第4話:欲望の街と錬金術師
話が長くなるので場所を移そうと持ち掛けたのはクレバシだ。
しかしタヌライが大量の巨大な肉団子を食べていたので、食べ終わるのを待ってから支払いを済ませて店を出る。その際に、パメラの護衛たちにはお帰りを願った。もちろん貴族仕えの兵士が言うことなど聞くはずがないが、それもパメラが命令を出すことで渋々と納得してもらった。
もし今日の夕暮れまでに戻って来なかったらここに来いとクレバシが渡したのは手描きの地図。それはクレバシとタヌライの拠点を記したものだ。
そう。これから彼女らは、タヌライとクレバシがこの地で拠点としている家へと向かうのである。
店を出れば天頂に輝いた太陽が一層眩く彼女らを包む。暗い店内にいたからか、殊更に眩しく感じられた陽光に目が眩みそうだ。パメラは手で目庇を作りながら太陽を仰いだ。やはり、明るい。
辺りを行き交う人々の往来はまるで波のようだ。がやがやと声が響いて鳴り止むことはない。
それは、道行く人に声をかける商売人のものであったり。
あるいは、話しながら移動する友人や、恋人、あるいは親子や夫婦のものであったり。
あるいは、酒を飲んで暴れる屈強な男たちの怒号であったり。
あるいは、仕事を失敗して落ち込んでいる部下を慰める上司のものであったり。
(なんて、賑やか……)
パメラはこの街の力強さを今、肌で感じていた。
この街に訪れた時は、落ち着きなく、そして自分の目的のために周囲のことなど目に入れる余裕などなかったパメラが、今初めてこの街の空気に触れた。
解決したわけではないが、光明が見えたわけでもないのだが、それでも彼女が切羽詰まった状況から一歩踏み出したことで、やっとこの街を視ることが出来るほどに余裕が生まれた。
石畳と、レンガと木材の街並み。絶えず行き交う人の波は、様々な種族がない交ぜになっている。よく見れば建物も様々な国や宗教観のものが入り乱れており、およそここが他国では成り立たないであろう風景であることを見せつけられる。
「こっちよ」
そんな街を、彼女らは気にすることもなく歩いていく。
彼女らだけではない。この街に住む誰もが、だ。
外の世界で会えば顔を合わせただけで喧嘩になる人たちも肩を組んでいる。宗教的には認められない者同士が同じテーブルについて酒を交わし合っている。肉を食べている。誰もが平等に肩を並べて生きている。
なんて不思議な世界。それを当たり前に受け入れている人々がこんなにも多くいる世界。
パメラは、タヌライとクレバシの後を追いながら感激に打ち震えていた。かつて多くの為政者が目指した光景でありながら、誰もが無し得なかった光景が、ここには確かにあるのだ。
クレバシはここを欲望と野心の街と称したが、今目の前に広がる景色はどうだ。こんなにも穏やかではないか。
パメラは少しの罪悪感を抱きながら、姉妹の後ろ姿を追った。
〇
店を出て、パメラたちは真っすぐ南へと進んだ。
この大都市の中心地を商業区と称し、中央区の時計塔から南下して商業区の南部に入っていくと次第に商業家屋からその賑わいが失せ始め、建物の色合いが変わっていく。
過度に飾り付け、看板を置き、客を引く女たちの声は離れていき、次第に穏やかな声色に変わっていくだろう。レンガの家々からは華美な装飾が消え、優しい色合いの鉢と草花が顔を覗かせ、客引きの女は、追いかけっこする子供たちに変わる。窓からは何某かを調理する音と匂いが空へと伸びていき、仕事の一休みとばかりに家へと戻る男たちが列を成す。
ここは商業区の南端に当たる、二等居住区だ。
概ね、商人やある程度の財産を蓄えることに成功した者たちが住む地区である。
先ほどまでの商業区にはみすぼらしい荒くれ者や、見るからに金のない浮浪者も陰に潜んでいたが、ここにはそういった連中は見えない。身なりが整った、他国で言うところの市民に相当する階級の者が多く住むのだとパメラには推察できた。
