第4話 幻影
夢の中のシャラは初めて出逢った時のままだった。
眩しい笑顔で、追い掛けるエステルの腕を軽やかにするりとかわす。
(どうして俺の事を知っているんだ?)
シャラは笑顔のままで答えない。
「シャラ、待って……」
エステルは自分の声で眼が覚めた。
(此処は……?)
エステルは自分の居る場所の特定をする為に、左右に視線を奔らせた。
見覚えのある煤けたドーム型の天井、自分の腕に施されている点滴のパック……
朦朧としていた意識がハッキリとして来る。
「やっと気が付いたか?」
すぐ傍で優しい声が掛けられた。
「……ダグラスさん?」
エステルは補給支援部隊の老人の名を呼んだ。
あれからエステルは意識を失い、何日も眠っていたらしい。
「お前を見付けた時は、もう駄目かと思ったぞ?」
その言葉に、エステルは現実に引き戻され、弾けた様に跳ね起きた。
「マーベリック! アイツを……」
(殺してやる!)
感情が一気に昂り、呼吸が乱れた。
「待て!」
ダグラスはエステルの初めて見る険しい表情に驚きながら、彼の肩を捕まえた。
「落着け。何があったのかワシは知らん。が、マーベリックなら部隊にはもう居らんぞ?」
「え?」
「此処数日前から何人もの兵士が行方不明になっておってな、マーベリックもその一人だ」
「行方……不明?」
「ああ。まるで神隠しにでも遭った様にな。一部の者は、何かの祟りだと怯えとる」
「神隠し……」
ダグラスの言葉を聴いたエステルは我に返った。
ベッドに寝かされていた自分は意識を失う前の姿だった。全身に奴等の体液が乾涸びてこびり付いている。
途端に猛烈な羞恥心が彼を襲い、全身が真っ赤に火照って震えた。
エステルは慌ててシーツを肩まで引き上げるが、ダグラスはそんな彼を此処まで運んで来ていたのだ。
「……まあ、時には稀にお前の様な目に遭う者も居る。災難だったと思え」
ダグラスはエステルの気持ちを察して静かに言った。まるで彼と同じ目に遭った者を何人も目にして来た様な口振りだった。
「自分と一緒に居た少女は?」
「少女? ああ、女の遺体なら先に研究員が持って行った」
「遺体……です……か」
声が沈んだ。
「もう少し眠るといい。忘れろ」
ダグラスの世話になって数日が過ぎた。
十分回復したエステルは、再び任務に復帰する事が出来た。
自分がマーベリックに貶められ、辱められた事実が暴露されれば、直に除隊しようと決心していた。
けれど、何故かダグラス以外に誰もその事を知る者は居なかった。
不思議に思って上官に行方不明者のリストを見せて貰ったが、彼等全員が自分と彼女をマーベリックから買った者達だった。
「天罰でも下ったんじゃないのか?」
唯一、その事を知っているダグラスに相談したが、笑って相手にしてくれない。尤も、ダグラス自身でさえ理由は解らなかった。
(天罰……なんて、そんなもの……有るワケ無い)
問い掛けにまともに応じてくれなかったダグラスがほんの少し憎らしかった。
巨大な夕日がS‐2のタラップを降りるエステルの横顔を赤々と照らし上げる。
そのすぐ隣には、主を失ったS‐1機がぽつんと停まっていた。
「エステル! お前に呼び出しだ」
メカニックのジョイが彼を見付けて呼び止めた。
「デュラン大佐が第七格納庫に来いってさ」
「大佐が?」
「お前、何かしでかしたのか?」
ジョイが怪訝そうにエステルを覗き込む。
「エステル少尉、参りました」
エステルは背筋を伸ばして大柄なデュラン大佐に敬礼をした。
「おお、君がエステル少尉かね?」
「はっ!」
穏やかなデュラン大佐の声に何のリアクションもせず、エステルは機敏に返事を返した。
