第3話:試す人、試される人
始まりは1万年前とも言われる。
ある日、世界のどこかに塔が現れた。
突然、現れたのだ。
白亜の塔が現れ、人々はこれを創生の神のいたずらと思った。
この塔の中には数多の生物、幾多の世界が形成されている。
地上にも生息するような魔物から、おとぎ話でしか語られない幻獣といった、およそ人の世界では見られぬような生物までもが。
そして塔の中は複雑怪奇である。塔の中だと言うのに暖かな陽射し差す草原に出たかと思えば、嵐吹く大海の中へ放り出されることもある。雷雨猛る森の中を越えたと思えば、静寂と暗黒が広がる洞窟の中を歩いていることなども当たり前だ。かと思えば毒の沼地が広がる王城跡を進むこともあれば、僅かばかりの足場を頼りに進む天空の大地を征かねばならぬことだってある。
そんな冒険者を迎えるのは、動物のような魔物たちでもあれば、大斧を振るうケンタウロスであれば、いくつも目玉がついた奇怪な蛇なこともある。暗闇の中から突然数え切れぬほどの手が首を絞めることもあるだろう。足元からは巨大な口が一行を飲み込み、二度と還らぬ人々はそれが何であったのかさえ理解も出来ない。
魔境。
まさに、魔境である。
蘇生の魔法も先に進むほどに効果を薄れさせ、一定以上の先では生き返ることすら叶わない。絶望に次ぐ絶望。人は神の試練であると勇み、挑んでは、心折れて戻る。戻れたものは幸せだ。なにせ、人でなくなっても生きているのだから。不幸なものは帰ることが出来なかった者たちだ。彼らは自分たちが何を見て、何を感じ、何に生を潰されたのかさえ解らず、手記にさえ残すことなく、あるいは残せたとしても、誰もそれを拾い上げることさえできないのだから。
最初に塔が現れて、千年が経とうとした。
初めて、塔を制覇する者が現れたのだ。彼は塔の最奥で黄金の冠を見つけたという。
黄金の冠は彼に語り掛けた。
“汝、願いを求めよ——。”
男が願いを口にすると、その願いは叶えられた。たちまち冠と塔は消え、また新たに世界のどこかに塔が現れたのだ。
そうして人々は知る。
この塔を踏破する者には、どんな願いさえも叶えられる黄金の冠が与えられるのだ。
これは神が勇者にのみ与える、聖冠である——と。
同時に、巨大な亀は次の塔を目指した。誰かが塔を登り、願いを叶え、新たな塔が出る度に、この亀は塔を目指し、その手前で眠りについた。
人々はこの亀の上に都市を作り上げた。塔に挑まんとする者相手に商売をする街。移動し、欲望を抱く者たちを受け入れ、商売をする生きた街。それがこのダンジョンタウン。そして、ダンジョンタウンが存在する最大の目的。それが、願いを叶える聖冠と塔。
世界中の人々がここに集い、塔の下に拠点を作り、数多の冒険者と、王侯貴族たちの命を受けて侵入する者たち、あるいは世界中の宗教会から信託なるものを授かったと吹聴する野蛮人が押し寄せ、ここに生命の輪を築き、今もこの地に腰を据え、塔を幾度となく目指した。
それは今日に至っても変わらず、そして今もまた、新たな欲望を持つ者をこの街に迎え入れる。
〇
「あの塔の中では、百戦錬磨の達人や、戦争で武功を上げた英雄たちですら帰らなくなる。貴女が思っているほど容易い場所じゃないわ。現にあたしたちも探索が難航して足踏みしているのよ」
パイプを咥え、煙を吸い込み、口の中で味わったそれを、ふぅ……とクレバシは吐く。その煙の多さが、彼女のため息の深さを表すように。
「何より一番の困りごとは人手。塔の攻略は年単位で掛かるわ。大量の人と、お金と、さまざまな道具と食料。それを運ぶ人手が重要になるのよ。それも半端な人員じゃダメ。どんな地獄でも進めるほどの覚悟と実力を備えた人たちが必要なの。金と歴史で雇ってる兵士なんてあてにしない方がいいわ」
「……それでも、私は」
「諦めきれないって言うんでしょ。貴女の言うことは尤もよ。でもね、同じような願いを抱えてくるやつなんて、それこそ掃いて捨てるほどいるわ。お分かり? 貴女の願いは、ここでは特別なものではないの。崇高であっても、十把一絡げにされる程度の願いなの。神様の祝福は期待せず、他国からの援助でも求めた方がまだ現実的でしょうね」
「貴女に、何が……!」
「解るわけないでしょう。現実的な案も出さず、勢いだけで乗り込んで来たお嬢様の行楽に付き合っていられるほど、あたしたちも遊んでる余裕はないの。ましてそんな旅にも適さない上等なだけの衣服。毒の沼地を踏破することもできない綺麗なブーツ。貴女、舞踏会にでも参加しに来たの? 現実も見ずにここに来たのが、今の貴女の姿よ。何もわからない物見遊山はここまでにして、上級国民は上級国民同士、お偉いお話でもすることね。嫁入り道具の準備でもしておいたら?」
