第23話 人として、貴族として
さやさやと青葉が風に揺れ、枝葉に開いた花が甘い香りを誘う。ずっしりとした幹からは力強い生命の匂いが鼻孔をくすぐり、見上げれば空を覆い隠すほどの巨大な身体が、見上げる者を圧倒した。
大樹のダンジョンタウン。
塔に入った者たちが最初に行き着く、塔内の拠点の一つ目だ。
その周囲では生き返った人々が不思議そうに自分の身体を見つめ、困惑し、辺りが元に戻っていることに首を傾げ、あるいはフラッシュバックした恐怖に己の身体を抱き締め、友が傍にいることを喜び、泣き、抱き合う。
未だ困惑の中にあっても、確かに自分たちが生きていること、町が元通りになっていることに歓喜の声が沸き立った。
〇
「よ、よかった……」
掠れた声で呟くと同時に、パメラは膝から崩れ落ち、呼気を荒げながら膝を折った。無理もない。パメラの蘇生術は、はっきり言って人外の境地に達している。生まれ持った素養だけで片付けるには、あまりにも高等レベル過ぎた。
だがそれは同時に、自身の魔力を大きく消耗することに他ならない。今まで屋敷にいたであろう、箱入りのお嬢様がいきなりこんな大規模な蘇生術を、それも短時間に二度も連続で使えば、成功するだけでも奇跡だが、それを乗り越えてもなお気を失っていないのは、あまりにも異例過ぎた。
パメラより遥かに体力も魔力もあるクレバシでさえ、もはや立ち上がる力すら残っていない。蘇生術とは違うが、クレバシもバリアやワープ、錬金魔法による地形や建物などを連続で使用して、動けないのだ。
全身から噴き出す、冷たく、嫌な心地の汗は、呼吸を早め、背筋が冷えていくのを感じる。静かに、死に向かっているような感覚だ。ぞくぞくと走る悪寒が全身を巡り、言葉を出すことさえ躊躇われる。浅層でこんなに全霊を尽くしたのは、それこそ駆け出しの時以来だ。
「やい! やい、てめぇ!」
だが、そんな二人を休ませまいとするのは“屍肉漁り”のマッシュだ。彼方から乱暴に地面を蹴って走り寄ると、パメラの胸ぐらを掴んで立たせ、がなり立てる。
「なんてことをしやがる! 俺の稼ぎ! あいつらは俺にとっての金の卵なんだよ。わかるか!? あれだけの死者、一度に十は稼げた。いや、俺なら二十はいけた! ぴよぴよ可愛い、生まれる直前の金の卵を、お前は潰したんだ」
「お、おい……やめろ、マッシュ」
「うるせぇ!」止めようとした蘇生屋の男を、しかしマッシュは蹴飛ばして怒声を浴びせる。
「てめぇらだって腹が立ってんだろ! 俺たち蘇生屋の仕事を、稼ぎを、市場価格を、こいつはぶっ壊したんだぞ!」
「………」
その言葉に、返せる蘇生屋はいない。当然だ。確かにとてつもない蘇生術を目にすることが出来た感動はあろう。だが、同時にそれは彼らの貴重な仕事を奪ったということでもある。
蘇生屋は、同行料だけでは大きな稼ぎにはならない。同行した組合の仲間を蘇生して、報酬がプラスされる。その額は、一度でも蘇生が発生すれば本来の報酬の二倍以上の額になるのだ。
さらに付け加えれば、道中で蘇生した組合とは無関係の死者に対しては、自分たちで交渉し、その際に得られる金利の一切を組合に収める必要はなく、手元に仕舞うことが許されている。彼らからすれば、ここにいた死者たちを救うことは道徳的な気持ち以上に、数人でも蘇生させることが出来れば莫大な富を得られるチャンスでもあった。パメラは、それを邪魔したのだ。
「おい、女ァ! てめぇ解ってんのか? 蘇生の仕事は高額なんだよ。危険なんだよ。危険地帯に足を運んで、めちゃくちゃ繊細な技術が必要だから、俺以外の奴が行っても高額なんだよ! それを貴様、勝手に蘇生して……どう責任を取ってくれる!?」
クレバシはこの件に関して、口を挟めない。彼女が口を挟めば、それはマルドーン商会に雇われの立場でありながら、同じ組合の蘇生屋に意見したと視られ、下手をすればマルドーン商会が他の組合の蘇生屋に意見する、ということにも取られかねない。非常に面倒な話になる。
協力したのは確かだが、クレバシの行動は蘇生屋を阻害するものではない。いっそ、自分も蘇生屋の立場を奪うようなことを行っていたら、まだパメラと共に責任を被り、商会長を経由して話し合いの場を設けられたのだが。
「おい、貴族! 何とか言ってみろ! そうやって俺たちを搾取して、まだ偽善行為で気持ち良くなってんだろ!? 俺の金を返せよぉぉ!!!」
——バチン。
突然、乾いた音がマッシュの左頬を襲い、一瞬、ポカンとしたままに手の力を緩め、パメラを手放した。
その音は、パメラの右手から鳴った。弱々しくもマッシュを引っぱたき、手放されたその瞬間、崩れ落ちそうになりながらも、パメラは毅然として膝をつかず、息を荒げながらも姿勢を正し、正面から相手を見据えた。徐々に、顔を真っ赤にし、怒気を孕んだ相手の顔を。
「て、てめぇ……っ!」
「恥を知りなさい!」
