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夢の螺旋  作者: Tomokazu
第一章
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 バーは、細い路地を抜けたところにあった。


 木製の扉を開けると、シックな様相の店内が広がった。凜と愛稀は、カウンターの端の席に座った。まだバーにしては早い時間帯であり、客はふたり以外にはいない。


「何にしましょう?」


 バーテンダーが注文を聞いてくる。凜は、バックバーに並ぶボトルの中から、目についたシングルモルトスコッチをロックで指定した。学生の身分でも比較的求めやすい価格ながら、コストパフォーマンスが高く評判が良いため、おおかたどこのバーでも見かける一本である。


「君はどうする?」

 と、凜は愛稀に訊いたが、

「どうしよう……」

 と、愛稀はあっけにとられた様子で呟いた。


「飲みやすいフルーツ系のカクテルなどいかがでしょうか?」


 というバーテンダーが提案してきた。このような客の対応には慣れているのだろう。愛稀は「じゃあそれで」と彼に従った。


「こういうところ、はじめて――」


 愛稀はなおも緊張した様子である。洋酒好きである凜は、バーという業態の店には以前より足繁く通っていたが、愛稀にはいささか敷居の高さを感じさせる場所だったようである。場所を間違えてしまっただろうか。彼女が楽しくなさそうであれば、一杯だけ飲んで解散しよう――と凜は思った。


 だが、そんな凜の心配は、杞憂に終わることになる。


 やがて、愛稀の目の前に、鮮やかなオレンジ色の液体が入った丸形のロックグラスが置かれた。ピーチリキュールとオレンジで作るファジーネーブルというカクテルだ。それをひと口飲んだ瞬間、愛稀は目を見開いた。美味しさに喜んだらしい。以降、彼女はすっかり気を良くしたようで、饒舌にぺらぺらと喋るようになった。


「バーでそんなにはしゃぐもんじゃない。ちょっと落ち着け」


 凜が釘を刺すと、彼女はすんと背筋を伸ばして黙るが、すぐにまた喋り出し、注意されたことを忘れてしまったかのごとく声が大きくなってくる。それを凜がまた窘める。そんなことが繰り返された。

 バーテンダーは、ふたりを少し離れたところからそれとなく見守っていた。まだ他に客がいなかったので、多少騒がしくするぐらい構わないと判断したのだろう。


 ひっきりなしに話し続けていた愛稀だが、一時黙ったので、そのタイミングをみて凜は再びオールドファッションドグラスに口をつけた。話し込んでいたせいで、氷が溶けてウイスキーの味が薄まっている。愛稀はウイスキーを啜る凜の横顔に少し紅くなった顔を向けていた。


「凜くん、かっこいいね」


「どうした。藪から棒に」


「だって、バーの空間に雰囲気がぴったりなんだもん。オトナって感じ」


「酔ってるからそう思うだけさ」


 凜の口調はいたって冷静だ。


「こういうところにはよく来ているの?」


「ああ。きっかけは先輩に連れてきてもらったことなんだけどね。そこで良いなと思って、そこからはひとりでよく通うようになった」


「彼女とかはいるの?」


「いいや」


「そうなんだ、意外」


「いたら君とこんなところには来ない」


「硬派なんだね」


「どうなんだろうな。誰かと付き合ったことがないからよく分からないが」


「そうなの。今までずっと?」


「ああ」


「好きな人は……」


「いるにはいるけどね。ただ、結ばれることは絶対にない」


「その人に別のいい人ができちゃったとか」


「そうじゃない。すでにこの世にいないんだ」


 凜はの想い人とは、今も昔も武崎 彩に違いはなかった。彼にとっては初キスの相手でもある。ただ現在、彼の思いが報われることはなくなってしまった。愛稀が想像したように、他に決まった男性が居るとかであれば、奪ってでも自分のものにする選択肢もあり得ただろう。だが、問題は彩がすでにこの世には存在しないということである。凜がK大に入学して間もなく、彩はその若い命を自ら散らしてしまった。

