第31話 クレバシの失態
季節は晩夏を迎えていた。夏も盛り、灼熱の風が日々街中を吹き抜けては、力強く青葉が身体を伸ばし、鮮やかな花が開いて虫を呼び、強烈な雨が吹けば雷を呼んで、そして雨が止んだ曇天の向こうには茜色の陽がゆっくりと沈んで群青の空を桃色に染める。
夜は数え切れぬほど鮮やかな星々が語る。かつて人々が空の向こうに見た神話を。創り出した数多の物語と、英雄と、魔物たちを。夜虫のコーラスと蛍のライトアップが盛り上げる天然の劇場は、風が運ぶ幻想というミュージカルが人々を魅了した。
そして東の空に登り始めると、星々という劇団員はそそくさと身を潜めて、月は恭しく会釈し、アンコールを望む観客の声を聴くことも無く、西の空へ撤収する。
そうしてまた黄金色の陽に世界が照らされ出すと、今度は人々が生活という演目に興じる番だ。郵便屋が忙しそうに街中を回って配達物を届ける姿に、料理の仕込みをしている男が手を上げて挨拶をする。そんな店の前にやってきたのは、朝一の牛乳を届けに来た業者だ。
金を受け取り、また次の店へと急いで馬車を走らせるその横を、一人の少年があわただしそうに走っていく。彼が目指すのは高い高い鐘の塔である。彼は朝陽の訪れを、大鐘を叩いて街中に知らせる仕事があるのだ。
そんな少年を笑いながら、少し年老いた夫婦が向かう小道は畑へと伸びている。畑には既に何人もの人々が足を踏み入れていて、各々の区画に買い取った畑の手入れに勤しんでいる。雨と風と太陽がもたらした野菜や果物の数々は瑞々しく実をつけ、それを奪い取ろうとする鳥や獣を追っ払い、とっ捕まえ、鍋にぶち込んでやるのが若者の仕事である。
収穫した野菜は市場へと流れる。競売に掛けられ、あるいは決まっている業者に規定量を売り、あるいはどこかの料理屋の買い付け係が朝から市場に並んで野菜や肉や牛乳や卵を買い込んでいく。
一方、仕事に出る男を見送った女は布団を干し、掃除をし、井戸の水を汲み、畑に向かいと、忙しく走り回る。女の手伝いは子供の仕事だ。朝から母に叱られながら、言われたあれこれを不器用にこなしていく。中には瓶を持って井戸の水を汲みに行く子供だっている。重い水を担ぎながら、零さないように慎重に、しかし母に怒られないように足早に家へと向かうのは、どこの家庭にもあるものだ。
鐘が鳴った。大鐘を鳴らしに走りに行った子供が、ようやく鐘を突いたのだ。朝陽が街を、世界を照らす。大亀の背に立つこの街を、ダンジョンタウンを明るい朝陽が包み、始まりを告げる。
今この時より、新しい日が明けるのだと。
○
盛んな人通りは多くの人々でごった返している。何せこのダンジョンタウン、種族も民族も立場も関係なく多くの人々が住み着き、暮らし、働き、生きている街である。
耳の丸い長身のハイマンの男が小汚い工具を持ちながら西へ東へと走る一方、耳長で耽美な顔のエルフの男が、可愛らしい耳を生やした兎のビーストの女を熱心に口説いている。その一方、建物の影に隠れるように移動しているアビスのラミア族の女は、人と絡むことを拒んでいる。
まこと多種多様な人々の群れの中であれば商売は繁盛というものだ。ここ、中央区はダンジョンタウンの中でも特に絢爛豪華で華美にして隆盛。ハイマンの寺が立つ横にエルフの教会が立ち、アビスの料理屋の横にはビーストの銀行が立つ、混沌とした奇妙な街並みである。
その一画、白を基調とした吹き抜けの良い木造りの建物がある。カフェテリアか。いや、この独特の香りはコーヒーハウスだ。店内から零れるコーヒーの香り高さは前を通るだけでも思わず足を止めてしまうほどに豊かだ。
中には種族を問わず、身分も問わず、品格のある紳士も薄汚い泥棒も、誰もが席についてコーヒーを味わい、各々の席で政治について熱い討論を交わす、男の社交場を形成していた。
