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夢の螺旋  作者: Tomokazu
第二章
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 ふたりは繁華街のレジャービルの二階にあるカジュアルバーに足を運んだ。


 入店して窓際のテーブルに対面で座り、雷也はジャック・ダニエル、凜はジョニーウォーカー・ブラックを、それぞれロックで注文した。

 ウイスキーが届くと、雷也はグラスをひょいとつまんで、乾杯もすることなく飲んだ。彼はしきたりにとらわれないところがあった。


「まったく……あんなくだらないディスカッション、何時間もやりやがって」


 雷也は吐き捨てるように言った。先ほどのセミナーの件だろう。


「そうですか? 僕には興味深かったですが」


 いかにも優等生じみた返しを凜はした。けっ――と雷也は面白くなさそうな顔をした。


「あんな研究、真面目ぶって討論する価値もねえよ。こうやってお前と酒飲んでる方がいいぜ。双葉のオッサンも、昔は優秀だったというが、耄碌したもんだ」


 双葉はウイルス研究の大家として、一目置かれる人間であったが、そんな人物に対しても雷也の毒舌ぶりは変わらない。彼は常に高慢な態度で、年上・年下関係なく、他者を見下した言動をとるところがあった。それは彼の未熟さの現れというよりは、揺るぎない自信に裏打ちされているようだ。


「そもそも、科学ってものが何なのかを、奴等は分かってねえ」


「そうですかね」


「ああ。お前は、科学の本質って、何だと思う」


「そうですね――この世の真理を、人間たちが説明できるような論理で体系化したもの、といったところでしょうか」


「ざっくりすぎる回答だが、外れちゃいない。よく、科学で説明できない事柄に対して、嘘だとか信用ならない、とほざく輩がいるが、馬鹿の極みだ。科学なんてのは、人間がこしらえた後付けの理屈だからな。あいつらは、それが分かってねえんだよ。自分たちがいちばん真理に近い立場の人間だと思っていやがる。思い上がりも甚だしいぜ」


「それを響さんが言いますか」


 雷也に対しては、凜も遠慮がない。いまのは、彼があたかも己が正解とでもいうような物言いをしてくる事に対する皮肉の言葉だった。


「うるせえ」


 と、雷也は早々にウイスキーを飲み干し、店員に向かってグラスを高く掲げた。


「おい、おかわり。ダブルでくれ」


「何かつまみますか」


「お前、好きなのを頼め。俺は何でもいい」


 雷也にグラスを運んできた店員に、凜は自分のウイスキーのおかわりをダブル、あとミックスナッツとフィッシュアンドチップスを頼んだ。雷也がまた口を開いた。


「そういや、お前の近況はどんな感じなんだ」


「何についてですか」


「研究だよ。『STR配列の生物学的意義』。今や、あのテーマを深掘りしている奴は、俺の知る限り、お前ぐらいのもんだぜ」


「もともと、STR配列は、石山教授と双葉教授が協力して発見したものだそうですね」


「ああ。しかし、双葉はもう、そこにはあまり関わっていない。石山は俺たちの間では変人なんだ。知ってるか、もともと石山の家系は医者の一族なんだぜ。隣町には石山の兄貴が経営していた病院もあったそうだ」


「聞いたことがあります。数年前にお兄さんが亡くなって、閉院になったんですよね」


「兄貴のみならず、石山本人ももともとは医学畑だったんだ。それがなぜか理学研究者に転向して、基礎研究に従事している。しかも、そのきっかけとなったSTR配列は、発表当時多くの研究者らにジャンクDNA(※意味を持たないDNA領域)だと決めつけられ、見向きもされなかったそうだ」


「僕は、あれがまったく意味をもたないとは思えません」


 凜の言い方は静かであったが、その声には信念のようなものがこもっていた。


「ほう。なぜそう思う?」


「配列に領域特異的に結合するタンパク質群が見つかっています」


「STR因子群のことだな」


「そうです。生体に何かしらの影響をもちうる可能性は高いと、僕は思います」


 STR因子群を構成するタンパク質の中には、DNA複製や転写といった他の遺伝学機構に関わるものもあれば、他に機能が見つかっていない新規のものもあった。いずれにせよ、そのような因子がSTR配列に集まり、複合体をつくるということは、何か生物学的な意味があるに違いないと、凜は考えていた。


