第43話:恐るべき第六層
荘厳なる石構えの柱がいくつも連なり、そのどれもに魔術的な意味合いが込められているのであろう文様らしきものが刻まれている。柱の上には動物か、あるいは魔物をかたどったと思われる石像がそれぞれ立ち並び、その異様な迫力は見る者を圧倒し、思わず息を潜めることだろう。
そして柱が守護するように奥に佇むのは巨大な鉄の門扉が一つ。不気味だ。ただそこに鎮座しているのに、誰も寄せ付けないような威厳のようなものを感じる。何も絵や魔術を描かれていない、ただの門扉なのに。
ここは第五層の第二の町、その奥地。第六層へと繋がるゲートの前である。未だこの先の突破者は塔が現れてからの六十五年の間、僅か七名だけという恐るべき場所だ。
その門扉の前に立つのはタヌライとクレバシ、そしてパメラ。
「いいこと、パメラ」
ついにここまで来たのかと早鐘を打つ鼓動を抑え、しかし早くこの先へ進まねばという逸る気持ちを堪えれずにいるパメラに向かって、クレバシは口元のマスクの位置を調整しながら目線を向ける。
「あたしたちは今回、この先を突破するための準備はしてきた。けれど、今回で突破するつもりはないわ」
「突破するつもりは、ない……?!」
その言葉はパメラにとって衝撃であった。クレバシから与えられた耐毒のローブの下で、わなわなと拳が震える。早く、一刻も早く、この先を攻略して願いの叶う聖冠を手に入れなければとパメラは焦っているのに、クレバシはまだ第六層を乗り越える気が無いと言い出すのだからだ。
「まぁ、入ってみなければ分からないわよ。たぶん、無理だから」
「無理とはどういうつもりですか? 私はこの六年で強くなりました。早々貴方たちの足を引っ張ることはないはずです」
「そういう次元の話じゃないのよ。まぁ、体験してみるのが一番ね。言っておくけど、現状、貴方が身に着けている以上の耐毒装備はどこにも存在しないし、これ以上の物も作れない。それだけは理解しておいて」
クレバシが何を言いたいのか察することが出来ず、パメラは自分の力不足を指摘されているのかと、むっとする。彼女の言い分的にそうではないと心のどこかではわかっていても、まだ未熟な自覚もあるパメラは、それを指摘されているような気がして、穏やかではいられないのだ。
「パメラ、一つ覚えておいて」
そんなパメラに対するクレバシの言葉は、思いの他優しい音をしている。
「この先、何があっても自分を責めないこと。大丈夫よ、あたしたちもそうだった。まともに進めるのに半年以上は掛かったわ」
その言葉の意味するところがわからず、パメラは眉を顰めるばかりであった。
「タヌライ」
「うん、わかった」
クレバシの言葉はひどく緊張に満ちたものである。それを受けるタヌライもだ。
タヌライが両手を鉄門扉に掛け、ゆっくりと押すと、ぎぃぃぃ……と耳に不快な鉄の軋む音が響く。中には薄暗い、なのに目が眩むような”モヤ”が広がって、先へ進もうとする者を飲み込まんと口を開いている。
「さ、行きましょう」
クレバシが歩を進め、パメラも後に続く。しんがりを務めるのはタヌライだ。
各層を隔てる鉄の門扉はいつもこのようなモヤが掛かり、それを抜けた先にはまるで別の光景が広がる。平原から荒野へ、荒野を越えたかと思えば海のど真ん中に。海を越えた先には岩山が広がっていたかと思えば、岩山の次は雲の上と来た。
そして、次は毒の沼地。
クレバシが用意してくれた耐毒のマントと、タリスマン。そしてゴーグルとマスクと、グローブとブーツ。これが用意できる最高の性能だとクレバシは言う。ならば何を恐れるものがあろうか。
そう思えるほどにパメラはクレバシに信頼を置いていた。クレバシとタヌライは六年以上の付き合いがある、唯一無二の友であり、仲間であると、信じている。だから彼女が用意してくれた装備に、一切の不安を持つことは無かった
「出るわよ。タヌ」
「わかってる」
靴の裏側に、ぬるりとしたぬかるみが広がっているのを感じ取る。いよいよ景色が変わり、第六層へと到着するのだ。
”モヤ”が晴れ、目の前に薄暗い、曇った空と腐り落ちた大地が広がった。
——その瞬間、パメラの臓物と視界が逆転するような強烈な悪寒が全身を走り抜けた!