髭を蓄えたスーツの男が自国の困窮ぶりを嘆く一方、緩やかな民族衣装に身を包んだ人は自国の領主の敏腕さを褒め称える。貴族に不平不満を漏らす男は同情される一方、革命をせんと声高々に吠える若者が鼻で笑われてもいた。
「はーい、お客様。コーヒーお待たせ―」
そんな中を、紳士の社交場には似つかわしくない——いや、ある意味では最も相応しいかもしれない美女のウェイターたちが店内を所狭しと駆け回り、商品を提供していく。
一人は明るく、元気な少女だ。丈の短いスカートのエプロンドレスに身を包み、漆黒のスカートを翻しながら満面の笑顔で接客をする。灰色の髪と青空色の瞳が特徴的なその姿は——タヌライである。
一方、その隣では淑やかな笑みで注文を受け、一礼をして客席を去る美女がいる。朝陽を閉じ込めたような色合いの髪を三つ編みにして後ろでまとめ、誰よりも優雅な足取りで店内を往復する。タヌライと同じように短いスカートからは、ガーターベルトが太ももとスカートの僅かな隙間から覗く。大胆に胸元が開いたシャツでありながら、自身の気品差を以て決して下品さを感じさせないその高貴な姿は、他ならぬパメラであった。
そして、溜め息を吐きながらお盆の上にコーヒーを乗せ、重い足取りで客席に向かうその姿。彼女だけはロングスカートのエプロンドレスを身に纏っているが、それが優雅な雰囲気を醸し出している。普段は跳ねている灰色の髪が、ブラッシングされて真っすぐ降りているからかもしれない。金の瞳を細め、落ち着いた女の雰囲気を放つ彼女こそが、クレバシであった。
ダンジョンタウンに居住し、筆頭の探索者として知られる腕利きのチームである彼女らは、絶賛バイト中であったのだ。
○
「はい、お疲れさん。これ今日の給料ね、三日間どうも」
そう言ってコーヒーハウスの店主から三人分の給料を頂戴し、仕事を終えたのは夕方を前にしてのことであった。受け取った金銭に、三人はほっと一息を吐いて中を確認する。
「ほんともう、これっきりにしとくれよ? うちだっておたくらに恩があるし、感謝だってしてるけど、あんたらをバイトに使うのはこっちも居心地が悪いんだ」
「あははは。いやー、ほんっと助かったわ。お陰で当面の路銀も稼げました」
クレバシが頬を掻きながら嬉しそうに言うので、店主も呆れ顔で溜め息を吐くしかできない。それ以上に、タヌライとパメラの厳しい視線が、クレバシを射貫く。
「それじゃ、あたしたちはこれで引き上げるわね」
「あいよ。そっちのお姉さんも、あんがとね。あんたのおかげでいつも以上にすけべな客共が増えて儲かったよ」
「……なんで、私の制服だけこんなに胸元が開いているのかと思ったら……」
「悪いねー。あんたが一番おっぱい大きいからね。おっさんはみんな、でかい胸が好きなんだよ」
「……最低だわっ。クレバシ、この次はもう手伝いませんからね!」
「こんな恥ずかしい真似、二度としないでよねクレバシ!」
「あはははー。いやぁ、持つべき者は可愛い妹と大事な友人というか」
「クレバシっ!」
「あ、はい……すんません」
二人がなぜこれほど激怒しているのか。それは四日前の夜に遡る。
その日、クレバシは珍しく上機嫌であった。良い酒を奢ると言われ、酒のみ仲間に誘われ、ふらふら飲み歩いていたのだ。彼女は酒好きではあるが、底抜けに強いというわけではない。
気づけばろくでなし共と酒を飲み明かし、泥酔し、普段であれば断る賭け事にも気が緩んだクレバシは参加した。これが不味かった。
酔っぱらったクレバシはまともにルールも把握せず、他者のいかさまを見切る目はボロボロ、そのくせなぜか強気に大金をばんばんと賭け、スってもスっても泥酔しているクレバシは気にせずガンガンと駆け続けた。酒飲み仲間たちの静止など気にせず裏拳でぶっ飛ばし、賭け続けた。
翌朝、気づいた時には全てのお金を賭け事で失くしたクレバシの姿がそこにあった。
