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研究室に戻った凜は、デスクに置いてある印刷用紙を手に取り、それを眺めた。
午前中に解析を終えたばかりのデータが印刷されているものである。
「うーん」
と思わず唸り声をあげた。
そこに示されているのは、石山から先日追加で渡されたDNAサンプルの解析結果である。STR配列の検出がポジティブになっていた。だが、前に解析したサンプルと比べるとシグナルは弱く、保存度も低いようである。
だが、いずれにせよ、石山から渡されたサンプルの双方に、STR配列の存在が確認できたことには変わりはない。一体これが何を意味するのか、石山はなぜ凜にこれらの解析を依頼してきたのか――真意は未だに謎のままだった。
「おーい」
考え込んでいる凜の背中で、ふと声がした。はっとして振り返ると、そこには同じく院生の州崎が立っていた。
「どうしたんだ?」
と、凜が尋ねる。
「そろそろ行かないと」
「ああ、そうだった――」
これから、当ゲノム高次機能研究室と、医学研究科のウイルス学研究室とで、合同セミナーが行われることになっていた。
「――にしても、えらい一心不乱に考え事をしていたっぽいな」
「まあ。実験の結果について、考察をしていたんだ」
「考察? そういえば、石山教授にサンプルの解析を頼まれてたんだっけ」
「ああ。でも、これが何を意味するのかが、よく分からないんだ。石山教授に聞いても、自分で考えろ――って言われるしさ」
「それは、教授がお前に期待してるってことじゃないのか。認めるのも癪だが、お前、研究のセンスだけは相当あるからな」
「そんなことはないよ」
「謙遜するこたないだろ。第一、お前この先は博士号を取って、研究者の道に進みたいと思ってんだろ」
「まあ、できることならね」
それみろ――とでも言いたげに、州崎は笑った。
「まあ、俺は修士取ったらさっさと就職しようと思ってるから何でもいいけどさ」
ここで、州崎は快活だった声を少し潜めた。
「――でもお前、もしここの研究室に残るつもりなら、気をつけた方がいいぜ」
「何がだ?」
「石山教授はともかく、上島助教だよ。あの人、お前のことをずいぶん嫌ってるっぽいし」
「そんなことはないだろう」
「いや、俺たち他の学生と、お前とじゃ明らかに態度が違うぜ。お前の優秀さに嫉妬してるのかもな」
「まさか。気にしすぎだよ」
州崎が警告するも、凜はあまり意に介さない様子だ。州崎は呆れたように軽く息をついた。
「まあ、お前ぐらいの図太さがあれば大丈夫だろ。とにかく早く行こうぜ。もうそろそろセミナーがはじまっちまう」
「ああ、そうだな」
凜は応えると、実験データがプリントされた紙をダッシュボードに直し、代わりにセミナー用のノートと筆箱を手に取った。
ウイルス学研究室の双葉 繁は、凜たちのボスである石山と同級生で、医学生物系の研究に携わる同士でもあった。凜の研究テーマであるSTR配列も、もともとはふたりが院生だった頃に、協力して発見したものだという。今でも、研究を通じて交流する機会は多い。
合同セミナーでは、互いの研究室の学生が代表で一人ずつ出て、それぞれの研究内容とその成果を発表することになっていた。ゲノム高次機能研究室からは、博士課程の学生が、DNA組み換え修復に関する研究成果について発表した。対して、ウイルス学研究室からは、同じく博士課程の学生より、当研究室のメインテーマである人工合成ウイルスの研究開発の進捗についての話があった。
発表の後、全員で質問や意見を言い合うディベートが行われる。教員・学生かかわらず、それぞれが自分たちの疑問を投げかけたが、なかでも石山と双葉の発言数は誰よりも多く、他の面子そっちのけで議論をするような場面もよく見受けられた。
面長で切れ長の目をしている石山とは対照的に、丸顔でぎょろりとした大きな目が特徴の双葉。タイプが違うのは顔つきだけではなかった。双葉は態度が尊大なところがあり、石山の見解に対し、おもむろに自分の主張をかぶせてくる。それに対し、石山は双葉の指摘のアラを見つけてはそこを突いてゆく。真正面からマウントをとる双葉に対し、石山はカウンターで攻める。互いの戦法に違いはあれど、研究に対する情熱は互いに負けず劣らずのところがあるようで、議論は白熱した。
予定時間をかなり延長し、セミナーが終了したのは夕方になった頃だった。凜はセミナールームを出ようと、資料をまとめて立ち上がった。そこに、ひとりの学生が近づいてきた。
「よお」
と、手をあげて挨拶する。
「こんにちは、響さん」
と、凜も応えた。先輩の響 雷也だった。
雷也は医学研究科の博士課程に在籍する学生だが、見た目はそれに似つかわしくなく、奇抜な格好をしていた。金色に染め上げた頭髪を逆立て、瞳にはグリーンのカラーコンタクトレンズを入れている。身体にはロングコートを纏い、つま先の尖ったブーツを履いていた。夜の歓楽街がしっくりくるような身なりである。
「お前、この後、何か予定あるか」
と、雷也は聞いてきた。
「いえ、特には」
「なら、久々に一杯ひっかけねえか」
「いいですね」
外見も振る舞い方も正反対のふたりだが、なぜか馬が合うようだった。酒好きという共通点も手伝って、つるんで夜の街に出ることも度々ある。凜にバーの面白さを教えたのも彼だった。最近は互いの都合が合わなかったが、今日はせっかくの機会だ。




