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「ええっ、愛稀が!?」
凜から事情を聞いた遙は、素っ頓狂な声をあげた。
ここは、講義棟の一階に作られた学生の共用場所だ。がらんとしたスペースに幾何学模様のソファが並べられている。学生たちには主に、授業の合間におしゃべりをしたり、休憩したりする場所として利用されていた。
凜はこの場所で、昨日起こった出来事について話した。愛稀に吹き飛ばされたことなど突拍子もない部分は省略せざるを得なく、かいつまんで概要を説明する形となったが、それでも話を聞いた遙は、まるで彼女の身内であるかのように、顔面を蒼白にしてうろたえだした。
「どうしてこんなことに……。どうしよう。あの子にもしものことがあったら、私……」
「落ち着いて。悪いことが起こると決まったわけじゃない」
気休めの言葉だったことは否めない。愛稀の心理状態が尋常でないことは、明らかだった。その一方で、いま遙が想像以上に狼狽していることも気がかりに思った。何か思い当たることがあるのかもしれない。
「ひとつ気になっていることがあるんだ」
「何ですか……?」
「これ、覚えてるよね」
凜は例のチラシを遙に見せた。遙の表情が変わったのを彼は見逃さなかった。
「やっぱり、何か心当たりがあるんだね」
「……まさか。いや、でも、そんなはずは」
「頼む、どんな些細な情報でもいい。思い当たることがあるなら、教えてくれないか」
遙は観念したように目をつぶった。
「分かりました。実は私、この団体に関わっていたことがあるんです。いえ、私だけじゃなく、愛稀も――」
遙は、事の経緯を話しはじめた。遙の話は次のようなものだった。
昨年のこと。
遙はキャンパス内で、とある男子学生から、交流会に参加しないかと誘われた。その頃は学内で科学真理研究会の勧誘活動が活発に行われていたのだった。だが、当時入学したばかりの彼女は警戒心をもつことはなく、これも大学生活におけるひとつの経験だと参加を決めた。
指定された日時に指定された会場を訪れると、そこにはK大の関係者ばかりでなく、他大学の学生や社会人など、若者を中心にたくさんの人間が集まっていた。
会は、世間をにぎわせている社会問題や事件、不可思議な出来事など、数多なカテゴリーの中からテーマをひとつ決め、皆でディベートをする、というものだった。要は、政治家や有識者たちが行うような討論を、学生を含めた若い世代の人間が行う、というコンセプトだ。
各々がそれぞれの専門分野の知見をもって意見を言い合い、話は大いに盛り上がった。
その中で、遙はとある人物に興味をもった。それは、この会のリーダー的存在で、K大のOBでもあるという、四華 良哉という男だった。
四華はとても聡明で社交的であり、参加者から話を引き出すのも上手で、自らの指摘もズバリと的を射ている。遙はそんな彼がとても魅力的に思えた。
ディベートの後は、お酒やジュース、簡単なオードブルを囲んで、各々がざっくばらんに語り合う親睦会があった。遙はこの機会に四華ともっと話がしたいと思ったが、たくさんの参加者がいる都合上、満足に話せたわけではなかった。
勉強会は、週に一回くらいのペースで行われている。四華さんにまた会いたい、できればお近づきになりたい――と、遙は今後もこれに参加しようと思った。けれども、自分の下心が相手に知られたらと思うと気が引ける。
それで、カムフラージュのため、声をかけたのが愛稀だった。
愛稀は遙の誘いを二つ返事で承諾した。しかし、いざ参加してみると、集団慣れしていない愛稀は、他人の輪の中に入っていったりすることがなかなかできず、ただまごつくばかりであった。
実は、これは遙の目論見通りだった。彼女が格好悪いところをみせてくれれば、自然と隣にいる自分の評価は上がる。さらに、「親友として、人付き合いに慣れない愛稀に、集団の場を経験してもらいたいと思った――」などと、連れてきた理由をでっちあげれば、「友人思いな人物」という良い印象を周囲に与えることもできるだろう。四華からの好感度も上がるに違いない。
いわば、彼女は愛稀を自分の引き立て役として呼んだのだ。
(愛稀には悪いけど、今回は利用させてもらおう――。これまで私が色々と世話を焼いてあげてきたんだし、このくらいはまあ許されるでしょ……)
遙は内心そのように考えていた。
ところが、事態は遙にとって予想外の展開となる。
四華がよりによって、愛稀の方に関心をもち出したのだ。
会の開催を重ねるに従って、四華が愛稀に話を振る頻度は増していった。
当然、遙は面白くない。目をつけた相手が、友人に興味を示し、自分の方をまったく見てくれないのだ。けれども、愛稀に嫉妬の感情を向けるのも、自分の嫌な性格を自分で認めてしまようで、躊躇われた。
そんな遙の思惑など知る由もなく、愛稀はどんどんこの会にのめり込んでいく。純真無垢な瞳で、世界の真理を探求することに夢中になっているようだった。四華も、そんな彼女に最も目をかけるようになった。