「パメラっ!?」
「タヌ、撤退するわよ!」
「わかった! パメラ、しっかりして!」
喉から手を突っ込まれ、腹の中をかき混ぜられたようなとてつもない嘔吐感が押し寄せたかと思えば、パメラはマスクを外す間もなく腹の中にあるもの全てその場に吐き出した。なのに嘔吐感は止まらず、身体はビクンビクンと痙攣して指先一つすら動かすことがままならない。
涙と鼻水が同時に噴き出して呼吸を妨げるのに、口からは無いはずの吐しゃ物を吐きだそうとして何かが逆流して、とても呼吸なんて出来ない。たちまち頭は真っ白になり、もはや自分の状態さえ把握できなくなったパメラは、自分の膝が力を失っていることも、タヌライに抱えられていることすら分からなかった。
全身の穴という穴から汗が吹き出し、血と鼓動は正しい運動を忘れたかのように不規則な動きで身体の中で迷子になっている。茫然とする頭の端で、パメラは今までにないほどの危機を感じていた。何も考えられない頭で、自分の命が終わりつつあるのを感じていた。
——嗚呼、故郷が見える。
腐れ落ち、枯れ果て、絶望の中に沈み、手を伸ばしても誰も握る人がいない、冷たい故郷が脳裏に浮かぶ。
——みんな……。
パメラは、手を伸ばす。冷たくなっていく人たちを、腐れ落ちて行く人たちの手を握ろうと、手を伸ばす。
届かない。けれども、届かない。
こんなにも手を伸ばしているのに、誰の手も握ることが出来ず、誰にも手を握ってもらえず、パメラの伸ばした手は、宙を空振るのであった。
○
「パメラ! よかった、意識を取り戻したんだね!? お姉ちゃん! お姉ちゃん、パメラが目を覚ましたよっ!」
その声が遠くから聞こえた時、パメラの目の前はかすんでいた。頭はぼぉっとして熱っぽく、考えがまとまらない。手足は痺れ、鼓動は不規則。全身が石にでもなってしまったのだろうか。何もできない。
「なんとか生き返ったわね……おはよう、パメラ。ご機嫌いかが? なんて、まともに喋れないでしょうけど」
「………」
「ああ、良いわ。何もしなくても。とりあえずちゃんと意識が戻ったらまた説明してあげる。たぶん、覚えてないでしょうからね」
「…………」
クレバシは、パメラの考えなどお見通しと言わんばかりだ。顔は見れないが、声がそんな感じであるから、きっとそうなのだろう。
「まず最初に。貴方は六層に入ると毒で倒れたわ。急いで連れ帰って宿に寝かせて、医者を呼んで治療。今日で一週間、ようやく目が覚めたけど、さすが回復術の天才ね。それとも公族のエルフの血? たった一週間で起きるとは思わなかった」
「…………」
「また意識を失うだろうし、当分は体も起こせないだろうから、そのままお世話されていなさい。あたしたちも最初の頃はそうだったからね」
「…………………」
「悔しいでしょうけど、いや、まだ悔しいって気持ちも戻ってないでしょうね。これが第六層の毒よ。あたしたちが攻略に三年掛かった、まともに進むのに半年掛かったって意味、たぶんちゃんと意識を取り戻したらわかるはずよ」
「……………………………」
「あぁ、もう眠るのね。いいわ、そのまま眠りなさい。一度意識を取り戻したってことは、少しは落ち着いたんでしょう。そのままゆっくり眠るの。大丈夫、手なら繋いでいてあげるわ。あんた、寝てる間ずっとタヌとあたしが交代で手を握ってあげてたんだからね」
「…………………………」
「おやすみ、パメラ」
○
パメラが意識を取り戻したのは、そこからさらに十日の時間を要した。
意識が覚醒し、目覚めと言える目覚めをようやく果たしたパメラは、今度は全身を襲う倦怠感と熱、そして刺すような毒の痛みに耐える必要があり、まだまだ寝たきりが続いた。
なにせ二十日以上も何も口にしていないのだから、お粥を飲み込むことすら苦しいほどパメラは衰弱しきっていた。それに薬もだ。飲むのにひどく苦心し、ようやく飲み込めたと思ったらすぐに吐き出す。筋肉は衰退し、嚥下一つすらまともに出来ない状態であった。
それでも医者と、タヌライとクレバシの献身的な介護もあり、一月が経つ頃、ようやくパメラは自分の足で立ち、食事もトイレも自力で行える程度に回復した。
「驚くべき回復力ね。大したものだわ」
「ありがとうございます、クレバシ。随分とお待たせしてしまいまして」
「何言ってるのよ。あたしたちが初めて六層に入ったときなんか、全員が回復しきるのに三ヶ月は掛かったんだから」
からからとクレバシは笑い、パメラのリハビリに付き合って手を握りながら、歩くのを手伝う。ここ最近の、陽が出ている間の二人の日課であった。
「けど、これで理解したでしょ。パメラ、あたしがまともに攻略を開始するまでに半年、六層を攻略し切るのに三年掛かったって言ったの、覚えている?」
「ええ。なんとか覚えています」
本当に、何とかといったところだ。パメラの感覚で言えば一ヶ月前などついこのあいだのことだが、その間のことは全て“モヤ”が掛かって、苦しんだ記憶に上書きされているから、クレバシの言葉もどれも正確に思い出せるかと言えば、とても思い出せない。
