第35話:暴かれた邪悪
男は息を潜めて耐えていた。
息を殺し、この辺境の小さな村に身を潜め、時折人の生活に交わっては、また静かに息を潜め、耐えていた。
ハイマンとエルフの関係は二百~三百年ほど前に改善したとは言え、それまで大昔の戦争の爪痕を引きずり、未だ地方によっては互いの種族を毛嫌いし、差別する傾向は強く残っている。このハイマンの国の片田舎の村でも、その風習は根強く残っていた。
だから彼がこの村に訪れることは、非常に悪目立ちすることであったが、それでも村の外れに昔使われていた牛舎跡を住居代わりに潜伏し、年に数回、行商人としてこの村に立ち寄ることは必要なことであった。
エルフの男はダッカォという名と、行商人としての身分を偽り、耐えていた。間もなく数日のうちに、この村に自分を訪ねてくる無法者たちがやってくる。そいつらから商品を受け取り、金を払い、さっさとこの村から出ていくのだ。ハイマンたちの冷ややかな視線と、言葉にせずとも感じる歓迎していない空気は、耐えられるものではなかった。
——ココン。
ノックだ。木戸がノックされる。村人たちはこんなところに来るはずはないし、約束の日までまだ数日があるから、目的の人物たちではないはずだが。
——ココン。コン。コココン。
リズミカルに、一定の速度で、決められた感覚のノックが打たれる。まさか、本当にもう来たのか。
——ココン。コン。コココン。
「ま、待て……っ」
予想外の早さであった。まだ数日はこの汚らしい牛舎跡に潜伏しなければと思っていたから、出迎える準備は出来ていなかった。藁を敷き詰めたベッドに寝転がり、ごろごろと自堕落な生活をしていたダッカォは慌てて衣服を着込み、顔隠しのローブを身に着け、金の入った革袋を掴んで扉の前に寄る。金貨にしてニ十キロ近い重さになるほどずっしりと金の入ったそれが、相手の求めるものだ。
「ま、待たせたな……」
木戸をそっと開き、全身を隠しながら隙間からそっと相手を除く。相手もローブを着込んで顔と身体を隠しており、何者かは判別できぬ。だが、取引の場に出て来るのは概ねこんな連中ばかりであった。月明かりを背にしているので、一層に顔がわからぬが、なぜか背丈も体格も不明瞭に思えて、記憶に残らない。それでも、そのことに違和感を覚えぬダッカォは互いの要件をさっさと終わらせようと、口を開こうとして——相手が指を口元に当てたのを見た。
声を出すなというジェスチャーだ。そして、そのまま指先は小屋の外、村の外へと向かう森の方へと向けられる。
どういうつもりだ、と問うまでもなく相手は森の方へと足を向けていくので、仕方なくダッカォも森の方へと向かう。村人がこちらに近づいているのだろうか。彼の頭では答えは浮かばなかった。とにかく、さっさと金を渡して、物を受け取って、去りたい一心であったのだ。
深まっていく森の中を歩き、着いていく。どこへいくつもりだと問いただしても、反応はない。ただぬかるんだ土と、不規則に散らばった枯れ枝の名残をパキパキと踏みつけながら、後に続く。
空を隠すほどの分厚い葉の天幕は月の光さえ隠す密会場をこさえる。つん、と鼻につく湿気を含んだ土と葉の匂いが鼻に纏わりつき、嫌な熱気が肌に張り付いて、じわりと汗が浮かんだ。
「おい、どこまで行く気だ。商品はどこに置いてある」
いい加減じれったくなったダッカォは声を荒げる。もはやこれだけ奥深くにまで入り込めば、多少声を大きくしたところで森が飲み込むから聞かれることは無いだろう。
「どこへ行く気だ、と聞きますか」
その声は、男とも女ともつかぬ、不思議な声音であった。しかしそれに違和感を覚える前に彼は自身が罠にかかっていることを知る。相手が足を止めた途端、背後からさらに二人が現れた。どちらもローブを被り、顔は見えない。だが、ただごとでないことは一目瞭然であった。
「ならばお答えしましょう。後悔と反省の独房です!」
