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ダンジョンタウン  作者: 京海道
第六章:深淵への挑戦
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第42話:生者無き世界

 見渡す限りの白の高原。さえぎるもののない紺碧こんぺきの空。遥か彼方まで続く白の尾根から黄金が昇れば、世界はまばゆく照らすのに、吹き抜ける風は温もりを見せず、真冬のように冷たい。


 呼吸をするだけで肺は凍てつきそうになる。空気は薄く、普段通りの生活をするだけでも身体は重く、すぐに呼吸が乱れるだろう。身体が弱ければ眩暈めまいだってするかもしれない。それほどまでに、呼吸一つすることすら苦しい。


 だが、それこそがタヌライの求める環境であった。


「2121、2122、2123……」


 白い道、もくもくと積み重なる一等高い白の丘。遥か下には大地の影さえ見えぬここは、雲の上。


 塔のダンジョン第五層、雲の大地である。


 タヌライは雲の上の中でもひと際高く雲が積もった丘の上でトレーニングを行っていた。冷たい風に吹かれながら、酸素の薄い高所の中で、タヌライは指一本で己の身体を支え、逆立ちのまま腕立て伏せを行うという超人的なトレーニングを休むことなく続けている。


 筋トレは実益を兼ねたタヌライの趣味の一つだ。子どもの頃から身体を動かすことが好きだったタヌライは、自然と己を鍛える行為を生活の中に取り組んでいた。


 トレーニングは良い。無我の境地で一生懸命に励み、やればやるほど自分のレベルが上がっていくのが実感できる。指の一つ一つ、筋肉の一本一本まで酷使するこの旅。鍛えに鍛えておいても安全というものは保障されない。可能な限り肉体も精神も鍛えるのは必須である。


 努力無くして成功非ず。


 誰が言った言葉だったか。タヌライはこの言葉を信じて、修行に励む。努力して成功するとは限らないが、成功するかもしれないという幸運が訪れた時、努力して実力を手にしていなければ、幸運を手放すことだってあるのだ。


「2283、2284、2285……」


 故にタヌライは鍛錬を欠かさない。今までの旅の中でも僅かな時間を見つけては少しでも鍛錬たんれんの時間を設けていた。その努力が、今のタヌライを形作っているのだから。


「2298、2299、2300……っ! ふぅ……」


 一息吐くと、タヌライは一度体を倒し、胡坐あぐらを掻いて座り込んだ。気づけば朝陽が昇っている。修行に夢中になっていたタヌライは、今さらになって朝になっていたことに気づいたのだ。


「第五層。久しぶりに来たなぁ……」


 この白い雲の大地を、タヌライは懐かしみながら見つめる。インナーシャツと革のパンツは汗だくだ。筋肉が盛り上がる身体を布切れでき、顔の汗をぬぐいながら、程よい冷たさに感じる風を浴びて身体の火照りを冷やすのは、極上の感覚である。風に身を預けながら、タヌライは物思いにふけり始めるのだ。


 ホワイトバケダヌキとの遭遇から一年以上の時間が経過した。


 当初は一年半から二年程度の時間を掛けてこの第五層まで進む予定を組んでいたが、あの日以降、パメラは変わった。少しでも早く先に進もうと、休憩をあまり取りたがらず、先を急ぐようになった。彼女が足を止めたのは、この一年の間で誰かが病気にかかった合計二十五日ほどだけである。


 各層にはだいたい二つほどの拠点がある。その拠点から拠点までの間を、他のパーティと組みながら恐るべき速いスピードでこの第五層、第二の拠点までへと来た。これははっきり言って早すぎだ。塔の難易度に対して、パメラの成長が追いついていない。


 ここまでは順調な旅路であったし、初めてパメラと出会ってから六年、彼女は強くなった。だが、まだ足りない。全然足りない。だからタヌライとクレバシは今回の旅、五層の第二拠点に着くまでゆっくりと攻略し、その間にパメラを鍛えようという方針にするつもりであった。


 けれどパメラはそれを拒み、進行を優先した。もちろん、この一年の間に何度も彼女を鍛える機会はあったし、彼女自身も時間が許す限り、厳しい修行に打ち込み続けている。


 だが、まだだ。まだ足りない。まだ足りないのに、彼女はこの先の六層攻略を急ごうとしている。


 理由は判る。ホワイトバケダヌキの幻術だろう。


 タヌライ自身は誰がどんな幻覚を見ていたか知り得ないが、パメラの反応から何となく理解は出来た。恐らく、故郷を救うことが出来なかった幻を見せられたのだろう。ホワイトバケダヌキは弱い生き物だが、他者の心に干渉し、その人が最も恐れる幻を見せることを得意とする。それを見せられて、パメラは聖冠グランド・クラウンの入手を急ぐようになったのだ。


