第7話 飛翔するは厄災、迎え撃つは撃拳
パメラは目の前に広げられた書類を前に、思わず言葉を失った。
強気な発言と、塔に詳しい様子から手慣れた探索者であろうとは予想していたが、想像を遥かに超えてクレバシは優秀であった。
「どうかしら?」
彼女が提示してきた自身の活動報告、その成果と価値、それに釣り合う金額とどの程度の実力が必要とされるか。
これが事実であるならば、彼女はあまりにも希少な人材である。
「……貴女に巡り合えたのは、まこと、神のお導きとしか思えません」
「神様なら西区で鍛冶やってるわよ。もしくは毎晩酒場で泥酔して蹴飛ばされてるわ」
「………」
とはいえ、クレバシはパメラが求めていた人材の中でも最高峰であることには変わらない。
同時に、彼女が求めて来た条件。相応の実力がパメラにはあまりにも不足していることは理解できたし、そのための更なる条件も過酷なものではあるが、他に手立てもない。
「確認しますが、クレバシ。これは間違いなく、貴女達のものですか?」
「信用できないなら組合に確認をとりなさいな。公式記録がちゃんとあるから」
「むぅ……」
ぷかりと煙草の煙を吹かせながら、目の前の女は事も無げに言う。その姿が頼もしくもあり、腹立たしくもあった。
「あたしたちは本気で塔の攻略を目指しているわ、出来るだけ早くね。ある程度の高いレベルは求めるけど、何より途中の離脱が困るから一番欲しいのは長期的な契約を結べる相手。ド素人なのは……まぁ歓迎とは言い難いけど」
「……精進します」
「そうしてくれると有難いのだけれども」
煙を吐きながらのため息。どうやら本当に人手に困っているらしいことは彼女のしぐさを見るに嘘はないらしい。
「まずは浅い層で貴女に本物の塔を体験してもらう。判断はそれからよ、こればかりは実際に足を踏み入れてもらわないとわからないことだし。無理だと思ったならその時点で諦めなさい」
「諦めなければ共に進んでくれると解釈していいのですね?」
「死ななければ、ね」
そうしてクレバシが次に渡してきた書類は、概ね何が必要になるかという物をまとめたものだ。それらに目を通しながら、パメラは自分の準備の甘さを心中で反省する。見通しがあまりにもあまかったのだと、痛感するのだ。
その時、壁に掛けられていた鈍色の鉄箱のようなものがピピピ、ピピピ、と聞きなれない甲高い音を発した。驚き、思わず目を向けるとクレバシは面倒くさそうに目を細めていて、緩慢な動きで椅子から立つと、指でその箱に軽く触れる。すると鉄の箱は途端にいくつもの小さなキューブになってばら撒けて広がり、青い光の線が渦になってゆっくりと回った。
「おい、クレバシ! クレバシは帰っているか!?」
すると、そのキューブの群れと光の環から何者かの声が聞こえて来た。驚きのあまりパメラは絶句し、仰け反った時に椅子ごと転げそうになるのを寸でのところで堪えたが、あまりのことに心臓はバクバクと破裂しそうになるほど高鳴った。
「あー、もしもし。クレバシよ。何か用? 今お客さんが来てるんだけど」
「それどころじゃない! 塔だ! 塔から魔物が飛び出して、外へ飛んで行ってしまった!」
「はー? 塔から出て来るモンスターを抑えるのがあんたら番兵の役目じゃないの。こっちに投げて来るんじゃないわよ」
「魔物は5~6メートルは超える巨体の四足型だ。二つの頭があり、片方は獅子、もう片方は山羊の顔をしている。恐ろしい巨体と速さでも手に負えないのに、背中から生えたコウモリのような翼を持つ! さらには蛇が尾の部分から飛び出していたんだ」
「話を聞きなさいっての!」
「鉄をも溶かすほどの強力な炎を吐いて、魔物除けの大盾は溶かされてしまった! 空を飛ばれてしまっては俺たちも追いかけられない。至急、避難指示と対処を頼む!」
「だから一探索者に丸投げするなって……あ、ちょ、おい! ……切られたわ」
舌打ちを一つ。クレバシがキューブの一つを殴ると、光の輪の螺旋は消え、キューブは集まり再び一つの形をとってただの鉄の箱のようなものに戻った。先ほどの姿は嘘のように、ピクリとも動くことはない。
