第2話:エルフの国から来た乙女
しん、と食堂内が静まり返り、誰もがぽかんと口を開け、目を丸くして女を見つめた。
陽光を閉じ込めたような長く美しい髪に、青薔薇の髪飾りが映える。
つん、と尖った耳は間違いなくエルフのものだ。緋色の瞳は一切の揺らぎが無く、強く、まっすぐな視線で辺りを見回し賛同者を探した。一切の肌荒れも傷も見えぬ美しく白い肌は一目見て彼女が庶民の出自でないことを誰もに理解させる。口元をぎゅっと固く結びながら、エルフの女は一歩、さらに一歩、力強く、薄暗い食堂にたむろする身なりの汚い客たちの中へと入り込む。
暗い店内にあっても彼女の純白の絹のマントは眩く輝き、店外から入る日光と、店内をにぎやかすロウソクの灯りを受けて燦然とそこにいるのだと強く主張する。白いブラウスと、革製のズボンと靴は、社会からつまはじきにされた者たちの掃き溜めには不相応なほどに綺麗だった。
「どなたか、居られませんか! ここには塔に挑む勇者たちが集まると聞きました!」
女は、再度声を張る。
「私と共に、塔に臨む者はいませんか!」
その声に、気圧されていた客たちはにわかに目を配らせ合い、ひそひそ声は次第に辺りに伝播し、ざわざわと動揺の声が走り、次第にその声は大きくなっていき、やがては店内が嘲笑の渦へと巻き込まれていった。
女は眉を顰めることもない。彼女を笑い者にする、下卑た声の中に、探すべき人を探しているのだ。
「ク、クレバシ……どうしよう、これ……」
店内は既に彼女を馬鹿にする雰囲気に包まれている。野次を飛ばし、足を引っかけてやろうと彼女の邪魔をする者までいる。するりと躱しているが、女の眼には微かな動揺が浮かび、しかし気丈に振る舞い続けている。まるで、ここに答えがあるとでも確信するかのように。
「どう、って……はぁぁぁ……」
そんな惨状を見て、タヌライもクレバシも困惑するなという方が無理である。クレバシはハットを被り、大きな溜め息を吐いた。この場に不相応な来客をしかし、見て見ぬふりをするのも気が引ける。
ちらり、と見遣れば店内は既にいつもの《《ノリ》》を取り戻し、狭い店内を忙しなく移動するウェイトレスにすら邪魔そうにされている。それでも女は気品を崩さず、進み続けている。
「……見捨てたらこっちが悪いみたいじゃない」
さらに、もう一つ溜め息。
クレバシはすぐ傍を通ったウェイトレスに追加のビールを要求してから、頬を掻き、すぅ、と大きく息を吸う。
「タヌ、ご飯追加したかったらしていいわよ」
「え、ほんと!?」
タヌライは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「ええ。少しばかり、長い話し合いになるかもしれないからね」
——バン!
クレバシが強くテーブルを叩いて立ち上がると、途端に周囲はびっくりして振り向き、それに釣られて他の者たちもクレバシへと目を向けた。止まらないのは、入り口近くにいる者と、料理を持って運ぶウェイトレスくらいだ。
店内の客たちは黄金の髪の女から、クレバシへと興味を移す。もちろん、女もクレバシへと目を向ける。
そして、クレバシはついに口を開いた。
「いやー……ごめんねぇ、みんな! こいつ実はあたしたちのツレでさぁ! なんか面白いこと言いながら入って来いって言ったら、なんか……思った以上にすごいことやってきてびっくりしちゃった!」
静寂。
その言葉に、どこかで「は?」という息が零れる。
「度胸試しのつもりだったのよ。まぁ、精々が火事だーって叫ぶ程度かと思ってたんだけどね、まさか人を集めて兵士っぽい恰好までさせて、貴族ごっこするなんて思わなかったわ。あはは、ほんとごめん。お騒がせしたわね。ほ、ほら……えっと………エリュシド。あんたもなんか言いなさい。ごめんとか、嘘でしたー、とか」
「え、エリュシド……?」
「ええ、ね! エリュシド!」
「……は、はい」
強引に押し切ると、黄金の髪の女は渋々と言ったように納得し、周囲を見渡したあと、「ごめんなさい、皆さん! お騒がせ致しました!」と頭を下げた。その姿に入口付近で待機していた兵士たちが慌てているが、クレバシは「あんたらは外に出てなさい」と追い出し、黄金の髪の女を手招きして呼び寄せた。