「あたしたちも同じだったのよ。意気揚々と進んだけど、全員が入った瞬間にあの毒で倒れた。当時は三十人近いチームだったわ。後続にいた仲間たちのおかげで何とか引き返せたけど、その仲間たちも遅れて毒を受けて、結局引き返した時には全滅。町の人に救助されて、あとは貴方と同じ様よ」
「大変でしたでしょうね」
「大変なんてもんじゃなかったわ。食料を始めとした荷物のほとんどが僅かな毒で腐ったし、宿で世話になるのに有り金のほとんどが結局そこで溶けたもの。何より、四人がそこで死んだわ」
「………」
「三人は五層に戻る前に死んだ。もう一人は、五層まではもち堪えたんだけど、毒による死の恐怖が魂に刻み込まれてしまったのね。結局、魂は肉体に戻ることを拒否して、そのまま去って行ったわ」
「…………」
パメラは、その探索者たちの冥福を祈る。
蘇生術は単純に無制限に使用できるような術ではない。いや、使用こそできるが、蘇生にはいくつかの条件がある。
肉体は魔術でいくらでも復活させられるが、それに入る魂が破損していれば魂を癒す術はない。これは蘇生できない。
そして魂が生前の死の恐怖を乗り越えられず、自ら肉体に戻るのを拒否することもある。これも蘇生が不可能だ。
だから蘇生術を使う者は、如何に魂を安堵させ、落ち着かせ、肉体へと導くかが重要な事項としてある。その時の術士はきっと、何を言っても聞き入れてもらえなかったのだろう。それほどまでに、あの毒のエリアの恐怖は、パメラの心身にもこびりついていた。生き返ることを拒むのも、納得だ。
「その時のメンバーと比べても、パメラは快復が早い方よ。最初に意識を取り戻すのに、タヌは十一日、あたしは十五日も掛かったそうだからね」
「その時、クレバシたちはどんな様子だったのですか?」
「そりゃあ酷い有り様よ。覚えてないって言うのが正しいけど、聞いた話だと寝ても覚めても嘔吐と下痢と血便。どいつもこいつも出し続けて、薬を飲ませればすぐに吐き、シーツは一時間に何度も変えなきゃならない始末だったそうね」
「……お恥ずかしいです」
「あはははっ! 気にしない、気にしない。今回はパメラ一人だけだし、あたしたちも手伝えたからそんなに苦じゃなかったわよ。前は三十人近い大所帯でそれだったからね、街中の人たちが手伝う必要があるレベルだったわよ。こっちの方が恥ずかしいわ」
自分が意識を失っている間、どれほど酷い様だったのか、クレバシたちの様子を聞くと同時に知ってしまい、パメラは恥ずかしくて顔面を真っ赤に染めてしまう。
「それから、意識を取り戻した時、半分近いメンバーが諦めて去って行ったわ。残る半分は動けるようになってから、何度も毒の沼地に挑戦して抵抗力を身に着けて、死に物狂いで進み続けた。活動できる時間は短いから、可能な限り情報を集めて、マッピングして、すぐ引き返して……これをひたすら繰り返しているうちに、あたしたちは毒に対する抵抗力が増して、ついでに薬も服用して、なんとか乗り切った。その頃には、さらに半分が死んでいたわ」
「……壮絶ですね」
「そりゃもうね。調査と撤退をひたすら繰り返し、戻ったら全員が体調不良でしばらくダウン。それでも貴重そうな物を必ず持ち帰って、それを売ったお金を全部自分たちの治療費と世話代にして、ようやく完成した第六層の地図。命がけで作った、大事な地図よ」
「その時の皆さんには感謝が尽きません」
「そうね。ま、こんな目に合えばこそ、みんなあの時はやけになってたっていうか、今さら引けるか! みたいな気持ちで頑張ってたけど、六層を越えてその緊張感も切れちゃったのね。結局、パーティは解散しちゃったわ」
「…………」
パメラも今なら分かる。あの毒の沼地に何度も挑むのは、狂気の沙汰だ。常人では到底出来ず、成し遂げたとて、それで燃え尽きてしまうのも致し方ない。その先が、あの毒の沼地以上の困難が広がっていると思えば、とてもではないが、足を進める気にはならない。
「怖い?」
「怖いです」
「やめとく?」
「それだけは出来ません」
「そっか」
それでも。
それでも、パメラには引けない理由がある。たとえここで命を落としても——いや、命を落としてなんていられない。必ず攻略を成し遂げ、故郷を救わねばならないのだから。
「じゃあ、体調が万全まで戻ったら再度突入するわよ。はっきり言っとくけど、何度も撤退をすると思うから、パメラはまずどれだけ時間が掛かっても良いから、毒の沼地に慣れることを覚えなさい」
「わかりました」
第五層までの脅威は魔物と、ただただ長い旅路であった。危険が多いかと言われれば、今なら分かる。第六層と比べて、圧倒的に穏やかであったと。
これが、塔の中のダンジョンタウンが第五層までしか存在しない理由。他の塔もきっと、同じように第六層以降に拠点を作れぬ環境であったのだろう。
ついに始まった本当の戦いと、その困難さ。
パメラが震える胸を抑えながら、これから襲い来る困難へと立ち向かう覚悟を再度固め、恐るべき第六層へと挑むのであった。