そして目の前の取引相手がローブを剥いだ瞬間、その姿にダッカォは絶句した。
太陽を閉じ込めたような黄金色の髪に、処女雪を思わせるような白肌。尖った耳はエルフを表すものであり、ルビーのように鮮やかな紅い瞳は貴族階級の中でもひときわ美しいクロエルド家の証だ。その中で青薔薇のコサージュを身に着けるのは一人しかいない。
「“青薔薇の君”、パメラ・ロズ・クロエルド……っ!?」
「名乗る必要はないようですね。では、お覚悟を」
銀の光が瞬き、抜剣された剣の一閃がダッカォのローブを切り裂き、その素顔が森の中に晒される。
「え……っ」
「ま、まずい……っ!」
その瞬間、貴族の女、パメラは絶句して動きが硬直し、そして、ダッカォを名乗る男は慌てて顔を隠したが、その動作はあまりにも遅かった。
ダッカォの正体をはっきりと見たパメラは目を丸くし、信じられぬものを見るような眼であったが、それは彼にとっても同じであった。
なぜこんな女が、こんなところに。
「貴方は、エンリオーネ男爵が抱える銃士隊の一人、英雄マルトー……!?」
パメラが弱々しく零した言葉に、ダッカォ——否、マルトーは舌打ちした。
○
「場所がわかったわ」
地図に印をつけながら、クレバシが言う。彼女が筆で地図に目印を付けた所は、これから向かう予定の小さな集落であったが、なぜかクレバシはそこから少しずれた場所に印をつける。
「クレバシ、集落はこちらですよ」
「そうね。でも潜伏しているのはこっちよ」
と、クレバシは力強く地図を指差す。
「物の記憶を読み取った。これと同じ毒薬が、どんな場所に行き着いて、どんなやり取りをしていたか。犯人はここに潜伏していて、とあるリズムでノックすると出て来るみたいよ」
「そんな便利な魔法があるんですね」
とてつもない悪さを出来そうな魔法を、クレバシはさらっと披露する。彼女との仲を深めて久しいが、未だ彼女の奥底は見えない。その多彩な能力は、パメラがこの五年間多くの人々と旅を共にした中でも、やはりひと際、図抜けていた。
「ここに正体がわからなくなる魔法のローブがあるわ。これを着ておびき出し、すぐ傍にある森の中で捕縛しましょう。あたしは森の中に罠を張るから、おびき出す役は……タヌ、余計なこと言わずに呼び出せる?」
「もしかして、すっごくバカにされてる?」
「バカにしてるんじゃなくて、おバカなのよ、あたしの可愛い妹は」
ぷくぅ、と頬を膨らませて反抗気味の眼をするタヌライに構わず、話を進める。
「ダッカォを森で捕まえたら、そのまま眠らせるなりなんなりして、ダンジョンタウンに戻って衛兵に突き出しましょう。あとは買収されないようにだけ圧力かけてもらって、お任せかしらね」
「クレバシ」
「んぁ?」
「おびき出す役目、私に任せていただけませんか?」
そう言いだしたパメラの眼には、強い怒りの光が燃えていた。
ダッカォなるものが何者かは知らぬが、かつて戦争で苦しめられた魔薬が再び猛威を振るっていること、アビス人の亡き国、ダルクネス帝国と関わりがあるかもしれないという可能性が、彼女の中にある正義の怒りを昂らせていたのだ。
「おっけー」
なら、彼女を止める術はないと、クレバシは了承する。
「ただし、無茶は禁物よ。余計なことは口にしない、森の中に連れ出す。やることはそれだけよ、いいわね?」
「ありがとう、クレバシ」
魔法のローブを受け取り、パメラは、溢れ出る怒りをぐっと飲みこんだ。
○
「……マルトー卿、ここで何をしているのですか?」
「ぐ、ぐぅぅ……っ」
互いの正体が判明した瞬間、立場が悪いものになったのはダッカォことマルトーの方である。目の前にいるのは貴族の中でも最上位に位置する女。対して、マルトーは騎士の身分である。
「ぱ、パメラ。この人、知り合いなの!?」
「知り合い、というほど面識はありません。ですが、多少の覚えはあります。この方はマルトー。先の大戦で、平民の身分でありながら高い戦果をあげたことで騎士に叙勲された英雄の一人です」