そんな愛稀とは対照的に、よこしまな気持ちで会に参加していた遙は、自分が恥ずかしくなり、徐々に居心地が悪くなってしまった。会に参加する頻度も自ずと減っていった。
科学真理研究会が宗教関連の団体であると遙が知ったのは、そんな矢先のことである――。
「この会って、実は宗教勧誘のために行われていたらしいよ」
とある参加者から、そんな噂を聞いたのだ。当初、まさかとは思ったものの、一部の参加者や運営スタッフの様子を改めて観察してみると、確かに怪しいかも……と思えるようになってきた。
時おり、彼らの目つきや表情に不穏な影がちらつくことがある――。
彼らと何気なく会話をしている時に、話の流れで「世界の真理」や「精神世界」といった言葉が飛び出してくることにも気づいた。いままでは気にすることもなかったが、いざ疑ってみると、一つ一つの事柄が怪しいと思えてくる。
当初は疑惑程度のものだったが、やがて視界の解像度が上がっていくように、遙は科学真理研究会が本当に信仰宗教団体を母体に運営されていると、はっきり知ることになる。その上位団体は、“コスモライフ”というらしい。この勉強会自体、そこへの勧誘目的で行われているものであり、会の中でしばしば耳にしていた「精神世界」という言葉は、教団が信じ教義の中核に据えている概念だったのだ。
それで、もともと足が遠のいていたことを口実に、フェードアウトする体で会への参加をやめることにした。
だが、この頃にはもう、愛稀は自ら積極的に会に参加するようになってしまっていた。彼女の目を見ても、科学真理研究会に傾倒してしまっていることは明らかで、今更引き戻すことはできないと思った。
遙は、自分が蒔いた種ながら、愛稀をその場置いたままにしてしまったのである。たまに会っても、自分から科学真理研究会の話をすることもなければ、愛稀から話を振られても意図的に話を変えるようになった。
親友を沼の中に残したまま、自分だけが這い上がってきてしまったのである。
「なるほど」
遙からひととおり話を聞いて、凜は呟いた。
「四華さんと付き合いたいとかそういうことじゃなかったんです。でも、愛稀をだしに使おうとしたのは確かだし、愛稀が四華さんに気に入られたことは、やっぱり許せないという気持ちもあって……」
遙は「私のせいです」と泣きそうな声で呟いた。しかし、凜はそんな彼女に対し、そこまでの嫌悪感は抱かなかった。結果はどうあれ、意中の人の気を惹きたいと思った彼女の行動には、ある種の合理性が感じられる。凜にも、何としてでも手に入れたい女性がいたのだ。
それに、遙がその場に引き連れたことは確かだとしても、そこに傾倒していったのは、誰でもない愛稀本人の責任であると思えた。
「しかし、なぜ四華という男は、愛稀にそこまで執着したのだろう」
単に外見に惹かれたからだろうか。しかし、その点でいえば遙だって、客観的にみて十分整った容姿をしている。そういう理由ではないのかもしれない。
「はっきりとは分かりません。ただ、四華さんは、愛稀のことを『とても素晴らしい素質がある』とか『君のような人間が来るのを待っていた』などと、やたらと褒めちぎっていました」
「そこまでの発言を彼女はしていたの?」
「いいえ。私はそのようには思えませんでした。いつものようにまとまりのない話しかしてなかったと思います。昔見た夢の話とか――」
「夢の話?」
「あの子、とらえどころのないような話を、突然することがあるから」
凜は、四華が愛稀に注目した理由については、いったん保留にすることにした。
「実のところ、彼女はいまでも科学真理研究会と関わりがあるのだろうか」
「はっきりとは分かりません。私もあれ以来、愛稀とはちょっと疎遠になっちゃって……。たまに会ったりしても、自分からその話をすることもなかったし、愛稀も私の態度にピンとくるものがあったのか、次第にその話題をしかけることもなくなってきて――」
いったん遙はここで話を切った。一息ついてから、「でも――」と、再び話しはじめる。
「私が見る限りでは、あの子ののめり込み方は相当なものでした。やっぱり、すっぱりと関係が切れたとは思えない」
「なるほど。何といったかな。科学真理研究会の母体となる宗教団体の名は」
「コスモライフです」
「愛稀がそのコスモライフに入信している可能性は高そうだ。一度、調べてみる必要があるな」
「助かります。でも――」
「どうした?」
遙は不思議そうに首をかしげながら言った。
「どうしてそこまでしてくれるんですか? まだ数回会った程度の相手なのに」
遙の言葉に、凜は確かに――と思った。愛稀と会ったのはたったの三回。それも、最初はコンパで少し言葉を交わしたのみであり、深く話をしたのは二度目に会った時だけだ。三度目に至っては壁にたたきつけられている。なのに、なぜここまで彼女のことが気にかけるのかと問われたら、彼は自分の動機をはっきりと説明することはできなかった。
「乗りかかった船さ」
とだけ、凜は遙に応えた。




