第34話:暗躍影侵
「うーん……」
と、クレバシが首を傾げ初めて、もう十分近くが経つ。
クレバシの手には、少年キッドが海賊から盗んで来た違法の毒薬が入った小袋。エルフの商人ダッカォに海賊たちが運ぶ予定であったというそれと、クレバシはずっと睨み合っていた。
「クレバシ、どうしたんですか、そんなに唸って」
コーヒーハウスの仕事着から、普段の冒険着へと着替えてからもクレバシはずっとその毒薬を睨んでは、うんうんと唸り続けている。当のクレバシはと言えば。
「いやー……どーにも、引っかかるのよねー」
「なにが」
「なんだろー……こいつのことで、なんか貴重な情報を昔教えてもらった気がするし、しないかもしれないし……」
「はぁ」
「あー、なんだったかしら」
なんとも、ふわふわとした会話である。雲をつかむように不明瞭で、クレバシは何を求めているのかもわからない。
「もう行くよー」
「うーん……」
返事なのか、唸っているだけなのか。もはや判断がつかないと、タヌライはクレバシの手を引いて街外れの森へと向かっていった。パメラも、その後を追う。
時刻は既に夕陽が沈み切り、黄金の月が東の空から昇っていた。むわっとした湿気を含んだ風からは、同時に青草と、生暖かい水の香りが混じる。虫たちの音楽を乗せて街中に吹く風は、昼の火照りを涼ませて、夏の街にしばしの安息を与えてくれる。
銀色の星々が、空に浮かぶ濃紺の絨毯の上に広がった。月と星の光が満ちた空は明るく、街中の灯りにも負けない眩しさだ。雲一つない夜空の下は、灯りを持ち歩かなくても快適に歩けるだろう。
タヌライたちは今、街の外を目指していた。
このダンジョンタウンという巨大な街は、今は眠っているとてつもない巨大な大亀の背の上に建てられた街だ。だが、亀の甲羅の上全てが街というわけではない。中心部から大きく街が広がっていくが、それでも亀の大きさからすればまだまだ僅かばかりの大きさで、街をぐるりと覆う防壁の外には、途方もない大きさの森や山が広がっている。タヌライたちが目指しているのは、その城壁の外にある森林だ。
街の至る所には商人や、一部の有権者、また信頼のおける探索者などにだけ使用の許されるワープスポットがある。それを使用して街の外に繋がる城壁前までワープをし、衛兵に身分証を提示して、外への門を開けてもらう。一応、夜半の外出は気をつけろと言われるが。
門を開け、跳ね橋へと足を踏み入れると、足元に広がる堀の水の臭いが途端に濃くなり、足を外へと向けて進めるほどに強烈な夏の匂いが一行を出迎え、そして急速に都市の匂いが薄れていく。
まとわりつくような湿気と熱気。ほんのりと涼やかな川辺の水を乗せた風が吹き抜け、水気を含んだ土と草の香りを乗せて走り、木立がさやさやと夜風に揺れる。思わず深呼吸をしたくなるほどの、夏の夜の匂いがした。
「じゃ、ちゃっちゃと済ませちゃおっか」
未だ考え事をしているクレバシの手を握りながら気にせず、タヌライは進み、パメラも後に続く。
毒薬の売買に関わるエルフの商人ダッカォ。その人物を捕縛するために、タヌライたちはすぐに街を出発することに決めた。海賊たちは街の衛兵に任せているので、時期に海賊団や、その航海に関わった者は捕縛されるだろう。ひょっとしたら、どこかの商団が関わっているかもしれないというのが、クレバシの推察であった。
もし、ある程度の規模の大きな組織が関与していたなら、呑気に明日まで待っていてはダッカォに情報が届き、雲隠れされてしまうかもしれない。だから今日中に行動するという方針に決まったのだ。
「ですが、タヌライ。ダッカォを捕まえに行くのなら、ワープで出るべきはダンジョンタウンの外の森ではなく、ダンジョンタウンを乗せた大亀の背の外ではないのですか? クレバシの予想が正しければ、今頃は馬を飛ばしているかも」
「あぁ、それなら大丈夫だよ」
パメラの心配をよそに、タヌライは問題ないと、ニカっと笑う。その自信がどこから来るものなのか、パメラは小首を傾げた。ここから走って行けというのであれば出来るが、それなら一層、大亀の外に出れば良いものを。
「今夜は良い風が吹いてるね。これなら都合が良いや!」
そう零すタヌライはと言えば、ポケットの中を漁って一枚の木の葉を出す。
「タヌライ?」
「ま、見ててよ」
タヌライはその木の葉を額の辺りに付けると、手放し。
「広がれ! 大葉浮遊の術!」
風に踊り、離れて行った木の葉が突如としてとてつもなく巨大になり、それは見上げていた月を隠すほどに大きく、分厚くなったではないか!