最悪なのは、クレバシが持ち歩いていたそのお金。塔からの探索を終えて、受け取った稼ぎの全てでもあったのだ。
クレバシたちは願いを叶える聖冠が眠るという塔を攻略を目的とする探索者だ。塔に潜り、貴重な資材やモンスターの死骸、鉱石などを持ち帰る。塔の外では得られないその希少性故に高価なそれらを売る商隊の護衛という仕事を行い、莫大な成果を得る。
そして街に戻り、また次の塔の探索への準備として様々な物や食料を購入したり、武具を整えたり、旅に使う道具のメンテナンス費などに大量の金銭を使用する。クレバシはそれを失くしてしまったのだ。
そこで知り合い伝手に三日間、このコーヒーハウスで働かせてもらい、最低限の準備費はどうにか稼ぐことに成功したという手合いである。
「クレバシ、ボクは妹として恥ずかしいよ! もう二度と一人でお酒飲みに行かせないからね!!」
「はい、本当にごめんなさい……」
「クレバシ。今後、お金は私が管理します。問題ありませんね!?」
「はい。パメラにお願いします……」
二人はひどくご立腹だ。それもそうか。なにせ今までの稼ぎ全てを根こそぎ失ったのだから。
「とりあえず、何か軽めの護衛の仕事やって、少しでもお金を取り戻そうか」
「それしかありませんね」
「あ、それならあたしに良い案が」
「クレバシは黙っていてください」
「……はい」
パメラの言葉に、クレバシはもう何も言い返すことが出来なかった。
パメラがクレバシたちと出会い、共にチームを組むようになって既に五年の月日が経過していた。最初はクールで頼りになると思っていたクレバシは、実は意外にもだらしなく、旅の最中であれば至る所に目を向けるが、一度街に戻り、酒を飲み始めればダメな女であった。
とかく日常生活はだらしなく、昼過ぎに起きることもしばしば。家事はするが、錬金術師である彼女の本業とも言える錬金術の研究は、一度やり始めれば二日、三日も寝ないこと、食べないことも多く、風呂にも入る気配がない。
術の研究をしていないかと思ったら、大量の本の山に埋もれ、雑多に読み漁り、大量の紙になんらかの調査をまとめたらしき文章や術を書き、それが山のように積もって部屋の中に紙の雪崩を起こしている。
注意をしても「あー、やっとくやっとく」と話し半分も聞かず、曖昧な返事ばかりだ。当初は尊敬していた彼女だが、その私生活のろくでのなさにパメラは怒りを燃やし、幾度も彼女を叱る機会が増えた。気づけば尊敬すべき友は、だらしのない女と認識を改める必要があったが、まだ足りなかったらしい。
パメラはぷりぷりと怒りながら、報酬のお金を預かることとなった。
「とにかく、仕事を探そうか。もう少しだけお金に余裕が欲しい。塔の中の街で色々と準備をしてもいいんだけど、一度引き返すのも考えておいたほうがいいね」
ホワイトブリムを外しながら、タヌライはパメラに向き合う。
「なにせ、今度の旅はパメラが初めて六層以上に挑戦するんだからね」
○
ダンジョンタウン。
願いを叶える塔の前に立つ、巨大な亀の上に建設された欲望の街。
どんな願いをも叶えることが出来ると言われる財宝を求め、世界中のあらゆる場所から多種多様な人々が訪れる、探索者とその恩恵を受ける街。
かつて滅びゆく故郷を救いたいとパメラがエルフの国、西の大陸フランカ王国を飛び出し、この街に流れ着いて早五年。
その歳月で彼女は大きく成長し、友たちと友情を深め、幾度もの塔の探索を繰り返しながら今や常人が到達できる最奥の五層まで攻略できるまでに至った。
そして今、五年を月日を越えた彼女は塔の第六層へと挑もうとしている。
塔が経ってからの五十五年間、ただ一組のチームしか突破したことが無いと言われる魔境へと挑もうとしているのだ。
しかし、塔に挑もうとする彼女らの前に暗雲がすぐ傍まで迫りつつあることを、これから知ることになる。
次回はメイド服回です(イラスト付き)




