支離滅裂
あの人から流れる温かいものを、僕は力いっぱい押さえつけた。
こうやって抑えておけば、皮膚がくっついて傷が塞がるんじゃないかって本気で思った。
ある人の突然の死に誰もが悲しんだお通夜の夜、僕はあの人に出会った。
「君、彼と仲がよかったのかい」
僕は返答に困った。そんなに仲良くはなかったし、話したことだって両手で数えられるくらいしかない。
僕は首を横にふった。
「じゃあ何故そんなに泣いているんだい」
周りからの思い出話、周りの人たちの泣き声、綺麗に飾られた会場で安らかに眠っているであろう亡骸。
全てが僕の涙腺を刺激していた、例え僕がそんなに仲がよくなかったのだとしても。
「それじゃあ君は悲しくて泣いているんじゃないのかい?」
僕が躊躇いながらも首を縦にふると、優しい笑みがかえってきた。
「そうかそうか。私はね、悲しくても泣けないんだよ。どうにもね、信じられないんだよ、彼が死んだなんてね。彼はね、とてもいい奴だった、この葬式を見れば一目瞭然だと思うがね。本当に素晴らしい奴だった。彼以外に、なんて失礼かもしれないがね、もっと死ぬべき人はたくさんいるんじゃないかと思ってしまうんだよ。世の中に潜んでいる殺人者とかね、たくさんいるのに何故、今、あんなに人に愛されていた彼なのかと、私は神を信じない質だかね、今日だけは神を呪ってしまったね。どっちがいいんだろうね、悲しくないのに泣いている君と悲しいのに泣けない私」
今思えばあれが合図だったのかもしれない。けれど、あのときの僕には分からなかった。
ただただ大切な人を亡くした悲しみに、うちひしがれているだけにしか見えなかった。
あの人の頭がもう狂い始めていたなんて、きっと誰も知らなかったろう。
「人の死はこんなにも突然訪れるものかね」
「そう、ですよね」
「君、ちょっと時間はあるか。頼みたいことがあるんだ」
どうしてだかわからない。ついさっき会ったばかりの怪しい人のお願いなんて、普段は絶対引き受けない。
けれど何故だかこのときは、首を縦にふってしまった。
引き受けなければならない気がして。
遠くの方でパトカーのサイレンの音がしても、僕はそこを動く気になれなかった。
温かかったあんなに赤々していた血は、抑えていた掌が動かないくらい固まっていてなんだか僕を逃がさないようにと、繋ぎ止めているみたいだった。
「さよなら、名前も知らないけれど」
そう呟いた刹那、僕の名前が呼ばれた気がした。