「え、え、え……っ!?」
驚き、戸惑うパメラの隣では、クレバシは未だにうんうんと唸り、考え事に耽る。そんなパメラの反応に嬉しそうにいたずらっ子のような笑みを浮かべながら、地面に落ちて来たその巨大な葉っぱを踏みつけ、タヌライは乗り込む。
「さ、パメラも乗ってよ」
「え、えぇ……っ!? タヌライ、これは……っ!?」
「あははは。ま、ボクだってクレバシの妹だからね。力一辺倒ってわけじゃないよ。さ、乗った乗った。あんまり誰かに見られたくないんだから」
「は、はい……」
催促されるままに足を踏み出すと、存外硬く、なのになんとも言い難い弾力と分厚さに、妙な興奮と不安感を覚える。これが葉っぱの感触というものか。手に取るものとは違い、靴で踏んだ分厚い葉っぱは、葉っぱの感触としか言い様のない不思議な感触をしていた。そして踏む度に、葉っぱの香りが強くする。
「よーし、行くぞー!」
タヌライが号令をかけると、まるで意志があるかのように葉っぱが飛び出す。風に逆らい、力強く飛び出したそれに、「きゃあっ!」と小さく悲鳴を上げてしまったが、その勢いもすぐに落ち着く。数十メートル飛び上がった巨大木の葉は、やがて風に揺られるように穏やかな飛行を見せ、ふわふわと安定した速度で北西へと進んでいる。
「まるで、魔法の絨毯みたいですね……」
「あー、それね。昔持ってたんだけどさぁ、クレバシが飛行中にお酒飲んでさ。べろんべろんになってる時に煙草吸って、うっかり火種が絨毯の上に落ちて燃えちゃったんだよねぇ」
「えぇぇ……」
「あれは惜しいことしたなぁ。ね、クレバシ」
「そうねぇ。それはうっちゃりねぇ……」
「……考え事してる時はほんっと何も聞いてないんだ、この人」
「そうみたいですね……」
優雅な木の葉絨毯の旅は非常に快適、そしてスピーディだ。地上をのんびり進むのと違い、障害物も無く、風が背中を押してくれるのでぐんぐんと進んでいく。お弁当の一つでも持ってくればよかったかしら、と冗談めかして言ってみれば、タヌライがグゥ…とお腹を鳴らして、心からそうして欲しそうに同意する。
北西の山岳地帯が遠目に見える。パメラが地図を開き、月と星座と、ダンジョンタウンの位置を確認しながら地図を見つめ、時折方角の指示を出して、タヌライが微調整を掛ける。
なにせこの山岳地帯、集落と呼べるようなものが本当に数えるほどしかない。その中でもある程度の量の積み荷を積んだ馬車が進めそうなルートと、その付近に点在する村ともなればほとんど確定と言えるほどに絞り込めた。今は、そこへと向かっている最中である。
このままのんびりと余裕のある旅をしながら、ちゃっちゃと今回の事件を終わらせられたらいいな。
「ああぁぁぁっ!!」
そんなことを考えていると、必ずと言って良いほど裏切られるというものだ。クレバシの悲鳴は、そんなに楽な話ではなさそうだと言わんばかりの反応である。
「どうしました、クレバシっ!?」
「……やばい。思い出したわよ、この毒薬」
蒼褪め、表情を曇らせ、クレバシは話す。
「知り合いの薬師から聞いたことがあるわ。二度と農作物や花が咲かない、不毛の地へと変えるこの悪夢の薬。大地そのものを殺すこの薬は、製法こそ伝わってないけど、百五十年近く前の戦争で使われたものよ! 聞いてた特徴と一致する……間違いないわ!」
「——っ!?」
途端、パメラの眼の色が変わる。
「クレバシ、戦争って?」
「北の大陸、アビス人たちのダルクネス帝国が世界中に仕掛けた大戦争のことよ。小さな戦争は五百年近く続いていたそうだけど、本格的に世界を統一しようとして、残りの三大陸——東のハイマンのエルメル皇国、南のビーストのヴァルハイン王国、そして西のエルフのフランカ王国が手を組んで、ようやく滅ぼしたっていう戦争があったのよ」
