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第二章:超越者の気紛れと旅の始まり

 その山は夏の静寂に包まれていた。忘れ去られた厄災の跡、苔むす岩肌に、歩を進める一人の男の足音が深く染み込んでいく。


 その男の名はトゥルー。かつて“白の塔”の宮廷魔術師として讃えられたが、優しき心と強き責任感は戦にも陰謀にも馴染まなかった。仲間をかばい気づけば利用され、民のために上に逆らい、その結果いつしか地位も名声も霧散していた。今は小さな山里で、趣味の魔術の研究をし、人々を救うために薬草を育て、村の子どもたちに学問を教える気楽な隠居の身。


「トゥルーのおじちゃん、行っちゃうの?」


「ちょっと出かけるだけだよ。絶対戻ってくるから、ママの言うことをよく聞いて良い子にしてるんだよ」


「んー、ホントに?約束だよ!」


 だが今日は、子供に好かれる隠居のトゥルーではなかった。彼は人生最大最後の探求へと足を踏み入れていた。禁忌とされた“聖なる山”――かつて文字通り一国を消滅させた災厄の中心。その真実に触れようとしていた。


 しかし、何日歩いても、何度探索の呪文を唱えても、樹も岩も精霊からも返答はなく、山は沈黙を守っていた。薄闇の中、岩壁に刻まれた模様は苔に覆われ、押し寄せる風は低く唸りながら木々を揺らす。時折雷が遠くで鳴り、雨の匂いが辺りを包み込む。それらは、ただ“何もない”を強調する舞台装置のようだった。


 そして、失意のなかで帰還を決意したトゥルーは移動の呪文を唱えた。術式は完成し、正しく制御された魔力が空間を満たした。が、魔術の発動を空間が拒絶した……空間が軋み、魔力が霧散したのだ。


「えっ?何が」次の瞬間、彼の頭の中に宇宙を覆い尽くすような情報が雪崩れ込む。思考が焼き切れ、意識の灯が消えた。


 その様子を、「オーム」は観ていた。


「オーム」。すべての次元、すべての多元宇宙、すべての時間、すべての空間に在る超越者。その影のひとつにしてこの山に棲み、数千年の微睡を得る者。




 愚かにもこの山に踏み込んだ矮小な虫けら。だが、悪意なく歩き、騒がず、ただ山を丹念に調べるのみ……珍しい。この間滅ぼした虫けらと同族のようだが――その様子を、余は微睡みながら飽くことなく眺めていた。


 その虫けらが“魔術”なるものを唱えだしたその時、余の興味はほんの少しだけ深まった。移動のために、わざわざ言葉で空間に干渉せねばならぬとは滑稽。だが、おもしろい。


 余は、この場を離れようとする虫けらの魔術を良しとしなかった。余が良しとしない術式は崩壊し霧散する。それは、ただの気紛れ。


「いや、余が在る理由……それを解き明かすには、余とは異なる“人の理”とやらを知る必要があるのかもしれぬな」


 そのおもしろそうな虫けらのことを知るため、その意識に部分的に同調し会話を試みた。


 だが、その思考や知識、速さ、深さ、すべてにおいて余と差がありすぎた。虫けらは耐えきれず、意識を失った。


「虫けらは、余と話すことすら叶わぬか……」




 オームはそれを理解するとすぐに、自らの多次元、平行宇宙から意識を切り離し、意識の速度・密度を限りなく零にし、そのうえで虫けらとの精神との同調を図った。超越者が人のステージまで降りてきたのだ。


 そして、虫けらは目覚めた。再び意識・情報の奔流が虫けらを襲ったが、今度は耐えきったようだ。ようやく超越者「オーム」と矮小なる人「トゥルー」との意思疎通が可能となった瞬間であった。




「……あなたは、誰……ですか?」


「余に“誰”を問うか。名とは、矮小なる者が互いを識別するための記号。余にそれは不要。だが、理解を求める意志――それは、悪くない」


「えっ?あっ、あなた様は神様でしょうか?」


「神、この間滅ぼした虫けら達も神の名を口にしておったが……無意味な」


「滅ぼした?……あの大厄災の?……えっ?」


「知識は渡した。後は理解しろ」


 確かに頭の中には様々な知識――しかし、ほとんど理解できない。無数の宇宙項、観測された波動関数、隠された余剰次元。全く意味不明だ。そもそもこの一国を滅ぼす巨大な影?……違う違う、これは悪い夢だ。悪い夢であって欲しい――そう願わずにはいられなかった。


 さらに頭の中には、滅ぼされた魔術大国が使用した極大魔術に関する知識……失われた国家戦略級魔術、もうこれは夢ではない。


 最後に、超越者の意識として、個としての人というもの。また群れとなった人を“知りたい”と思っていることは理解できた。


 そして、まだ頭の中の整理が追いつかぬまま、ただ呆然と立ち尽くしていた彼の目の前に突如として現れたのは――かつて夢に見た、理想の伴侶の姿だった。


 トゥルーの目の前にあった超越者と思われる影が霧散し、代わりに一人の若い女性が現れた。その姿は、かつてトゥルーが夢見た理想の伴侶の姿をしていた……優しげな眼差し、明るい声、ちょっと鈍臭さそうな体型……そのすべてが愛おしい。

 若き日より夢の中で、彼は何度もこの姿を見た。声を聞いた――そして温かかった。


「この姿が、お前にとって理想か? ならば、この形で行こう」


 トゥルーは絶句した。巨大な厄災をもたらす、人の理解を超えた超越者。恐怖で体が思うように動かない。しかし、目の前にはすべてを包み込んでくれそうな理想の女性。断る勇気も理由もない。そして彼女の姿をした超越者は語る。


「人というものを、知りたい。個としての人と、集団としての人を、人として見て回ろうと思う。手伝え」


 圧倒的意思。断れるはずもない。そして超越者は人の世に解き放たれた。老魔術師の心労と共に。


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