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ダンジョンタウン  作者: 京海道
第三章:大樹の街
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第26話 カニフェス in ダンジョンタウン③【挿絵付き】

 いその香りがする風呂というのも奇妙なものだ。黒く、粘度ねんどのある水を手に掬っ(すく)てみると、存外さらさらと手のひらから零れ落ちていく。手のひらを浸し、程よい温度感と立ち込める蒸気に身体は汗ばんで、手はじんわりと熱を帯び始める。


 足をそっとつけると、旅の間で酷使した痛みがびりっ、と走り、思わず顔をしかめたが、痛みとかゆみが足の裏で広がる一方、足首からふくらはぎまでは久方ぶりの風呂の熱にじんわりと温まっていく。


 そのまま両足をつけ、数歩進んで程よいところに腰掛けて全身を湯に浸けると、相変わらず足の裏の痛みは続くが、身体の芯からぞくりと快感が走り抜けた。自分が思っているより、身体の内は冷えていたらしい。


 髪をアップにまとめて湯にけないようにし、身体を岩壁に預けて手足を伸ばした。


 ほぉ、と熱いため息を吐きながら、パメラは蟹風呂の湯を堪能した。


        ○


 蟹食べ放題の宴会はまるで終わる様子を見せず、気づけば夕暮れに差し掛かっていた。男たちは次から次へと蟹を食い、酒を飲み、大いに祭を楽しんでいた。だがその一方で、腹を満たし終えた子供や女たちは片づけをしたり、手すきになり始めていたのである。


 そこで、クレバシが声を上げた。


 彼女がタヌライと用意したるは、蟹の甲羅をいっぱいに使った蟹風呂である。中に石を敷き詰めてあるので、見た目以上に底は深くなく、温度も程よく整えているので、先に女子供から入ってしまえ、とクレバシは言い出したのだ。


 なるほど。あれは蟹の大鍋かと思っていたが、どうやら風呂だったらしい。これにはパメラも嬉しい知らせだ。なにせ、この塔の中に入ってからというもの、日中は商隊の行進で汗だくになり、足の裏の皮が剥がれるほど歩き続け、夜は僅かな水を分け合って、物陰に隠れてタオルでこっそりと身体を拭くのが関の山だったのである。風呂という提案は、あまりにも嬉しすぎた。


「ですが、クレバシ。貴女は蟹のミソを溶かしていたようですが、あれは……?」


「ああ。実はね、岩蟹グラッキオのミソって普通の蟹と違ってそのままだと食用には一切向かないのよ。味も悪いけど、食べても消化不良を起こして下痢と腹痛と嘔吐と発熱、頭痛と幻覚のフルコースよ」


「うわぁ……」


 さりげなく、ハイマンの文化では蟹のミソを食すということも知った。恐るべし、世界一食にうるさいと言われる種族である。


「けどね、ちゃんとした手順で加工すると薬効としては抜群の効果があるわ。百グラムの岩蟹のミソを手に入れるには、地方に寄るけど、三十倍の重さの金が必要って言われるくらいには、財宝中の財宝よ」


「さ、三十倍の金ですか!?」


「そうよ。だからあいつを倒す時、タヌライに真っ二つにさせないようにしてたのよ。ぶった切ったらミソも飛び散っちゃうからね」


 信じられない。確かに岩蟹は強敵であったが、だからと言って内臓が金の三倍の重さとは、到底信じられなかった。だがクレバシは嘘をついている様子も無い。


「カニミソはね、すぐに冷凍保存しなきゃダメになるから、あれだけはあたしがさっさと凍らせておいたのよね。で、この町について最初に商会の人たちと、この町の組合長がやったのがカニミソの買い取りと分配。まあ、見た感じ良い感じに収まったんじゃない? でなきゃ、あたしが討伐報酬にいくらかのカニミソと蟹肉をくれって言っても駄々ごねたでしょうしね」


「そ、そんな貴重なカニミソを……あのお湯の中に!?」


「言ったでしょ。岩蟹のミソは薬の効果があるって。一番手っ取り早いのはお湯に溶かして患部を浸すこと。これだけでも十分高い効果を見込めるわ。パメラ、あなたはウルトララッキーガールさんね、ゆっくりお湯に浸かって、身体の疲れと足の痛みを取ってきなさい」


        ○


「三十倍の、金……」


 このお風呂を張るのに、いったいどれほどのカニミソを混ぜたのかはわからないが、少ない量ではないだろう。それを惜しむことなくふんだんに使ったこの風呂は、間違いなく歴史上でも有数の贅沢な風呂と言えるはずだ。


「ひょっとしたら、アルテトを救うほどの金額……?」


 考えても栓ないことだとわかっているが、あの大量のカニミソを売れば、ある程度は自国を救えるのではないか? そんな考えが浮き上がって来て、パメラはすぐに頭を振る。


 金の勘定は解らぬが、さすがに一国を救うにはもっと大金が必要であろう。仮に足りたとしても、自分は見ているだけであった。この成果はタヌライとクレバシのものだ。ならば、これだけおこぼれに預かっておいて、何を余計なことを考えているのだろう。それは人道ではない。外道である。