「く、クレバシ……それは……先ほどの声は?」
「ああ、これ? あたしが作った遠方の相手と話すための通信機よ」
「つーしん、き?」
「そ。便利でしょ」
初めて見る道具に、パメラは目が丸くなる。遠く離れた相手と会話ができるなど、パメラの知識では今まで存在しなかったものだ。それを作ったというのだから、恐ろしい。
「テレパシーとは違うのですか?」
「だいぶ違うけど、似たようなものって思ってもらっていいわよ。テレパシーよりずっと遠くの人と話せるけど。っと、そんなこと言ってる場合じゃなかったわね」
何をするのやら。クレバシの次なる行動は、手首に着いた腕輪の宝石部分をとんとんと幾度か叩くと、仄かな明かりを放ち始める。
「クレバシ、それは?」
「ああ、これも通信機。こっちはあたしとタヌライ専用の物なんだけれどね。さて、さっさと気づいてくれるといいんだけど」
腕輪は淡い白い光を放ちながら、ぼぉ、ぼぉ、と輝き続けていた。
〇
「わあ! 見て、タヌライ。飛行船クジラよ!」
「わ、ほんとだ!」
街中を広く覆うほどの影に、雲が太陽を隠したのかと見上げれば、空を征く飛行船クジラが悠々《ゆうゆう》と泳いでいる姿が見えた。五十メートルを超すほどの大きな体躯にいくつもの翼を生やし、ゆったりと空を泳いでいく姿は雄大に他ならない。雲さえ隠すほどに大きな大きな魚体で、飛行船クジラはたくさんの客を乗せて西の方へ向かう。
「飛行船クジラなんてめずらしー」
「久しぶりに見たね。この街に来たのかな?」
「西区に向かってるみたいだし、そうじゃない? 街の中で飛行船の発着場があるのは西の波止場だけだもの」
「いいなー、ボクもいつかちゃんと乗ってみたいなぁ」
「あ、わたしも! ねぇ、タヌライ。いつかわたしも一緒に連れて行ってよ」
「いいよー。危ないところじゃなかったらクレバシも許してくれるんじゃないかなぁ」
「やったー! 約束よ!」
「うん、約束だよ!」
右へ左へと尾びれを揺らしながら、上へ下へと翼を羽ばたかせながら、遠ざかって行く飛行船クジラを見送り、二人は無邪気に指切りを交わす。そうして離れていくクジラを見ていたが、「ん?」と、不意にその動きが少しばかり奇妙なことに気づく。
小さく身震いをしているような動作を何度も起こっているのだ。ヒレを乱暴に動かして体勢が傾き、乱暴な動作で右に左にと揺れるその姿は、尋常ではない。
「なんだ……?」
通常、飛行船クジラに限らず、多くの飛行をする生物は飛行体勢を大きく変えることはない。バランスが崩れ、飛行が困難になるからだ。そのため一定のスピードで、一定の体勢を維持することが好ましく、中でも飛行船クジラはかなりの長時間、同じ姿勢を維持することを得意としている。
だが今はどうだ。あんなに乱暴に傾いてしまえば飛行も難しくなるし、腹の中にいる乗客たちだって安全ではない。まるで何かを嫌がるような素振りの様子に、タヌライもルーシーも奇妙な違和感を覚える。
「あ、タヌライ。腕輪が光ってるわ」
「え。あ、ほんとだ」
言われて、グローブがほんのり明るみを帯びていることに気づく。左のグローブを外せば、その中で輝き、合図を送っていた腕輪の存在にようやく気付いた。これは姉、クレバシと対になる特別な腕輪だ。なんと、腕輪の中央に埋め込まれた宝石の部分に触れると、どれだけ離れていてもクレバシと会話ができるというとんでもない発明である。
姉、クレバシは錬金術師だ。こういう原理不明の道具を考案、制作することを得意としている——その裏で山のようなゴミを生産していることには目を瞑らなければならない、という前提があるが。
「クレバシ、何か用?」
タヌライは宝石部位を撫でて呼びかけに応え、返事を送る。
「タヌライ、緊急の伝令が入ったわ。塔の方から魔物が逃げ出したらしいわよ」
すると、腕輪からはクレバシの声が流れ始める。
「え、魔物が?!」
「送られた情報から察するに、獅子と山羊の頭を持ったキメラ型のモンスターよ。どうも飛行タイプらしいわね、街の方向へ来たそうだけど、なにか被害や影響らしきものはある?」
「……いや、こっちの方は特に何もないよ。悲鳴とかも聞こえないし、なにか問題が起きてる様子は——あっ!」
