2-1
初夏の陽射しを浴びながらのジョギングをこなす。やはりこの時期はクソ暑い。つらい。
だがなんとか耐えてアパートへ帰ってきた。
「ふぅ……。タイムは31分37秒。そうか、まあまあだな。」
ノス能力者となったのは去年だが、トレーニングの成果は確実に出ている。去年の今頃は8kmを32分ペースで走っていたが、近頃は31分30秒を達成できている。
それ以外にもベンチプレス、スクワットの際のウェイト重量も少しずつだが上げた。
やはりノス能力者になっても身体能力は変化するようだ。
「良かったなぁ。」
しみじみそう思う。ノス能力者になった当初は色々と不安もあったからだ。
だが、元々していたトレーニングを急にしないというのもかえって気持ち悪いということで続けてよかったと思う。
もっとも、相手が必要なスポーツ全般はやりたくても出来なくなってしまった。相手がいないからだ。
「……良くねぇなぁ。」
「おはようございます。」
俺が一人で落ち込んでいると大家さんの声が聞こえた。
「あ、おはようございます。」
顔を上げて応える。
大家さんは青髪で仮面をつけた男性だ。
……一応言っておくが、俺はまともだ。大家さんの状態がある意味で異常なだけだ。
そもそも、俺たちはノス能力者になったその日から姿形が変化してしまう。その変化は俺たちを全く別人に生まれ変わらせる。
それは時として人間の理に反することもある。例えば全身に鱗が生えるだとか、額に3つ目の目ができるだとかだ。
おそらくこの大家さんも容易に顔を出せない事情があるのだろう。
俺も元々は熊の様な大男で、髪も黒、顔はよくモアイ像のようだといわれていた。
だが今では小柄な優男。髪も真っ白だ。
「いえいえ、白というより銀ですよ、銀。キラキラとした銀髪で素敵じゃありませんか。」
「いや、そんなこと……今口に出してました?」
「はい。」
そうか。自分では全く気がつかなかったが、そういうことらしい。
気づかないうちに独り言を言うとは、どうやら俺はあまりまともでなかった可能性がでてきた。
「それより、これ、どうぞ。頂き物なんですがね、お嫌いじゃなかったら。」
「え、あ、はい。ありがとうございます。」
そう言って大家さんは俺に小さな箱を手渡した。
中には真っ赤なトマトが詰まっている。
「そうそう、岩崎さんのお向かいに人が引っ越してきたんで。」
「そうですか。分かりました。」
「それじゃ、また。」
用件を伝えると大家さんは自室へ戻っていった。
「あ、そうそう。」
「うわっ!?」
戻ったと思った大家さんがドアから顔だけ出して続ける。
「どうも近くのマンションで火事があったみたいですよ。岩崎さんも気をつけてくださいね。」
それだけ言うと今度こそ自室に戻っていった。
「なんだったんだろう。」
分からない人だ。
ともかく、自室である4階まで上がっていく。
向かいに人が引っ越してきたそうだし、挨拶もしなければならないな。
「やあ、お帰り孝ちゃん。」
仁王立ちで樹里が待っていた。
俺の部屋の向かいで。
無い胸を張りながらニヤニヤとこちらを見てくる樹里。正直うざい。
「その……なんだ。とりあえず後で話聞かせろよ。」
「そうさせてもらおう。」
後ろでは引越し作業が続いている。邪魔する必要もないし、藪を突いて蛇を出す必要もない。
ジョギングのせいだけではない疲労感を感じながら、自室へと引き下がるのだった。