女を自分たちのテーブルに座らせながら、飛んでくる野次をクレバシは笑って躱し、こちらも適当な野次で返して、その場の呆れるような声を霧散させていく。異国からの来訪者は、クレバシのいたずらという形で受け入れられ、異端者から身なりの良い同族という扱いを受けるに至った。
女が席に着くと、ちょうどクレバシが注文していた二杯のビールが届く。
一杯は自分のために。もう一杯は来訪者のために。
「貴女、まずい安酒は飲める?」
「……えぇ」
それが歓迎の意だろうと女は汲み取り、ジョッキを手に取った。ジョッキから立ち込める、酸っぱい香りは到底彼女が今まで口にすることが無かったのだろう。微かに眉を顰めて、しかし、飲むという意志を見せた。
「そう。私はクレバシよ。それじゃ、乾杯」
「タヌライだよ。かんぱーい」
クレバシと、タヌライがジョッキを差し出すと。
「……改めて、パメラです。乾杯」
黄金の髪の女もまた、ジョッキを差し出してぶつけた。
タヌライとクレバシはごくごくと飲み慣れた酒を飲むが、女はやはりか、ぐい、と豪快に一口目を飲んだが、すぐに口を離し、顔を真っ青にして口元を抑える。しかし吐き出すような素振りは見せない。目は右へ左へと動き、口の中で咀嚼するようにもごもごと液体を動かしている。それがゆっくり、ゆっくりと喉を押し広げて通り、最後はぐっと飲みこむと、ごくん、という嚥下の音が聞こえた。
ぶはぁ、と息を吐いた後は大きく深呼吸し、げほげほ、と咳き込む。そんな女にかまわず、クレバシもタヌライも同じ酒を飲み続けた。
「それがここの酒よ。口に合わないのなら、国に帰るがいいわ」
「はぁ、はぁ、はぁ……い、いえ……結構な、お味ですね」
それでも女は、次の一口を含んだ。思ったよりは根性があるようだ。
「パメラ、とか言ったわよね、あんた?」
「え、えぇ。そうです、パメラ・ロズ・クロエルドです」
女の顔は青を通り越して、灰色に近い。飲み慣れない酒は、彼女の上品な体を蝕み、吐き出させようと懸命に押し出そうとしているようだが、彼女の意地がそれを拒んでいる。招待された酒を、席を、彼女は理解して、自ら飲み込んでいるのだ。
「はー……こんな馬鹿な奴、初めて見たわ」
「どういう、ことですか……?」
「どうもこうもないわよ。こんな荒くれ者しかいないところで、私は高貴な身分です、なんてひけらかすなんて、襲ってくださいって言ってるようなものよ。ここの奴らがその気になったら、あんたを取り押さえて、身ぐるみ剥いで衣服の一切を奪われて売りに出されて、どうなるかなんて考えられたものじゃないわ。ここは治外法権よ、貴女の国の法律は守ってくれないわ」
「……それでも、私は、クロエルドの名に懸けて、諦めるわけにはいかないのです」
「クレバシ、クロエルドって?」
二人の会話の間を割って、タヌライが尋ねる。
「クロエルド家って言うのは、ここから西の大陸——エルフの国を治める公爵家よ」
「へー、本当に貴族なんだ」
「えぇ。フランカ国内においてはアルテト領を有するのが、私たちクロエルド家です」
「アルテト?」
「フランカ国から見て、ざっくり真ん中くらいから東の全域くらいね。世界有数の葡萄畑を所有する、世界三大ワイン産地の一つよ。世界十大ワインのうち、四本はアルテト産ワインと言われるほどの、超々ワイン輸出国家」
「へー」
「知り得て頂き、光栄です」
「ちなみに残り六本のうち、三本は同じフランカ国のボールス領ってところなんだけど……まあ余談ね」
「それで」とクレバシは豆知識の披露を終えて、パメラへと目配せをする。
「エルフの貴族様が、まして女の身で何の用よ。冒険者ごっこなら他を当たりなさい。気まぐれの旅路ならもう十分に楽しんだでしょうし、帰ることをおすすめするわ。観光地には向かないのは、そのビール味で充分に理解したでしょう?」
「…………」
パメラは、半分以上残るビールに目を落とす。
「アルテト地方は国境付近にある、堅牢鉄壁の城塞都市。他国の侵略を跳ね返せる難攻不落の防衛力と同時に、世界有数のワイン産出国で資金も武力も安定した、現状でも数少ない平和な国よ。そんなところでぬくぬく育ったお嬢様の冒険活劇なら、この辺りで締めとしては十分すぎるほどでしょう?」
「……ダメなのです?」
「……ん?」
「……このままでは、我が国はダメなのです」
パメラはジョッキを置き、絞り出すような声で、弱々しく呟いた。それはこの店に入って来た姿とは、真逆の印象を受けるほどに、怯えている。