「ふぅ……」


 そんな無駄なことを考えるより、今はこの風呂を全身で堪能しよう。


 湯に身体を浸けていると、汗と共に疲れまで溶けだしていくような気さえする。玉のような肌を汗が滑ってぽたぽたと湯に滑り落ちていく。


 こんなに心地の良い風呂はいつ以来だろうか。故郷にいた時も、水や火や木材を無駄にしないように、風呂や沐浴などは可能な限り抑えていた。パメラはお風呂が好きだったが、国のためとあらば、いくらでも耐えられた。


 だが、この旅だ。この旅は何百、何千という種族も様々な男たちに囲まれた旅で、はっきり言って臭かった。最初にきついと感じたのは臭いで、初めての夜は配布された毛布まで臭くてろくに眠れなかったほどだ。


 そして自分も日を追うごとに、毎日の大量の汗と砂ぼこりのせいで確実に身体も服も臭くなっていくのを感じていた。


 辛かった。お風呂に入りたいなどと、弱音は口にしなかったがずっと思っていた。衣服を洗濯したいと言い出せなかったが、耐えることも苦しかった。


 今ようやく、その苦しみから解放された。親切なことに、タヌライとクレバシからの施しを受けたお返しとして、町の女たちが入浴している間に衣類を洗濯してくれるというのだ。クレバシに確認してもらっても、問題なしと判断をしてもらったので、パメラはありがたく衣類を預け、代わりに風呂から出るとき用の衣類を貸してもらった。風呂から上がったらそれに着替え、一晩待って、明日の朝に衣類を取りに行けば良いとのことだ。


「あぁぁ……気持ち良いなぁ」


 気づけば足の裏の痛みが引いている。これもクレバシの言う、カニミソの薬効であろうか。


 夕陽を眺めながら、お湯に浸かる。子供のころは当たり前のようにやっていたことが、こんなにも贅沢なことだなんて思いもしなかった。パメラは岩の囲いに腰掛けながら、空を見遣る。


 処女雪のように美しく白い肌は、ほんのりと赤みが差す。首筋から胸元へ、うなじから背を伝って尻へ、汗がいくつも零れて石に沁み込んでいく。


挿絵(By みてみん)


 火照った身体を夕凪に晒していると、こもった熱が空へと昇る。涼風が泳ぐ先の空には群青の絨毯が敷かれ始めて、銀色の宝石が散りばめられ始めた。


「……なんて、ちょっとロマンチストかしら」


 柄にもなく、ちょっと詩的なことを想ってみたり。


 不思議なものだ。塔の中には太陽もあれば、星や月も、朝も夜もある。風も吹けば、花も咲く。本当にここは塔の中なのだろうかと、何度も思った。そして何度も朝を迎える度に、ここは塔の中だと実感して、また一日中、歩き続ける日々が続いていた。


 クレバシの話が本当なら、今回の旅はここまでのはずだ。


 この一週間程度の間に、驚くほどたくさんの経験を積んだ。


 魔物の脅威、その恐ろしさ。命を奪い合う生物が間近にいるという実感と共に、夜の訪れに恐怖するという感覚。そして朝から晩まで歩き、集団行動するというその厳しさ。他者と歩調を合わせる、その困難さ。


 どれも、屋敷の中に閉じこもっていたら死ぬまで知ることがなかったことだろう。修道院での生活でも集団生活は徹底されていたが、あれとはまた違う気風とやり方に、困惑と苦労に満ちていたものだ。


 それも、終わる。


 だが、本気で国を救うつもりならばこの生活はこの先ずっと、何年も続いていくだろう。明日明後日で聖冠手にすることが出来るほど容易いのなら、とっくに誰かが手に入れているはずだ。だから、これからはこの生活を続けることになる。


 出来るのか、自分に。これから先、何年も。何十年も。あるいは百年以上掛ったとしても。


「考えたって、意味のないことよね」


 足元で湯を遊ばせながら、空を見上げる。夕日はゆっくりと沈み、星が現れ、月が顔を覗かせていく。ゆっくりと広がる夜闇に追い立てられて、陽が丘の彼方に沈み、暗くなっていく。


 パメラは暗闇が広がる前に、小さな灯りを手のひらに灯した。丸くて、弱い、頼りない光球。それを空へと掲げて、解き放つと、弾けて散らばって、小さな灯りになって辺りを照らした。


 弱い光。

 小さい光。

 頼りない光。


 だけど、そこにあって、暗闇に飲まれない光。


「大丈夫よ。お父様、お母様。パメラは、自分を見失っておりません」


 家を飛び出すことに反対した父。


 泣いて止めようとした母。


 追いすがって泣きついたのに、振り払った従者たち。


 共に行けないことを悔やんだ友。


 誰一人、忘れてはいない。


 自分の使命、守るべき家族、大切な国。


「私は、必ずアルテト……フランカ王国を救います」

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