「どんな影響を与えるんだと思う」


「まだ、そこまでは」


 凜の返答に、雷也は呆れた風で言った。


「あのな、研究ってのは行き当たりばったりでやっていいもんじゃない。先の展開を想像力も駆使して考えるのは、実験を進めるうえでの基本だぜ」


 雷也は苦言については、凜もすでに了承済みであった。ゴールを示す仮説を立てておくことは、研究において必要不可欠なことである。だが、凜はまだSTR配列やそれを起点にして生じるSTR機構の存在意義について、具体的な仮説を立てられずにいた。その理由として、まだそれを考えるに足る実験結果が揃っていないというのがあった。


「どんな仮説が考えられるでしょうか」


 試しに、凜は雷也に訊いてみた。


「本来、それはお前が俺に聞かせるべき話なんだけどな。まあいい。考えるヒントぐらいは与えてやろう。――こういう説はどうだ。STR配列は近年では幻の領域だが、かつてはもっとたくさんの者が保有し得るものだった」


「古くはもっとたくさんの人が保有していた――ですか。なぜそのように?」


「STR配列を保有するとされる人間の割合は世界でも極めて少なく、完全な状態で保存されている例はほとんどない。この事実に、俺は着目した」


「どのように?」


「ひとつたとえ話をしよう。創業百年になる老舗の焼き鳥屋があるとする」


「なぜ焼き鳥なんですか?」


 いちいち質問を重ねる凜に、雷也は少しうんざりした顔をした。


「たとえ話だと言ってんだろうが、ちょっとは黙って聞け。その店は創業者が開発した秘伝のタレの味が売りで、創業当時からある壺の中に、そのタレをつぎ足しつぎ足しで作り続けている。いわば、百年前の創業者の味を現代に残す、こだわりのタレというわけだ。――さて、ここで問題だ」


 雷也はようやく凜に話を振った。


「いま現在、その壺の中に、創業者が作ったタレは、実質どのくらい残っていると思う」


「ほとんどないんじゃないでしょうか。どのくらいの頻度でつぎ足されてきたかにもよりますが、ゼロに近いのでは?」


 凜は即座に答える。


「その通りだ。弟子が新しいタレをどんどんつぎ足していくんだから、創業者が作った頃のタレは薄められて、今となってはほとんど残ってないはずなんだ。だが、その店では、客にこうアピールする。創業者の伝統が今でも味わえる――とな。俺たち生物の遺伝にも同じことが言えると思わないか」


「世代が進むにしたがって、そもそも祖先がもっていた遺伝情報は薄められてゆく――と」


「そういうことだ。祖先がAという遺伝子をもっていたとして、その遺伝子が子、さらに孫、ひ孫――と、子孫に受け継がれていく確率は、どんどん小さくなっていく」


 それは、メンデルの法則に代表される、基礎的な遺伝学の概念だった。ここまで聞いて、凜は雷也の言わんとしていることが分かった気がした。


「STR配列にも同様のことがいえるということですね」


「そうだ。STR配列をもっている奴がいたとして、そいつがSTR配列をもたない奴と子を成す。さらにその子がまた結婚して子供を作る――。それが繰り返されれば、STR配列を受け継ぐ人間の割合は極めて低くなるわけだ。組み換えやトランスポゾン(動く遺伝子)という機構を考えると一概にはいえないかもしれないがな」


「つまり、古くはSTR配列をもつ人間は今よりも居たけれど、交配を続けることで淘汰されていった――と。じゃあ、STR配列は何のために存在していたのでしょう?」


「そこだ。太古の昔に生きていた連中にあって、今の人間に失われてしまったものって何だ」


 雷也の問いかけに、凜は答えとなるある単語が浮かんだ。次の瞬間、いやまさか、とそれを否定する。非科学的だと考えたからだ。しかし、一方で、あることを思い出してもいた。先日の愛稀の言葉だった。



 ――太古の昔は、神の力で奇跡を起こせる人が今よりもたくさんいたんだって。



 あの時は、馬鹿馬鹿しいと感じて、あまり取り合わなかった。だが、STR配列の存在意義と照らし合わせた時、彼女の言葉がやけに意味のあることのように思えてきた。


 人間には五感というものが存在する。それらは、脳機能や感覚神経・感覚器官という生理学的な機構で成り立っていると証明がなされている。しかし、人間にはその五感を超越した第六感というものが存在するという説もあり、それは神経ネットワークで説明できるものではない。仮に、愛稀のいう「神の力」が、第六感に関わるものであり、それがSTR配列によって担われているのだとしたら――。

 と、そこまで考えて凜は自嘲気味に首を振った。あまりに荒唐無稽だ。非科学的な発想に至るのは、論理的思考がまだ浅いことの表れだ。しかし、凜はたった今浮かんだこの考えを捨てきることはできなかった。さらに不可思議なのは、石山に渡された例のサンプルの解析結果である。