「そう、堅苦しくする必要は無い。少尉を呼んだのはこの『ティンカーベル』に目通りさせる心算だったからだ」
デュラン大佐は砕けた言い方をして、気持ち身体をエステルの視界から退けた。
「『ティンカーベル』……で、ありますか?」
エステルは視線をデュラン大佐から彼の後ろで控えている物体に移動させた。
その機体は左右の三段階に拡がる主翼を折り曲げ、まるで休息している白銀色の鳥の様に見えるほど完成された美しいフォルムだった。
滑らかな曲線から構成される『ティンカーベル』は各機能に最新式の装備を搭載している。 特にA・I機能は類を見ない程優れており、最大七機のダミー機の遠隔操作が可能だった。
尾翼下部に魚のヒレの様な形をした広範囲レーダーを搭載している。着陸時に機体の内部に収納されたその部分が熱帯魚の『ソードテールフィッシィ』に似ている事から後に『ソードテール』との別称でも呼ばれるようになる。
エステルはじっとその機体に魅入っていた。
「気に入って貰えたかな?」
デュラン大佐の物言いが心の片隅で引っ掛った。
「一つ、お尋ねしても宜しいでしょうか?」
「何かね?」
「何故「自分」なのですか? 自分は既にS‐2のパイロットです」
「その事かね……」
エステルは黙って顎を引いた。
「これは先日完成した試作品だ。だが、「彼女」はどのパイロットの搭乗をも拒否した」
「彼女?」
エステルは訝しみ、眉を顰めて聴き返す。
「そうだ。そして、「彼女」は君を指名した」
デュラン大佐の澄んだグレーの瞳に、戸惑いを隠せないでいるエステルの姿が映っていた。
「じ……自分には、全く何の事だか……」
「では、こう言えば解るかね? 「彼女」は先だって死亡した有翅族の娘だよ」
(シャラ……!)
心臓がドキリと大きく脈打った。
膝がガクガクと笑い、その波動は彼の全身を震えさせる。 立っているのが精一杯だった。
「我々は遂に有翅族と生体融合した『ティンカーベル』を完成させる事が出来たのだよ」
デュラン大佐は自分の言葉に軽く酔っている様だった。
その傍らで、視線を逸らし肩を怒らせて、痛い程の両の拳を握り締めているエステルの姿があった。
デュラン大佐や他のスタッフも居なくなり、機体を照らす照明の光度が落されてもエステルはずっと『ティンカーベル』の前に佇んでいた。
「……シャラ……そこに居るのか?」
エステルはそっと機首に触れてみた。
金属特有のひんやりとした冷たい感触……
(いや、シャラはもう居ない……)
彼女を助ける処か、自分さえ救えなかった惨めな自分が、皮肉にも再び「彼女」と巡り逢えるとは思っても見なかった。
目の前が揺らめいた。
「……エステル……」
背後で聞こえたその声に、エステルははっとして顔を上げた。
慌てて袖で顔を擦る。
「シャラ……なのか?」
「お願い! ……怖がらないで」
振り返ろうとしたエステルを、柔らかな肉声が遮った。
「怖がる? 俺が? そんな事はないさ。でも、本当に……お前なのか?」
振り向いたエステルの視界に、淡い仄かな光に包まれたシャラの姿が浮かび上がった。
流れる艶やかな黒髪に、殆ど色素の無い白い肌。初めて出逢ったジャングルの奥地での少女とは全く異なった完成された女性のライン。その背には蜻蛉の様な薄い翅――
余りの美しさにエステルは一瞬息を呑んで気後れする。
「逢いたかった……」
長い睫に憂いを帯びた碧い瞳は、再びエステルと逢えた喜びに涙していた。
音も無く彼女の翅が震えたかと思うと、シャラはふわりと飛翔してエステルの胸に飛び込む。
(シャラ……)
彼女を自分の両腕で抱き留め様とした瞬間、彼女の身体は光の欠片になって飛散し、消えてしまった。
「……」
受け止め損なったエステルは、その両手を握り締めて俯いた――