「へー」
と、タヌライの反応は薄めだ。元より勉強自体が嫌いな彼女は、歴史の話に強く関心はない様子である。割とつい最近のことだというのに。
「ダルクネス帝国の話は特にその残虐性と、戦争を好む野蛮さの話が多いけど、その陰でひと際やばかったのがこの薬ね。相手の国土に撒いて、長い時間戦争を続けて食料を作れないようにして、大陸そのものを殺す、とんでもない薬よ」
「ふーん……あれ? クレバシ、戦争って相手の土地を手に入れることが目的なんだよね? その薬使ったら戦争した意味無くない? だって手に入れた土地は死んでるんでしょ」
「あら、タヌにしては頭が回るじゃない。そうよ。だから、ほとんど使用されてなかったし、こいつの話も出回らなかったの。その代わり、効果は絶大。時間はかかるとは言ったけど、一定の範囲に散布して、数年待っていれば勝手に広範囲の土地が死んでしまうわ。野菜も果物も作れず、それを食べる小型の動物も死んで、小型の動物を食べる大きな動物も死ぬ。すると、その土地では生きていけなくなるわ。そうすると、どうなると思う?」
「え? えーと……引っ越す?」
「正解。村や町を捨てなきゃいけないわね。そこを捕らえて奴隷にしたり、食料を生産できない環境を作って、追い込んだり。特にダルクネスは侵略側だから、他国は籠城戦を強いられがちというわけね」
「ふんふん」
「薬の実験と、奴隷の確保。効率的な籠城戦攻略のために、薬を使用したんじゃないかって知り合いの薬師は考察してたけど」
「まぁ、もう滅びた国だからわからないわね」
「滅びた?」
なんとも物騒な単語だ。タヌライがおっかなびっくり口にすれば、クレバシは頷き、こう答える。
「三大陸との激しい戦争の中で、押し込まれたダルクネス帝国は内部からの裏切りもあって、城を破壊され、帝国は王様と国民と一緒に完全に消えた、って話よ」
「はー。さすがに三対一じゃどうしようもなかったんだね」
「そうね。問題は、その戦いの中で使われたこの薬が、なんでまた出回っているかってところなんだけど……」
小袋一つで底辺の海賊の下っ端が一生食っていけるだけの金額。大袈裟ではあるが、なるほど、とてつもない高額で取引されるのは間違いないだろう。かつてのアビスの帝国の魔薬。だが、なぜ今になってエルフの商人が? いったい何を考えている?
「……とりあえず、もうすぐ着くわ。パメラ、せっかく悪の闇商人とパーティだって言うのに、そんな恐ろしい顔は淑女らしからぬわよ」
「え? うわっ」
顔を伏せ、二人には見えないようにしようとしているが、パメラの顔は、筆舌に尽くし難いほどに、激しく、強烈な感情の波に晒されているような、激烈に揺さぶられている顔をしている。
ここまでの会話の中で、何かが彼女の嫌な記憶に触れ、猛烈に掻き立てられてしまったようだ。
「ほら、パメラ。可愛くスマイル! いつものあんたの方がキュートで素敵よ。殿方の相手をするなら、可愛くなきゃ」
「……すみません、クレバシ、タヌライ。すぐに落ち着けるので、少しだけ、時間をください……」
「う、うん……」
そんなに怖い顔で言われたら、否定できるものではない。タヌライは少しばかり葉っぱを空に遊ばせながら、パメラが落ち着くのを待った。
「……ダルクネス帝国……っ!」
重々しく開いた口から零れたその言葉は、パメラとは思えぬほどに冷たい言葉であった。彼女が失われた帝国と如何様な関わりがあったか、タヌライたちには知る由が無い。ただ、友が落ち着くのを、ゆっくりと待つしかなかった。