石畳の緩やかな坂を歩みながら、タヌライは道行く人たちに笑顔で手を振り、子供たちと握手をし、小突かれ、追いかけっこに興じ、周りの大人たちに微笑みを向けられる。
「好かれていますね」
「人気者よ。あの子はね、どうも人に好かれやすい性質っていうのかしら。あまり人に対して壁を作らないから」
一方、クレバシには会釈を送られる程度で、子供たちは寄り付きもしない。拒絶されているというよりは、あまり興味を持たれていないようにも思える。
「正反対ですね」
「でしょ。可愛い妹よ」
いたずら少年を抱っこして捕まえたタヌライは、きゃっきゃと笑う少年を子供たちの群れの中へと戻し、ばいばいと手を振って別れる。子供たちはそのままどこかへと走り去って行き、タヌライも一息ついたかと思いきや、偶然通りかかったおばさんに「あら、タヌライちゃん帰ってたの?」と声を掛けられた。
まこと、人気者である。
タヌライが引っ張りだこになっている姿を何度も見ながらクレバシに案内されて辿り着いたのは、他よりも少しばかり大きなレンガの家だ。
赤いレンガの入り口には古い木材の扉。屋根は色落ちた青に、大きな煙突が二つ。窓には贅沢にもガラスが使われている。これはダンジョンタウンの住居全体に言えることだが、ここでは庶民にもガラス窓の家が普及しているらしい。
変哲のない家と言えばそこまでだが、ただの一般人が維持できるものというには少しばかり負担が大きいだろう。それだけ二人は財政に余裕があるということをうかがい知れる。
「ようこそ、ここがあたしたちの家よ。どうぞ入って頂戴」
「えぇ。お邪魔しますね」
クレバシの誘いに、パメラは頷いて返す。
「ただいまー」とタヌライが勢いよく扉を開けば、途端に彼女の首が大きく仰け反った。
「た、タヌライ!?」
パメラが驚く間もなく、家の中から弾丸の如く次々と何かが飛び出し、タヌライの身体にぶつかっていく。その数、十にも二十にも増え、タヌライは仰け反りながらもそれらの突進を受けながらも倒れることなく、強靭な足腰で耐えた。
そして、一斉に声が響く。
「おかえりー!」
タヌライにくっついたそれらは、お帰りと、そう言ったのだ。
「あはは! みんな、ただいまー!」
タヌライはそれらをまとめて抱きしめ、それらは「きゃー」と黄色い歓声を上げた。
そして、そのうちの何匹かはクレバシの方に飛んできて抱き着き、「おかえりー」と言う。
「はいはい、ただいまー」
クレバシは事も無げに返し、それらのうちの一匹を掴む。
「この人、だーれ?」
と、そのうちの一匹がパメラを差して尋ねる。
「お客さんよ。早速だけど、お茶を用意して」
「はーい」
「よ、妖精!? こんなにいっぱい……!」
それらが大量の妖精だということに気づいて、パメラは目を丸くした。
動物のような外見。それらが人のように二足歩行した、手のひらサイズの小さな生き物。最大の特徴は蝶のような羽を持つことで、姿に差異はあれど、共通してそういった外見をしている。
ここにいるのは、ウサギやクマ、ネズミやネコのような見た目の妖精が多く、手作りの洋服に身を包んでタヌライやクレバシに抱き着いたり、頬へのキスをしたりするなど、愛情表現を行っている。
妖精たちはクレバシの指示を受けて家へと戻り、客を出迎える準備を行う。
「あんなに大量の妖精が……」
「もう少し南に下ると農村地区だからね。意外とこの街、自然が多いからあの子たちも住みやすいのよ。あとはまぁ、タヌライの人徳かしらね」
妖精は元来、緑の多いところや川が流れるところなどに多く生息し、気ままに暮らす生き物だ。しかしそこに人の生活圏内が被ると彼らは時折、人の仕事を手伝うことがある。それは農作業であったり、釣りであったり、狩りであったり。
人の善性を好む妖精らはその人物に悪意がないと積極的に手伝うことが多い。古い畑を持つ農民などは何代にも渡って妖精と共生していることが多く、そういった場所には妖精の住処が隠れていたりする。
