡散臭そうに覗き込んだ。
「どうしたのさ? 俺が寝込んでいる間に「中尉」だなんて……随分と立派になったんだな? で? 今日は俺に武勇伝でも聴かせてくれるのか?」
「相変わらずの厭味だな……」
エステルはニコリともしないで自分と同じグレネイチャの少年を見詰めた。
「違うのか? もう、俺に笑い掛けたりしなくなったんだな? 特殊戦闘機のパイロットってそんなに偉いんだ」
「俺は何も、お前から聞きたくも無い皮肉を聞きに来たのじゃないぞ?」
エステルは珍しくアーヴィンの言葉に反応した。
「なら、何なのさ?」
「アーヴ、お前は……」
言い掛けて言葉に詰まった。エステルはアーヴィンに問い質しそうになった言葉をぐっと飲み下す。
「? 何だよ」
アーヴィンはそんなエステルを怪訝な様子で窺った。
「何でも無い……そうだ、覚えているか? お前に有翅族の女の子を紹介する約束だったよな? 彼女はシャサラ・ナージャ。俺はシャラって呼んでいる」
医療キャンプから二キロ程離れたジャングルの空き地に、その銀色の機体がひっそりと息を詰めるようにして着陸していた。
戦闘機を間近で目にしても、アーヴィンは単純に喜ぶ普通の子供の反応はしなかった。
「お前にとってはこの機体も憎むべき存在……なのかな?」
エステルは小声で呟いて複雑な表情を浮べながら、コクピットに滑り込むアーヴィンを見上げた。
軍の誤爆に巻き込まれた奴隷難民のアーヴィンが、重症を負って医療キャンプに運ばれたのはもう四ヶ月も前の事だ。
経過だけを聞けば、誰もがアーヴィンに同情するだろう。
けれど、それが被害を被って重症を負った少年が引き起こした事態だとは誰も当時は疑ってはいなかった。
諜報部からの報告を受けた時でも、エステルはそれをすんなりとは受け容れられなかった。 彼は未だにアーヴィンと報告のどちらを疑うべきなのかを迷っていたのだ。
「? 何ぶつぶつ言ってるんだよ? ねえ、『シャラ』は何処?」
「……お前の目の前にあるA・Iの事だよ……」
「A・I? 女の子じゃなかったのか?」
アーヴィンの何気なく言った言葉がエステルの感情を逆撫でする。
「彼女は……死んだ」
喉の奥から声を絞り出した。
エステルは、アーヴィンの視線から逃れる様に顔を伏せる。
「……アンタが殺したのか?」
驚くほど冷淡な言葉が投げ付けられた。
「違う!」
「いいや、アンタが殺したんだ。そう言えよ。そうなんだろう?」
アーヴィンは子供とは思えないほどの醒めた眼でエステルを見下ろしていた。
澄んだ蒼い瞳が、言い訳すら出来ないエステルを責め立てる。
「違う……俺は……」
(そうだ! 俺が彼女を殺したんだよッ!)
言い淀んだエステルの中で、もう一人のエステルが叫んでいた。
アーヴィンの正体を突き止めようと彼の許を訪ねて来たエステルだったが、反対に追詰められてしまった自分が居た。
「……子供の癖に……お前に一体何が判るんだ?」
「逆ギレしてんじゃねーよ」
「こ……の……」
言い返す言葉が見付からなかった。
(やはりアーヴは何処かの工作員なのか……?)
争いに巻き込まれ、戦争を憎み、軍を憎んでいる少年――もしかすると、アーヴィンはそんな少年を演じているのではないか……?
疑い始めると限が無かった。冷静な判断を欠いてしまったエステルは、自分の背後でそっと拳銃の銃把を握り締める――
アーヴィンはそんなエステルの殺気を敏感に感じ取っていた。
左右に視線を奔らせ、脱出経路を模索して見るが、『ティンカーベル』が着陸している付近の広場には身を隠す物さえ見当たらない。
必要以上にエステルを刺激してしまった事を後悔した。
いよいよ覚悟を決めた時、『ティンカーベル』のモニタが動いた。
「ね、ねえ、メールが来たよ?」
アーヴィンはエステルにそう言って、目の前のコンソールにあるモニタに視線を戻した。
「!」
自分の眼を疑った。
それは『ティンカーベル(シャラ)』からのアーヴィンに宛てたメッセージだった。
(……このまま文字が読めない振りをしろ……だって?)
「何のメールだ?」
エステルがタラップを昇って来る。『シャラ』であるA・Iはアーヴィンに宛てたメッセージを素早く削除した。代わって本隊からエステルに宛てたメールが開く。
「ああ? ン、でも俺、文字読めねぇモン」
平然と言ってのけた。
「……?」
エステルの動作が一瞬停まる。
アーヴィンの返事に毒気を抜かれた気がした。
エステルは銃把から手を解き、アーヴィンの居るコクピットを覗き込む。
それは同僚の訃報だった。
「何、ヘコんでンの?」
アーヴィンの視線に、エステルは冷静さを取り戻して穏やかに微笑んだ。
「良い奴から皆先にお迎えが来るんだよ。俺みたいなのがいつまでもこうしているんだ。だからと言って、アーヴ、お前は俺よりも先には逝くなよ?」
「何? それ」
「そんなのは年功序列って言うんだ」
そう言って、エステルは悪戯っぽく笑った。
「はああ? 意味不。ワケわかんねぇー」
アーヴィンはタメグチで口を尖らせた。
意味の無い勝手なエステルの理屈に付き合わされたフリをして。
(嘘が下手だな……)
それぞれがほぼ同時に相手に対して思った。
鬱蒼としたジャングルのその向うに、真っ赤な夕日がゆっくりと沈んで行く。
エステルとアーヴィンは草叢に座り込み、紅く染まりながらも黙って夕日を眺めていた。
やがて、エステルが腰を上げた。
「シャラに会わせると言った約束は果した。これでお別れだ」
「これで……って?」
アーヴィンはエステルを見上げる。
「引き揚げ命令が降りた。これで俺もアーヴみたいな生意気な奴と会わなくて済む」
「あんだとぉ?」
アーヴィンはふざけて軽くパンチを繰り出した。
エステルはそれを笑いながら受け止める――