 凜はそのことを端的に愛稀に告げた。愛稀は「そっか……」と寂し気に呟いて、さらに凜に訊いてきた。


「でもでも……別の人を見つけようとは思わなかったの?」


「ないな。未練がましいと思うかもしれないが、彼女を超える人は現れていないし、今後現れることもないだろうと思う。無理をしてそんな相手を探そうとも思わない」


 言い終えて、「なぜだい」と凜は愛稀に問い返した。愛稀は頭の中にある答えを探るように、首をかしげてみせたが、やがてあっけらかんとした様子で応えた。


「――いや、別に。なんとなく、かな?」


 人に決して軽くはない過去を喋らせておいて、「なんとなく」とは酷いものだ。凜は仕返しをすることにした。


「今度は君のことを教えてもらおうか」


「私のことって?」


「付き合っていた人とかはいないのか」


 うーん、と愛稀は腕を組んで考えるそぶりをみせてから言った。


「地元にいた頃にひとりだけあったかな」


「どんな人?」


「オトナな人だった。けど、結局は弄ばれる感じになっちゃった」


「騙されやすいタイプかい」


「どうなんだろ。人と関わるのが得意じゃないのかな、とはよく思う」


 遙が以前、愛稀について似たようなことを言っていたのを凜は思い出した。


「私の故郷は、海辺の小さな田舎街で、狭い環境だからか、人々の結びつきが強くて、学校や地域でも連結感みたいなのがあった。でも、私はひとりでいることが多かったの」


「いじめられていたとか」


「まさか。みんな、いい人たちだよ。ただ、やっぱ人それぞれ相性ってあるでしょ。私は、どうしてもみんなと馴染めなかったんだ――」


「間宮さんとは?」


「遙ちゃんは別。同世代の子のなかで、唯一私にずっと付き合ってくれた。でも、遙ちゃんは私以外の子とも仲が良かったし、いつでも一緒ってわけにはいかなかったかな」


「君も十分明るいし、社交的だと思うけどな」


 凜は彼女がそこまで人づきあいができない性分だとは思えなかった。性格は確かにつかみどころのないところはあるが、明るく天真爛漫なところは好感をもてたし、内面にまっすぐな純粋さも感じられた。外見に至っては、やや小柄ではあるが、顔立ちやスタイルはどちらかというと良い方の部類だろう。服装や髪型といった身だしなみは要努力の部分がありそうだが、それも本人次第で十分のびしろになりそうだ。


「あと、もう一つ。あの頃の私には、コンプレックスがあったの」


「何?」


 愛稀は両手で自分の頭の両端を押さえて、語気を強めた。


「髪の毛! 私ね、すっごい癖っ毛だったの」


「確かに少し跳ねてるね」


「直したんだよ、これでも。都会に来るのに、変な髪型してたら田舎者だと思われるかと思って」


 愛稀はいじけたように唇を尖らせる。本当に苦労していたようだ。愛稀のいかにも深刻そうな様子に、凜は思わず笑ってしまった。


「何で笑うの?」

 と愛稀は非難の声をあげる。凜は愛稀に向けて手を挙げて言った。


「いや、すまない。馬鹿にするつもりはないんだ」


「本当に悩んでるんだからね」


「女の子だし、男である僕より外見に対する意識は強いんだろうね。でも、そこまで深刻にならずに、自分でできる範囲で頑張っていったらいいんじゃないか」


「そうだね。そのつもり」


 愛稀の声色が再び上機嫌を取り戻した。もう一杯飲みたいという。凜はバーテンダーを呼んで、先ほどと同じくらいライトなカクテルを作ってもらうよう頼んだ。ついでに、自分用にまた別のシングルモルトをロックで注文する。やがて、バーテンダーがお酒を運んできて、ふたりは二度目の乾杯をした。

 愛稀はなおも上機嫌で、とりとめのない話をし続ける。凜は小気味の良いBGMのようにそれを聴きながら、ウイスキーを飲んでいた。


 しかし、しばらくしてふと気づくと、愛稀の話がとぎれとぎれになっている。改めて愛稀の顔を見ると、彼女は目をとろんとさせてうつらうつらとしていた。アルコールと喋り疲れのせいで、酔いが回ったのだろう。凜にとっては、アルコールが低くて、ジュース感覚で飲めるような代物だが、愛稀はまだ慣れなかったに違いない。じきに彼女は、スイッチが切れるようにカウンターテーブルに突っ伏してしまった。


「……愛稀、大丈夫か?」


 凜は彼女の肩をゆすったが反応はなく、代わりに気持ちよさそうな寝息が聴こえてきた。急性アルコール中毒などではなく、ただの酔い疲れのようである。


「すみません」


 凜はバーテンダーに謝った。だが、バーテンダーは笑って、構いませんよと言ってくれた。ありがたい。彼女が眠っている間に、凜はウイスキーを飲み干し、会計を済ませた。

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