そう聞いたことがあるパメラではあるが、十も二十も超えるほどの数の妖精と一緒に暮らしている人を見るのは初めてだ。
大貴族であるパメラは城暮らしだ。冷たい石と鉄で覆われた城に、妖精はあまり寄り付かない。城の中にも大きな畑があるが妖精が好んで来ることはあまりなく、現れたとしても気まぐれに二~三匹が姿を見せた程度であるため、この光景は新鮮以外の何物でもなかった。
「ようこそ、あたしの研究所へ」
「アトリエ?」
そう言ってクレバシが一礼をし、「いらっしゃいませー」とタヌライが先んじて入りパメラを手招きした。
姉妹に案内されて入る家からは早くも優しい茶葉の香りと、仄かに土と陽に焼ける石の匂いがする爽やかな涼風が窓から通る。
そして家の前に入るとまず目についたのは、正面に立ち並ぶ本棚と、隙間なく詰め込まれた分厚い書籍の数々だ。壁一面を埋め尽くすほどの本があまりにも多く、それだけでこの二人がただならぬ者であることが読み取れる。
紙という貴重な資材をこれほど大量に所持しているのはそれだけで資産の証明である。そしてよくよく見れば丁寧にしまわれているが、何度も取り出されたのか、どれも背表紙の同じところが特に色落ちしている。分厚い革製の表紙が痛むほどには何度も使用された形跡があるのだ。
その本棚を正面に、左を見れば二階へと上がる螺旋階段が、右手を見れば質素な長机と二つの椅子、そして部屋の角には巨大な鉄窯が鎮座し、一際目を引く。長机が並ぶ向こうにもまだ一部屋あるようで、なにやら棚が見えた。
「あたしは錬金術師が本業でね。ここがうちの研究所なのよ。妹は素質はあるんだけど勉強嫌いで、もっぱらあたしのお手伝いだけどね」
「そうでしたか……それでこれだけの書籍を」
「買い漁った研究資料と、自分の研究の成果をまとめたものよ」
たまにどれがどれか分からなくなるけどね、とクレバシはからからと笑い、タヌライがちゃんと片付けないからだよ、と頬を膨らませる。どうやら片づけはタヌライの担当らしい。
クレバシは帽子と緑のポンチョ、そして分厚い手袋を外し、それらを妖精に預ける。妖精たちはそれを持って外に飛んで行った。程なくして、滑車の回る音が外から聞こえた。なるほど、どうやら家の裏に井戸を引いているらしい。
このダンジョンタウンという街は家ごとに水を引けるのか、はたまたクレバシとタヌライという二人は自宅に井戸が引けるほどの有権者か、あるいは資産家なのか。
ともかく、井戸と大量の本の所持ということから裕福であることが読み取れた。
「座って」
クレバシは長机の奥の椅子に腰かけ、反対側にパメラに座るように指示を出した。パメラは彼女の言葉に従い、マントを脱ぎ、一礼をして腰掛ける。すると妖精が飛んできてマントを預かるというので、預けた。マントはすぐ傍のハンガーラックに掛けられる。
そして別の妖精たちがカップとソーサーを取り出して奥の部屋に飛び込み、少し待っているとふんわりと優しい香りの紅茶を差し出してきた。匂いからして、花の紅茶だろうか。甘いその香りに、パメラは覚えがあった。
「サティラの花、ですか?」
「ご名答。サティラは葉をすり潰して薬草になるし、茎や根を乾燥させれば魔術の触媒にも使える。うちの庭で栽培しているものよ。花の部分はお茶にもなるしね」
「随分と知識が深いのね。サティラのお茶は昔、行商人から買い取ったことがありますが、こんなに深い香りは出ていませんでした」
「そりゃ旅をさせると香りが落ちるわ。ワインとサティラは旅をさせるなってね。摘み立てはこのように甘く優しい香りになるけど、あまり日持ちがしないの。特定の地域ではよく飲まれているけど市場に出回らないのは、栽培に適した土壌が少ないのと、花そのものがあまり長持ちしないせい。うちはその土壌を再現してるけどね」
「そうですか」
こくり、と二人で静かにお茶を飲む。
窓から差す木漏れ日が静かに部屋に落ち、遠くで子供たちの声が聞こえた。二人は、何も言葉にせず、その茶を口に含んだ。




