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剣華爛漫・思華繚乱

優等生の卒業遠足

作者: 彩文


 卒業遠足で来たテーマパーク。クラスメイトとアトラクションを楽しんでバカ騒ぎするには、言祝(ことほぎ)朔人(さくと)は中学校三年間を些か真面目に過ごしすぎたようだ。

 お高く止まっている優等生はこんなアトラクションに興味はないと勝手に思い込んだり、先日起こした喧嘩で恐怖したりしているのがクラスメイトの反応だった。誘われないのが嫌な訳ではない。混ざっていくことも誘いに行くことも出来ないわけではない。ただ、噂に踊らされて朔人自身をよく理解せずに距離を置くような奴らに混ざってバカ騒ぎをする必要性を感じないだけである。それに、距離を置かれている自分が入っていっても空気を悪くするだけだ。

 こうした考え方が、『お高く止まっている』という雰囲気を出し、嫌がられるようだ。そう考えてしまうのは仕方ない。考えてしまうのだから。

「せっかくの卒業遠足なのに、なんで孤立してんのよ」足を組んで仰け反り、ベンチに独り座る朔人を見かねて歩み寄ってきたのは、朔人の幼馴染である(みぎわ)双子姉妹の妹の方の(みぎわ)千鶴(ちづる)。彼女は朔人の右手にあるものを見て眉を顰める。「ブラック無糖……」

「何だよ」

「あんたさぁ、コーヒーといい、座り方といい、本当に中学生? 貫禄っていうか……もう加齢臭漂ってきそうな雰囲気してるわよ」

「うるせェ、人の好みに口出すな」

 千鶴から目を逸らしながら朔人はコーヒーを口に含む。この苦みがいいのに、どうやら千鶴はその良さがまだ分からないようだ。当の千鶴は溜め息をつく。溜め息をついて……ベンチに腰を下ろした。朔人の隣に座ったのだ。朔人は僅かに目を見張る。しかしその驚きを口には出さず、千鶴も何も言わなかった。

 まだ冷たい風が、人々の歓声を乗せて朔人と千鶴の頬を撫でる。先に沈黙に耐えかね口を開いたのは朔人だった。


挿絵(By みてみん)


「お前、さ。本気で歌手目指すの?」

 千鶴は目を丸くする。そう聞いた朔人の真意を知りたくて、千鶴は即座に朔人を向いたが、朔人は千鶴のことなど見ていなかった。その視線はどこか遠くに落ちている。そのことに胸を締め付けられながらも、それでも強気に口角を吊り上げた。

「何で? 反対? あたしは成功しないだろうとか思ってるの?」

 やたらたくさんの風船を持った着ぐるみを遠い目で見つめる朔人は眉間に皺を刻んで難しそうな顔をする。

「そうじゃねェけどよ。もしものとき……失敗したときとか、どうするんだよ。仕事やら金やら」

「そんなこと考えてたら本当に失敗しちゃうもん。そのとき考える」

 遠くのクラスメイト達がこちらを指差して騒いでいる。その内容の推測など容易だ。確かめるまでもない。

 あいつらやっぱり付き合っている……きっとそれか、その類の話だろう。

(勘違いは勘違いのまま……本当に付き合っているってことになっちゃえばいいのに)

 今ここでそう呟いたら、朔人はどんな反応をするだろうか。千鶴はそう思いながら、目を細めて騒ぐクラスメイト達を見遣る。どうやら朔人もその集団に気付いたらしく、溜め息をついて立ち上がった。ああして騒ぐ者達を見ると、クラスメイトの全員が全員恐れているようでもないらしい。恐れる者をからかうなど出来ない筈だから。

 歩きだそうとした朔人の学ランの袖を千鶴の手が掴んだ。

「なんだよ」

「話はまだ終わってないの」

 朔人はそうされるのを分かっていたらしく、千鶴が強制的に座らせる前に自主的に座った。面倒臭そうな顔をしながらも聞く姿勢を千鶴に示す。千鶴は、よろしい、と言わんばかりに頬を緩めた。