「ここまで来ちゃったけど、まだ早いと思うんだよな。コリンはどう思う?」


 胸に手を当て、タヌライは静かに目を伏せる。この先のパメラを想えば、この拠点で足を止め、彼女のレベルアップにしばらく時間を費やすべきなのである。けれど、肝心の彼女が聞き入れてくれないので、どうしようもなかった。


「……ん?」


 パメラに想いを寄せていると、激しい雲柱が遠くの方に沸き立ち、辺り一帯の雲の大地を荒らしているのが見えた。パメラだ。超スピードの走り込みをこの雲の上で行う自主トレーニングに励んでいるのだ。


「パメラのスピードも随分上がったなぁ」


 初めて五層の雲の上に着いた時、パメラは呼吸もままならず、寒さと酸素の薄さで何日も倒れ込んでいた。酸素が薄いと体が思うままに動かない。まるで鉛のように重くなった体を引きずりながら、パメラは頑張っていた。


 しばらくして、魔力で体を包み、環境への抵抗力上げることを覚えた。そして雲の上を進んでいく中で自然と彼女の身体は鍛えられ、やがては魔力無しでも適応できるほどに肉体も精神も強くなった。


 そうすると今度はトレーニングする余裕が生まれる。最初の頃は数分程度しか全力で動けなかったが、この第五層に来てから四か月、今ではパメラは全速力で長時間走れるほどに成長をした。初めて出会った頃とはまったく別人レベルの成長っぷりである。体力だけなら、恐らくパメラはクレバシ以上に育っただろう。


 魔力のレベルも大きくパワーアップしたが、それでもまだまだパメラ以上の探索者は多い。もう少し時間を掛けて育てたいというのが本音だが、パメラのわがままでもうそんな時間もない。


 この第五層の第二拠点。ここばかりは他の層の拠点と違い、すぐ近くに第六層への門がある。


 塔のダンジョンは特殊な造りとなっている。各層を進んだ先に、必ずプラチナの門扉もんぴが存在し、それを開くと次の層へと突然移動する。基本的に層をへだてる門扉があるところは強力なモンスターや、あるいは拠点を作るのに向かない場所が多いため、最後の拠点から何日もかけて移動し、層を隔てる門扉に向かう必要がある。


 だが、この第五層の第二拠点だけは別であった。


 町の奥地に次の層への門扉が存在するのだ。これが以前のタヌライたちのパーティが何度も攻略をし直し、第六層を調査出来た最大の理由である。


 第六層は毒の霧と沼地に覆われた、地獄のような場所なのだ。タヌライたちはこれを進むのに三年以上の時間を掛けた。何せ食料が腐る。肉体の稼働時間も極端に少ない。六層で命を落とせば、蘇生術を用いても復活は絶望的である。


 それほどまでに第五層までと、第六層以上は決定的に別物なのだ。


 第六層は調査の結果、他の層よりも門扉への距離がかなり短い。命がけで調査し、ルートが確定している今、恐らく一ヶ月も経たずに攻略は出来るだろうという目途が立っている。問題は、パメラが——いや、タヌライたちもどれほど耐えられるか、という不安がある。


 可能であれば進むが、無理と判断したら即座に撤退。


 塔の攻略はここから先が本番である。極限まで鍛えた肉体、潤沢な魔力、健全な精神。どれか一つ欠けても先に進むのは困難だ。どれかのバランスが悪くなった時点で引き返さなければならない。


 そういう意味では、今のパメラの精神は健全とは言い難い。一度六層に挑戦させて、あえて心を折ってから落ち着かせて、それから挑戦するというのも一つの手だろうか。


 遠くで走り込みを続けるパメラを見つめながら、タヌライはこの先の旅を案じてばかりいた。


        ○


 一方、こちらは夜明け前に起き出したクレバシである。


 タヌライたちが深夜にトレーニングに向かった時も彼女は宿ですやすやと眠っていたが、夜明け前に起き出すと、釣り堀へ向かい、釣竿を借りて糸を垂らしていたのだった。


 のんびりとパイプに火を灯し、煙を噴きながら、ぼんやりと。時々竿がしなるとグリップを掴み、ぐいぐいと、引っ張り合いながら糸を手繰たぐり寄せる。


「フィーッシュ!」


 なんて言いながら釣り上げたのは、雲の下を泳ぐ鳥たちである。鳥は見事に釣り針に引っかかり、引っ張られた先には釣り人がいるのだから驚きであろう。


 雲の上では鳥が釣れるのだ。そういうものである。これは第五層に限ったことではなく、塔の外に在る雲の上の王国でも同じことだ。釣り人たちはのんびりと糸を垂らし、鳥を釣ることを楽しみにしている。