と、パメラはその正体を明かす。彼女はその英雄マルトーを称えるような言葉を並べるが、その声色は冷たく、重かった。
「我々エルフの国を建国した初代の王、“白い王”には七人の側近がいました。それは七大公と呼ばれ、公爵位の中でもさらに特別な意味を成します」
「七大公……と、その人が何か関係あるの?」とタヌライが首をかしげる。
「ええ。フランカ王国を七つに分けた土地を、それぞれ支配する特別貴族。私のクロエルド家も、その七大公に分類される家柄です。そして彼、マルトー。彼が仕えている主はとある男爵家ですが、その男爵は我がクロエルド家と同じ七大公——ロックバック家の腹心とも言える名家なのです」
その名が出た途端、マルトーは冷や汗を掻いて後ずさりをする。その言動が、答えと言っているようなものであった。なので、その瞬間、光の縄が四方八方から飛び出し、彼を捕縛し、逃がさないようにする。クレバシが張った罠だ。「はい、お疲れー」と、どこか呑気に、クレバシは彼の退路を塞いだ。
「マルトーが仕える男爵家は、ロックバック家の表沙汰に出来ない仕事に多く関わると聞きます。マルトー。騎士の身分を配しながら、己が何をしているか、まさか自覚がないなどと恥を述べるつもりはありませんね」
「……く、くく……も、もう終わりだ……っ! なぜ、クロエルド家が、こんなところに……っ」
「口を慎みなさい。貴方に許された発言は一つ、この私への問答の解のみ。答えなさい、何を目的としてこの魔薬を引き取りに来たのです。エンリオーネ男爵は……いえ、ロックバック公爵は何を企んでいるのですか!?」
ぴしゃりと、パメラの言葉が空間を制圧する。冷や水を打ったように静まり返り、マルトーは震えるまま、何も言えずにいる。タヌライとクレバシも、この緊張感が張りつめる場で、声を上げることは躊躇われた。
「……答えぬのならば結構。ダンジョンタウンに戻り、貴方の身柄は我がクロエルドが自治するアルテト領へと送られるでしょう。悪しきを裁かれるのを待っていなさい」
「……っ、……ぅぅっ!」
マルトーの身体が小刻みに震え、口元から唾液がぼたぼたと落ち、目が血走る。こうなっては最早、彼の家は終わりだ。一族諸共、罪人として引っ立てられることだろう。
「こ、こんな終わり方をするのならばっ! 俺とて戦場で成果を上げた男だ、みすぼらしく証拠を残してなるものか!」
「っ!?」
捕らえられてなお、彼は袖口にしまったナイフを取り出しながら、それを己の手に突き刺した。すると、その途端にナイフは砂粒のようになって崩れ消え、同時にマルトーの身体が炎に包まれ、燃え始めた。
「い、いけない……クレバシっ!」
「……っ、もう遅いわ」
「そんな……っ」
炎は皮膚を焼き、髪を溶かし、肉を裂いて、骨を砕いた。炎は口だ。牙だ。絶叫するマルトーをばりばりとかみ砕き、燃やし、飲み込みながら、さらにその勢いを強めていく。
「これは、儀式召喚魔術……っ!?」
その光景に、クレバシは素早く錬金銃を抜き放ち、タヌライも斧を構えた。炎が形を成していく。悪魔の形に、人を貪る邪悪の形に。炎の悪魔は牙を剥き、パメラ達も喰らおうと、咢を開く。
「……二人とも、下がっていてください」
だが、パメラは怯みはしなかった。森を燃やし、飲み込もうとせんばかりの悪魔を前にしかし、パメラは剣を手に、一歩前に出る。
「これは、私たちエルフの貴族の不始末。薄汚れたみすぼらしい魂にまで堕ちはしましたが、それでも、彼にはエルフの血が流れていた」
邪悪な炎、何するものぞ。その程度で臆するのであれば、パメラの旅はとっくの昔に終わりを迎えていた。銀刃を深き森の深淵の中で煌めかせながら、パメラは勇む。
「ならば、その引導はエルフである私が渡すべきもの。来なさい、英雄マルトー。私が貴方に罰を下します!」
刃を振るい、パメラは邪悪へと立ち向かった。