「サクは小説家になりたいんでしょ。映像化したら主題歌はあたしが担当してあげるから」

「お前の声に合うような清々しい小説書いてねェよ」

「やらしっ」

「やらしくねェ」

「じゃあ何よ、愛憎劇? そんなのを書いてるから独りベンチでコーヒーが似合う中学生になるのよ」

「独りベンチでコーヒーが似合う中学生の何が悪い。似合ってるんだからいいだろ」

「独りベンチでコーヒーとあんた、中学生とあんたって組み合わせなら大丈夫だけど、独りベンチでコーヒーと中学生って組み合わせはミスマッチなの。お分かり?」

「うわあぁ、どうでもよくなってきた」

 会話は途切れる。朔人と千鶴は視線を落とす。白い運動靴と黒いローファーがそれぞれ一対ずつ。堰を切ったように、二人は笑い出した。

 最近忘れていた、幼馴染と笑い合うこと。それも、他愛ない話で。でも、笑いも堪えられないような話で。昔のように、何も気にせず笑い合うことを忘れていた。家庭、学校、受験、人間関係の変化、そして、千鶴の朔人への思いの変化。朔人達を取り巻く状況は時を経るにつれて変化していて、朔人と汀姉妹の関係をぎこちなくさせていたのだ。

 一頻り笑った後、溜め息をつく朔人。今日で何度目だろうか。今まで朔人と汀姉妹を、否……朔人と千鶴を隔てていた壁が外れたことで、その壁がいかに脆かったかを知った。いかに脆かったかを知ったことで、自分達がいかに弱かったかを知った。自分達がいかに弱かったかを知ったことで、きっと、もう少し強くなれる。

「ねえサク、せっかくだから何か乗ろうよ」

「何かって何だよ。日本妖怪が出て来るお化け屋敷はないだろ」

「あったとしても行かないわよ! 絶叫マシーンは?」

「激しいのは好きじゃねェ」

「意気地なし」

「怖いんじゃねェ、好きじゃねェだけだ」

「じゃあさ」千鶴は立ちあがって遠くに回る巨大な輪を指差す。「観覧車とか」

 朔人は目を見開いて千鶴を見る。

「正気か?」

「サク、高いところ駄目だったっけ?」

「違うけどよ……」

 朔人は口ごもり、驚いたように自分を覗き込んでくる千鶴から顔を逸らす。

(ああいうのに男女が乗るって……恋人みてェじゃねェか。二人きりだぞ、二人きり。誤解されるぞ)

 次々と言葉が湧いてきて、喉まで上ってくる。しかし朔人はそれらの言葉全てを慌てて呑み込んだ。

 中々返事をしない朔人の横顔を見つめながら、千鶴はほんの少し遠い記憶に思いを馳せる。受験を控えた1月、押し付けただけの千鶴の言葉。あの空気が、あの静寂が、あの声が、一瞬にして甦る。



――――――――――――



 優等生言祝朔人がいじめの現場を目撃し、その犯人の女子生徒の彼氏である二年生の男子と殴り合ったという噂は、事件の翌日には広まっていた。しかもその二年生の男子というのが、そこそこ長身ながらも細身の朔人に対して、体格は良くガラは悪く、かなりタチの悪い相手で、喧嘩を止めるのに体育の教師すら手こずった、というのが広まる原因なのかもしれない。

 あの優等生が、あくまでも『他人でしかない生徒のいじめ』を目撃したくらいで、逃げる下級生の女子生徒を本気で追いかけ掴みかかるほどに激怒したことは噂が噂たる所以、謎でもあった。真面目な優等生だからこそ許せなかった、実は友達だった、などと様々な憶測がされていたが、朔人はそれについて特に何も言わなかった。面倒だったし、噂である以上喧嘩を起こしたのは事実だと言いたくもなかった。