 クレバシも先達に倣い、釣り糸を垂らして釣りに興じている。ここに酒があれば最高だが、出発も近い。今日中に第六層に挑戦予定であるので、さすがに酒は控えねばならない。


 釣り上げた鳥の首をナイフで搔っ切り、血抜きと同時に息の根を止めながら、バケツの中に放り込んでいく。その中には仕留められた鳥が既に十羽近い。


「いやー、大量、大量。あたしってば釣り人の才能があるのかしらねー。老後は釣り人として余生を過ごそうかしら」


 鼻歌を吹かしながら、餌のミミズを針に付け、さらにもう一勝負。今日の爆釣ばくちょうは引くべきではない。これは勝利の流れである。


「お、また引いたっ!」


 しなる竿を嬉々として掴みながら、塔の攻略のことを忘れ、気づけばクレバシは楽しくなっていた。


        ○


 釣り上げた鳥を肉屋で捌き、切り分けてもらうのに時間は掛からなかった。その間にタヌライとパメラが戻って来、トレーニング上がりの二人は宿に戻って汗を拭きつつ冒険着に着替えている。出発の準備をして戻ってくることだろう。


 待っている間、クレバシは捌かれた鶏肉に保存用の冷却魔法と、あらゆる毒物から守るための結界魔法を念入りにかなり強く、これでもかと頑丈に施す。以前に六層に初めて入った時はどんな場所かもわからなかったから、入って早々に全員が食料を腐らせてしまうという大事故が起きた。二度目以降の潜入では対処に対処を重ねたが、それでも食料の腐敗が早かった。だから、あらゆる方法で食料の保存を何度も試したものだ。


「あれから六年ぶりかぁ。早かったような、長かったような」


 予定よりは随分と早い期間だが、まあ良い。クレバシはやれる限りのことをやるだけだ。特に今は、食料に魔法を掛け、食料を詰め込んだ鞄にも全力で魔法を掛ける。今回、クレバシの元々持っていた荷物はタヌライとパメラのリュックサックに分散して詰め込ませてもらい、代わりにクレバシのリュックサックを丸々全部食糧庫へと変えたのだ。これならば今までにないほど安全に食料を守れるはずである。


「お待たせ、クレバシ」


「お待たせしました、クレバシ」


「お、来たわね」


 ちょうどクレバシも準備が終えたところで、二人が姿を現した。


 タヌライはいつも通り、フードを被った身軽な冒険着。パメラは緑の外套に身を包んだ冒険着。


「パメラは第六層の攻略は初めてね。これを着けておきなさい」


「これは……?」


 クレバシが渡した革袋をパメラは不思議そうに見る。同じく渡されたタヌライはすぐ様、革袋を開くと、中から一枚の外套を取り出した。パメラも同じように、取り出す。


「それは毒除けの強力な魔法を込めた外套。前にも言ったけど、第六層は毒の沼地とガスが広がっているわ。一時でもそれを脱いじゃダメよ。たちまち腐り落ちるからね」


「……は、はい」


「ついでに手袋とブーツも専用の物が入ってるから着け変えておきなさい」


 クレバシの支持に従い、タヌライとパメラは外套を羽織り、ブーツと手袋も着け変える。「久しぶりだな、これを着るの」とタヌライは慣れた様子だ。今までのブーツと比べると、少しばかり弾力があるだろうか。


「あとはゴーグルと、口元を覆うマスク。それと毒除けのタリスマンがあるから、全部着けて絶対外さないこと。ここまでやっても、まだまだ不安が残るレベルなんだからね」


「は、はい……っ!」


 パメラはすぐ様ゴーグルとマスクも装着し、胸元からタリスマンを下げた。クレバシの魔力がこれでもかとばかりに込められた、とてつもなく強力な魔具であることはわかる。うんうん、と頷くクレバシも同じように装備を整え、三人は六層に挑むのに最適な状態へと変わる。


「パメラ。ここから先は今まで以上にあたしたちの指示を聞くこと。特に撤退の指示だけは何が何でも最優先で聞き入れなさい。ここまで来て、何も出来ずに死ぬなんて、やりきれないでしょ?」


「……えぇ。わかっています」


「わかっているなら結構。ここから先はあんたのわがままを聞いてあげられる余裕が無いからね」


 念のため、さらに釘差し。パメラは唇を固く結んで頷く。逸る気持ちがあるからこそ、ここから先は絶対にしくじれないと彼女も強く理解しているのだろう。少なくとも、撤退に関しては大丈夫そうだとクレバシとタヌライは目配せをし合った。


「さあ、行きましょうか。いよいよ第六層への挑戦よ」


 ここから先は生者無き世界。一切の死を跳ね返す術のない、問答無用の地獄が広がるばかりである。まずはこれを乗り越えなければ聖冠を手にすることなど到底かなわず、己の体力と精神力が試される、真なる困難。


 三人は大きな荷物を背負い、いざ、第六層、毒の沼地へと向かうのであった。

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