 ――あのサンプルは一体、誰から採取したものなんだ。



 凜の脳裏に、愛稀の姿が映し出されてきた。なぜこのタイミングで、彼女のことが浮かんでくるのか分からなかった。


 その時、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが振動をはじめた。考え込んでいた矢先のことだったので、凜は少し驚いた。振動はすぐにはおさまらず、ブーッ、ブーッ、と一定のリズムをもって起こり続けている。メールやメッセージの通知などではないようだ。


「電話だ――」


 と凜はつぶやいた。だが、その時、電話は鳴り止んでしまった。スマホを手に取り、ディスプレイを見る。着信元の情報が表示されていた。


「愛稀――」


 凜は思わずつぶやいた。


「ん、どうした?」


 と、雷也が訊いてきたところで、店員がフードを運んできた。タイミングの悪さに雷也は不機嫌そうに顔を背ける。プレートをテーブルに置く店員に、凜は軽く頭を下げた。なお、凜が先ほど注文したウイスキーは、前に別の店員が運んできてくれている。


「――で、誰からだったんだよ」


 雷也は改めて言いつつ、フィッシュアンドチップスのポテトを無造作に指でつまんで口に放り込んだ。


「友人ですよ」


 と、凜は答えた。


「友人だぁ? お前がか」


 雷也はあからさまに眉をひそめて言った。失礼極まりないが、凜も自分が一匹狼である自覚はあるので、文句は言えない。


「しかもお前、さっき“アキ”とか言ってなかったか。もしかして女か」


「まあ」


 凜が肯定すると、雷也はにちゃっと可笑しそうな笑みを作った。


「友人ってのも驚きだが、それが女とはな」


「響さんが想像しているような相手ではないですよ」


 凜はそう言ってロックグラスを手に取り、ウイスキーを飲んだ。だが、相変わらず雷也はニヤニヤ顔をこちらに向けたままだ。凜は若干のうざったさを感じた。雷也は女性に対する関心が人一倍強いのだ。そんな彼の特徴は、凜にとっては唯一、彼に対して一切の共感をもてない部分でもあった。


「電話、かけ直してきます」


「ここで話しても俺は構わないぜ」


「僕が嫌なんですよ」


 凜は席を立ち、扉の方まで歩いて、店を出た。扉を閉めると、耳のあたりがわずかばかり穏やかになる。店内では結構な音量で80年代の洋楽が流れていて、騒々しさを感じていた。音が完全に遮断されたわけではないが、電話するには問題ないだろう。

 スマホの履歴から彼女からの着信を示す表示をタップして、本体を耳に当てた。思えば、遙から愛稀としばらく連絡がつかないと聞かされて、彼女にメッセージを送っていたのだ。しばらくの間「既読」はつかなかったのだが、彼女はようやくメッセージを見て、電話を返してくれたのだろう。

 やがて、コール音が途切れ、向こうの空間とつながったような感覚があった。


「もしもし」


『…………』


 だが、返事はない。もう一度、電話口に向かって声をかけた。


「もしもし、愛稀か?」


『…………あ、もしもし』


 彼女にしては、やけにトーンの低い声だった。


「さっき電話をくれたみたいだけど」


『メッセージ見たの。心配かけてごめんね』


 と愛稀は答えたが、やはり声に覇気がないのが気になる。じめっとしたような、か細く消え入りそうな声だった。未だ耳元に残る弾むような明るさが、陰湿な暗がりのような情景に奪われていくように――。


「大丈夫か? 元気がなさそうだが。何かあったのか?」


『…………』


「君の声を聴く限り、普通だとは思えない。どうしたんだ」


 途端、プツンと電話が切れた。凜は電話をかけ直してみる。だが、応答はなかった。


(何かがあったことは間違いない)


 遙の不安が的中したことになる。どうしようかと考えて、愛稀の家に直接行ってはどうか――と思い至った。つい先日、彼女を送ったので、場所は分かっている。単身住まいの女性の家にいきなり行くのもどうかとは思ったが、そうは言っていられない状況のような気もした。何となく、彼女のことをどこか他人とは思えない自分がいた。自分の席に戻った凜は、雷也に言った。


「すいません、ちょっと行かなきゃならない用事ができました」


「あの女か?」


 雷也は面白がって訊いてくる。


「そうです」


 とだけ凜は応えた。何をどう説明しても、彼からの誤解は解けないだろう。


「行ってやれよ。“据え膳食わぬは男の恥”だぜ」


 ジェンダーレスが叫ばれる昨今に、男だの女だのと、雷也は意外と前時代的な物言いをする。彼の考え方に賛同するかはともかく、「ありがとうございます」と凜は応えた。

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