 事実なのだ。一年生の女子生徒達は、朔人の愛妹の望をいじめのターゲットとしていた。だからこそ朔人は大事な大事な『あること』さえも忘れて制裁に及んだのだが。

「推薦、取り消し?」

 千鶴の問いに、テープやら湿布やらを顔に貼られた朔人はむっつりとした様子で頷く。

「……あれだけ止めたのに」

 好きな男の子に、自分から、胸も当たるほど密着して抱き付いて羽交い締め……恥ずかしく勇気のある行為をしてまで、下級生の女子生徒に殴りかかるという朔人の名が汚れてしまうような行為を止めようとしたのに。聞いた千鶴は朔人と同じようにむっつりする。

「何も言われなかった? 相手に」

 やはり朔人はむっつりした様子で頷く。良かったわね、千鶴は微笑むが、朔人のむっつりは直らない。

「ちょっと、聞いてるの? 不機嫌なのは分かるけどさ、もうちょっと愛想良くしてくれたって」

「口の中切れて痛ェんだよ、喋らせんな」

 なんだそういうことか、千鶴は一気に疲れて溜め息をつく。

「じゃあもう一つ聞かせて、高校どうするの?」

「一般入試。頭で何とかなる」

「何、その余裕。喧嘩売ってるの……?」

 痛みをこらえてわざわざ笑った朔人に苛立ちを覚えたりはしない。その笑顔すらも愛しいから。

「あたしは音楽系の学校行くわ。発声とか、そうだなぁ、作曲も習って、歌手……シンガーソングライターになるの」さすがに朔人は聞いてねェよ、なんて顔はしていなかった。せいぜい、ふーん程度の顔だった。「そして、好きな人への気持ちを歌った歌でデビューするの」

 好きな人なんていたのかよ、そう言わんばかりに目を丸くした朔人を見て、彼の腫れた頬を思いっ切りはたいてやりたくなる千鶴。朔人は本当に鈍感だ。

「……サク、怪我が痛むんでしょ? 今から言うことには返事はいらないわ」

 美鶴、あたしに勇気をください。せめて卒業する前に、言いたいの。言っておきたいの。美鶴が後ろにいて、背中を押してくれたような気がした。暖かい手に背中を叩かれた気がした。叩かれた衝撃でその言葉は、そのまま出てきた。


「あたしは、サクがすき」


 開きかけた朔人の口の前に、人差し指を持って行く。あたしは夢に向かって頑張るから、あんたも夢に向かって頑張って。



――――――――――――



『誤解されてもいいよ』

『サクとなら、いいよ。誤解されても』


 いじめの現場が視界に入ってくる寸前、朔人はそんな言葉を千鶴に言われた。修学旅行が終わってから、幼い頃のように『サク』と名前で呼んでくることを『恋人か何かと誤解されるぞ』と咎めた朔人に対しての答えだ。


 誤解されてもいい、その言葉の意味など、今なら容易に分かる。

 分かるからこそ、分からなかったあのときの自分を殴りたい。

 分かるからこそ、言葉を呑み込んだ。

 分かるからこそ、ため息をついた。

 分かるからこそ、立ち上がる。

「しゃあねェな」

「よしっ、行こ行こ!」

 立ち上がった朔人の手を取り、観覧車乗り込み口へ駆ける千鶴。クラスメイト達の丸い目が痛い。はやしたてる声が耳から侵入してきて、朔人の鼓動を掻き乱して暴れ回ったが気にしないことにした。千鶴の笑顔も朔人の苦笑も輝いている。朔人の先を行く千鶴のスカートは膝より長い。朔人は膝上丈よりも膝下丈を好むということを知っているからだろう。髪は短い。双子の姉美鶴との差別化を図り、個性を出してみたのだろう。

 朔人の手はしっかりと握られている。踏み出せないのか、踏み出さないのか、自分からは何もしない朔人を、逃がさぬように、引っ張るように。


 誤解されてやろう。お互いが夢に近付いている頃には、それは真実になっているだろうから。


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