「……我が国は、今や大きな飢饉に見舞われています。最初は十年近く前のこと。フランカの中でも一部の地方で野菜や麦を採る量が減った程度モノでした。しかし、年数が経つほどに、土地はやせこけ、陽は弱々しくなり、厚い雲が大地を覆う日が続き、冷え込む日が続きました」
「…………」
「木々は枯れ、青葉は色を失い、草原は土が顔を覗かせました。動物たちは食べるものがなくなって瘦せていき、人々は食料が採れず、一年先の見通しさえ立たなくなりました。解決の目途も立たず、ありとあらゆる地方の貴族たちは苦しく、その土地に根差す人々は困窮にあえぐ始末です」
「今までの貯えとかはないの?」
「もちろん、それらも放出しています。有事の際に蓄えた麦を始めとした食料、金銭を施し、職を与え、なんとかお父様も減税を求めて幾度も議会と交渉していますが、今のところ明るい未来へと繋がりそうはありません。黄金の丘と呼ばれた、アルテトの葡萄畑も、このままではなくなってしまう……食料を栽培できず、他国へ輸出することも出来なければお金を稼ぐことが出来ない……国力が衰えてしまえば、他国からの侵略を阻む力が失われてしまいます」
フランカ王国のアルテト領と言えば、平和の国として名高いとクレバシは聞いていた。それだけに、わざわざ貴族が直接出張ってくるほどに逼迫した事態だとは、思いもしなかった。
「決して我が国だけの問題だけではありません。近隣諸国にとって、この異常なほどの大飢饉は、必ず戦争に繋がります。アルテトの敗北を機に、フランカ全土が蹂躙されてしまうことが合っては、我々は先祖に、我が国に生きる全ての人々に顔向けできません……!」
俯きながら、今にも涙さえ零しそうなほどに、パメラの声は弱まっていく。悔しいのだろう。歯噛みさえして、両手を強く握りしめて、泣くことを堪えながら声を絞り出している。
「貴族が税を取り、土地を支配し、あらゆる権利を持つことを許されたのは、民を守るためです……! それを領主が果たせぬのなら、何のために民は私たちに仕え、大事な資産を捧げながら生きているのか……だから、私は……!」
「塔の聖冠で飢饉をなんとかしたい。それが貴方の願いってわけねぇ」
涙ぐみながら声を押し殺し、必死に吐露するパメラの言葉をしかし、クレバシは酒と共に飲み込みながら、どこか興味なさげだ。
「いやー、志は立派だわよ? でもねぇ、貴女、何ができるの?」
「な、なにが……とは……?」
「わざわざここに来たってことは、塔の話は聞いているんでしょ?」
クレバシはパイプを口にくわえ、煙草を吹かす。そして立ち上がって窓を開き、そこから見える光景を見せた。
「ここはあらゆる種族、あらゆる宗教、あらゆる欲望が許される混沌の街。力ある者だけが生き残り、力無きものは隷属するか、死ぬか。それだけの、浮浪の街よ」
穏やかな街並みの遥か遠くには、雲を貫くほどの高さの白亜の塔が、彼方に聳え立つ。
その足元に広がる野営地は百や千を優に超えるテントの数々がぐるりと塔を囲うようにひしめき合い、さながら小さな町の様相を呈している。そして塔の正面の道は恐ろしく綺麗に舗装され、ひび割れた道、石転び雑草立ち並ぶ周囲の荒野の中にあって、まるで王城に続くミラ・モッタ——貴族たちが城に入場する際に利用する白い大橋——のようだ。
その正面。
その正面にはこの街がある。
塔から約数キロ先を隔てた、岩塊——あるいは岩の山の上にこの街は存在する。高さは数キロとも、あるいは十キロを超えるとも言われる岩山の上にこの街は存在する。
中央に立つ時計塔を中心に1つ、さらに街の8つの方向に立つ時計塔。
この中央には商業区から始まり大雑把に分けて、北には上級国民が追いやられた貴族区、農民や奴隷たちが暮らす農村地区が。そして西には工業地区が栄え、蒸気と機械の駆動音が絶えず鳴り響いている。
この街は一匹の亀の上に成り立っているのだ。
塔の前に鎮座し、今は眠る大亀。巨大な都市を背負い、人の世を支える超巨大な大亀の甲羅の上にこの街は形成されているのだ。
高さは十キロとも言われ、北から南へ、あるいは東から西への長さは数十か、あるいは百キロさえ超えるとも言われる超巨大生物。
都市を背負う、生きた街。
ダンジョンタウンと、人は呼ぶ。
「みんながみんな、自分の願いを叶えたいと野心を燃やす、欲望の街。それがここ。ダンジョンタウンよ」