その瞬間、嫌な悪寒がタヌライを襲う。
タヌライは親指と人差し指で輪っかを作り、それを飛行船クジラに向けて、穴を覗き込んだ。
「ん、んん、んんんー……っ」
少しずつ覗き穴を小さくしていきながら飛行船クジラの周囲を見回す。どこだ。どこで何が起きている。タヌライはクジラが嫌がり、抵抗している辺りをじっと見ながらその周辺を探り——見つけた。
「……いたよ、クレバシ。飛行船クジラだ。飛行船クジラが翼を生やしたキメラに襲われている」
タヌライは半分ほど食べていたハンバーガーに被り付きながら、指穴の向こうで暴れている獅子と山羊の頭を持ち、蛇の尾を持つ四足歩行型の魔獣を確かに視界に捕らえた。
「でかしたわ。何秒で行ける?」
「ちょっと高いね、三十秒」
「構わないわ。工業区にはこっちから連絡を入れる、あんたはクジラが発着場に停められるように足止めしなさい」
「違うよ、クレバシ。乗客の安全が最優先だ」
「……そうね。判断は任せる、ある程度の被害は割り切るように」
「そんなに大きい個体じゃないよ。5~6メートル、たぶんまだ子供だ。被害は出させない」
「……好きになさい」
その言葉を最後に腕輪の光は消え、クレバシの声は聞こえなくなった。交信を切ったのだ。タヌライは残ったバーガーを口に詰め込み、もぐもぐもぐもぐ、と口の中で咀嚼してから飲み込み、さらにポテトを二つ掴んで、急いで口の中に突っ込んだ。
一つ一つ、味わうことを忘れない。
カリカリした歯ごたえが来たかと思えば、すぐにほっこりとしたジャガイモの柔らかさと甘味が膨れ上がり、ガーリックバターが甘味を包み込んで強烈ながら優しい香りでタヌライの口と胃袋を満たす。美味しい。なんて美味しいんだ。これはまた食べに来なければいけない。
タヌライは水で芋を流し込みながら、ぷはぁ、と息を吐き、「ごちそうさまでした!」とバーガー屋の夫妻に笑顔を向けた。
「タヌライ、行くの?」
食べ終わり、伸びをしているタヌライの服の裾を不安げに掴むのはルーシーだ。彼女は友人が今から何をしようとしているのかを理解し、友の身を案じて一つまみ分の抵抗を見せる。
「うん。行ってくる」
対し、タヌライは変わらぬ穏やかな笑みのままだ。ルーシーの指を取り、両の手で包んで、何事も無いような、優しい笑み。
「大丈夫。すぐに帰って来るから」
「ほんと?」
「ほんと!」
太陽のような明るい笑みを浮かべるタヌライに、「ん……」とルーシーは観念したように指を引き、不安を押し殺して、ルーシーも笑みを浮かべる。
「行ってらっしゃい、タヌライ」
「行ってくるよ、ルーシー」
一歩、二歩、下がったルーシーはバーガー屋の夫妻が寄り添う。それを見て、タヌライはとん、とん、と軽く跳ね。
ぱしん——と両頬を叩いて気合を入れると、空の向こうを見上げた。
突然の魔物に襲来され、飛行船クジラは傷つき、必死の抵抗を試みている。あの中ではきっと多くの乗客が不安に駆られ、あるいはクジラが暴れていることで揺さぶられ、怪我をしている人が出ているかもしれない。すぐに助けなければ。
「よし、行くか」
タヌライは軽く跳躍すると、身体はふわりと羽のように軽やかに舞い、小さな音を立てて赤レンガの屋根の上に立つ。
そして前傾姿勢になって足を踏み出し。
風が砂を巻き上げたその瞬間に、タヌライの姿は消えていた。
〇
「ふぅ」
ぷかりと煙草の煙を浮かべながら、クレバシは一息吐いた。タヌライとの通信を終えてすぐ、同じ通信機器を持っている西区のいくつかの施設に連絡を入れ終えたのだ。そろそろタヌライは出発しているだろうか。ルーシーと一緒にいたから、宥めていて出発が遅れているかもしれない。
「く、クレバシ。先ほどの連絡は!?」
「あー。どうも塔から抜け出したモンスターが飛行船クジラを襲ってるらしいわね。たまにあるのよ。まあ、タヌが出ていったからすぐ何とかなるでしょうけど」
「飛行船クジラを!?」
「ん?」
その時パメラの顔を見て、初めて蒼褪めていることに気づく。彼女の眼は時計に向かい、窓の外から見える青空に向かい。
「テット……っ!」