——パンッ。
乾いた音が、やけに大きく、店内に響いた。
張りの良い音は店内で木霊し、近くの客たちが思わず目を剝いて凝視するその光景。突然現れた金髪の女に、クレバシが引っ叩かれるその珍妙な光景に、あんぐりと口を開けて、彼らは茫然と見た。思わずタヌライも、顔を丸々と膨らませるほどのミートボールを噛むことも止めて、びっくりした。
「ならば結構! クレバシ、貴女に頼ることは何もありません!」
「……へぇ、意外。泣いてわめくかと思った」
「そのような無様を晒すために、私はここまで来たわけではありません。貴女にとっては十把一絡げの願いでも、私にとってはこの身、この生涯を掛けるに値する願いなのです! そして貴女の言葉は、我が国民への侮辱! 泣いて下がれるほどの安っぽい誇りは持ち合わせてはいませんわ!」
パメラは踵を返し、マントを羽織る。
「さようなら、クレバシ。貴女に一つ感謝があるとするならば、私が甘っちょろい楽天家であったということです。情報を集め、私たちは私たちなりの方法で塔へ挑みます」
「ふーん……」
「では、失礼します」
そう言って去ろうとするパメラの手をしかし、タヌライは取る。
「待って、待って! もう……クレバシ、十分でしょ? この人はちゃんと覚悟がある人だよ」
「タヌライ……」
「ごめんね、パメラ。クレバシの悪い癖なんだ。座って、座って」
去ろうとするパメラをもう一度椅子に戻らせ、怪訝な表情を浮かべるパメラに、タヌライは笑いかける。
「タヌ、頬っぺたにソースがついてるわよ。拭きなさい」
「クレバシが引っ叩かれるから、びっくりしてついちゃったんだよ」
ぐしぐし、と手の甲で頬に着いたソースを取り、甲についたソースをぺろりと舐めて、タヌライは言う。
「クレバシはね、まぁ、意地悪な言い方だけど、意地悪してるわけじゃないんだ。ちょっと強いこと言われただけで泣いて逃げるような人なら、塔の攻略は無理だってわかってるんだよ。だからパメラを試したんだ、ごめんね」
「た、試す……?」
「うん。昔、誰彼構わず仲間に引き入れてとにかく挑戦しようって時期があったんだけど、威勢の良いことを言ってた人はみんなすぐに脱落したんだ。連携も取れないし、自分勝手で、責任感がない集まりだったから、無理にまとめようとすると反発したし。かと言って強く注意すると、泣いたり、不貞腐れたり、逃げ出したり……まぁ根性がないって言うのかな。それでボクらも懲りたっていうか……本当に強い信念がない人を引き込んでもボクらも上手くいかないし、そういう人が塔に入っても無駄死にした。昔に組んでたそういう連中は一人残らず死んだか、落ちぶれていったよ。ひょっとしたら、どこかで野垂れ死んでるかもね」
「のたれ……」
「だから、パメラにはそういう目にあって欲しくないっていうクレバシなりの優しさ……優しさじゃないね。でもまぁ、逃げ帰るようなら無駄死にするよりマシだってことなんだよ。いきなり酷いこと言われて腹が立ったと思うけど、本当にごめんね。姉の無礼だけど、妹として、ボクが謝るから、許してあげてくれないかな?」
「クレバシ……」
ふん、と鼻を鳴らして、クレバシは煙を噴かせた。顔は窓の外を見ているが、先ほどまでの人を小馬鹿にしたような、それでいて見下すような表情は浮かべてはいない。
「そうでしたのね、私こそ失礼いたしました。それで、クレバシ。貴女の眼から視て、私はどう映りましたの?」
その問いかけに「そうねぇ」と、クレバシは大きく息を吐きながら煙を吐き。
「ま、最低限ってところじゃないかしら? 実地で動いてみないことには本当の辛さは伝わらないもの」
「そうですか」
クレバシとパメラはニィ、と笑みを浮かべ、互いを見合った。
「さて。ここまでは茶番、あたしたちが貴女を見定めていた番だけど、次は貴女よ、パメラ」
「ええ。そこまでの口達者振り、まさかハッタリでは済ませるつもりはないのでしょう?」
「当然よ」
そう言ってクレバシはパイプを口元から離し、テーブルの上に置いて、席に着いた。
「さあ、商談を始めましょうか」
さながら蛇の如き目で、クレバシはパメラを見つめた。
「ところでタヌライ。貴方、妹って言いました……?」
「え? あ、うん。そうだよ、ボク妹だよー」
「……女の子、でしたのね」