「え?」
突然、パメラは椅子を蹴り、慌てて外へ飛び出した。クレバシもハットを被り、遅れてその後を追う。
「ちょ、ちょっと! どうしたのよ!?」
「クレバシ! 波止場に一番近い道はどこですか!?」
「ええ、波止場!? 今はモンスターが来ていて危ないって言ってるでしょ、タヌが向かってるからうちで大人しく……」
「弟が、弟が乗っているのです!」
パメラの切羽詰まったその言葉は、クレバシが言葉を飲み込むのに十分足り得るものであった。
「故郷を出た私を追って、あの子もこの時間に到着するクジラで向かうと手紙があったのです。心配性なあの子が、家督を継ぐべき長男にあるまじき恥ずべき行為です。でも、あの子は私の身を案じて、国を出てここに向かっているのです。テット、あの子が……私は……っ」
「……っ」
クレバシは、息を呑む。
弟の危機。
大事な家族が、今魔物に襲われ命を落とすかもしれない。
クレバシの脳裏に、タヌライの呑気な笑みが浮かぶ。
「——こんなので絆されて、バカみたいだわ」
「えっ?」
「いいから、着いて来なさい!」
「は、はい!」
パメラを追い越してクレバシはそのまま道を商業区の中央街へと向かう。どうしてそっちにと言いたげな視線を受けながらもクレバシが向かったのは大通りだ。首を右に左と振り回しながらクレバシはとある物を探す。すると目的のものはすぐに見つかるや、クレバシは再び走り出し、パメラも息を荒げながら追いかけた。
「おーい、そこのー!」
手を振り、クレバシは前方に声を張る。すると路上で砂色の大きな塊に背を預けて立っている黒い帽子を被った壮年の男がクレバシに気づき、帽子を深くかぶり直す。
「いらっしゃい、お客さん。どちらまで?」
「工業区の波止場! ぶっ飛ばしてちょうだい!」
そう言ってクレバシは革袋から金貨を数枚取り出して男に叩きつける。途端、男は目の色を変え、それを素早く受け取った。
「ご希望通り最高速で行く。ちゃんと掴まってろよ」
「いいから、さっさと出しなさい」
「あの、クレバシ、いったいなにを……」
パメラが疑問を口にする間もなく、男が手をぱんぱんと打ち鳴らすと、それまで男が体を預けていた砂色の大きな塊が動き出した。塊と思っていた物からは折り畳まれていたらしい手足がにゅっと現れ、前方がぶんぶんと振られる。
「さ、乗るわよ」
「あ、あの、これは……?」
「なによ、ムカデトカゲを知らないの?」
左右五対の足を生やし、ぎょろりとした目玉が可愛い大きなトカゲ。ムカデのように多くの足を持つ、巨大なトカゲ。これこそがムカデトカゲである。
「お嬢さん方、どうぞ」
そして男はこのムカデトカゲの操縦士だ。男はムカデトカゲをよじ登ると、首の上にある操舵室へと乗り込んだ。ムカデトカゲはあんぐりと口を開き、入場をお待ちしている。クレバシはさっさと口の中に入ってしまった。
「あ、あの、クレバシ……これに入るの、ですか……?」
「早くしないさよー! そんなに不快じゃないから!」
「えぇぇ……いや、でもこれは……」
「だったらあたし一人で行くけど!?」
「う、うぅぅ……」
足を踏み入れれば、ぶにゅっとした舌の感触が靴越しに伝わる。思わずぞわりと背筋が震えたが、女は度胸、どうせ走っていてもいつ着くか分からぬのなら、クレバシに習えである。その土地を歩くならその土地の者を真似よ、という言葉も故郷にあるのだから。
パメラは意を決してムカゲトカゲの中に乗り込む。すると腹の中には群青の絨毯が敷かれ、椅子やらテーブルやらがずらりと規則正しく並び、横にはガラス窓まで。
「ムカデトカゲのタクシーとバスはここじゃ常識よ。早く座って」
「は、はい。本当に、不思議な街ですね……」
少なくとも、パメラの国では見たことも聞いたこともない生き物であった。
中に設置された椅子に座ると、意外に柔らかく、安定している。
「走るぜ、お嬢さん方」
操縦士が合図を出すと、トカゲは足を動かし出し、のそ、のそ、と緩慢な動作から徐々《じょじょ》に動きを早くし、幾多の足を高速で動かしながらたちまちとんでもないスピードで街中を走り抜け、パメラは絶叫した。