マッシュが口を開きかけたその瞬間を、一喝して黙らせる。思わずクレバシも、周りの男たちもびくりと震えてしまうほどの、強烈な気を放つほどの、一喝だ。彼らはこの感覚を知っている。人の上に立つ者のみが放つ、独特の気配。社会的弱者を従わせる、王者のみが持つ、群れを統率する原始的な支配力だ。
「蘇生屋のマッシュ! その醜く、愚かな心を貴方は一度でも直視したことがありますか? 確かに貴方の言う通り、金銭は大事でしょう。貴方も、そしてここにいる蘇生屋の貴方方も、死出に旅立つ人々を救う、崇高な仕事を行い、その恩恵として莫大な報酬が得られましょう。そのことに対して、私は物申すつもりはありません。ですが!」
一歩踏み込み、パメラは近い距離で相手を睨みつける。その動作に、思わずマッシュもたじろいで、一歩下がった。
「ですが、金銭は何のためにありますか。生きるため、と貴方は思うかもしれません。ですが、それだけではないのです。“人として”生きるためにあるのです!」
「ひ、人として、だと……っ!」
「そうです。それはただ、金銭を介して食料や衣服を買うこと、税を払い、家に住むことだけではありません。それらを介して生活にゆとりを持たせ、心を豊かにし、他者を慈しむ心、助け合う心を育て、弱者を守る。それが出来るだけの余裕を己に与えること! 金銭はそのためにあるのです! 税を払うのは、貴族がその生活を守るために、人が人として生きていける環境を外敵から守るためにあるのです!」
金銭は生活にゆとりをもたせ、己の心を豊かにし、他者を守る心を育てるためにある。
その言葉に、周囲は息を呑んだ。
「ですが、貴方はどうですか。お金だけを求め、それが何をもたらし、何のために存在して何を目的として、なぜ生きるか。貴方の言動にはそれがない。先を見ていない。何故自分の生活が苦しいかを理解していない。だから、貴方は死者への礼節が欠けているのです。己の仕事に金銭以外の価値を見出さないのです! その誇り高く、素晴らしい技術と心がありながら、貴方自身が貴方を腐らせたのです!」
「……っ、貴様よくも抜け抜けと……っ!」
「己の行動を鑑みなさい、マッシュ! お金を求め、死地に向かうその姿、天晴れ! それほど擦り切れた心でありながら、生きること諦めぬことは立派です。ですが人の心を忘れ、欲に溺れ沈み、人としての矜持を忘れた貴方の姿は獣にさえ劣る! 常にそうであれ、などとは神も言うまい。ですが、時と場合により、人は利害を度外視して協力せねばならぬのです。無償の愛を胸に抱き、己を律して使命を全うせねばならぬときがあるのです! それを惜しむ心を晒してはならぬ時があるのです! 貴方は獣ですか? それとも、人ですか!? 答えなさい! マッシュ!!」
「ぐ、ぐぐ、ぐぐぅぅ……っ!」
その痛烈な批判は、マッシュのみならず、同行していた蘇生屋たち全員の胸に刺さった。彼らの心にもあったのだ。多くの報酬を手に入れる機会だと。パメラが人々を救った時、確かに惜しいと思ってしまった心を。人として助け合う心より、自己の利益を何よりも優先したい心が第一にあったことを。
だが、この程度の説教で収まれば彼は“屍肉漁り”などと呼ばれてはいまい。彼の姿、目、拳からは納得してたまるかという怒りが感じられる。人としての矜持を捨てなければ、そんな異名などで呼ばれることは無い。
だが事実。事実として、人として遥か格上の人間に、真正面から投げかけられる言葉は、ましてそれが人を束ねる貴族という、圧倒的な責任感と理性と高貴な心の持ち主の言葉では、嫌でも響くのだ。心の奥に。最奥に。己が目を背け、見下し、踏みにじった、自分自身の心が、ざわつく。わめく。確かにあった、人としての誇りの部分が芽を出すのだ。俺だってそうありたかった。その心が、感化されていくのを、マッシュだけでなく、その周りにいた誰もが、感じる。
マッシュが涙を流す。それは言い負かされた悔し涙だけではない。彼自身が終ぞ、下らないと吐き捨てた己の中にあった正義が、義侠心が、他者を慈しむ心が、今の自分が間違っていると何度も声高に叫んだのに、見て見ぬふりをした心が、今になって熱を取り戻している。
だが、それを認めるわけにはいかない。認めてしまうわけにはいかない。認めてしまえば、己が今まで生きて来た道はなんだったのだ。死肉を食らい、恐怖で引き攣り、逃げ出してもなお捕らえ、涙ながらに懇願する者たちから金品をむしり取り、死してもなお骨の髄まで売り物にして稼いだ金はなんだったのだ。
そうしなければ生きられなかった。生きていく上には金が必要だった。泥の中で生まれ、ゴミを食って育ち、顔も奇形で、体つきも悪く、まともな仕事が出来ない自分に神が与えた、たった一つの挽回のチャンスこそが蘇生術。
どんなに俺を虐げた奴らも頭を下げた。その頭を踏みつけても涙を流して懇願するばかりで、それがどんなに素晴らしい快楽と絶頂をもたらしてくれたかは、味わった者にしかわからない。社会的弱者が、社会的強者に変わったその瞬間の快楽は、言葉にも出来ぬほど快感であった。
金が手に入れば、今まで邪険にした街の奴らも気兼ねなく食べ物をくれた。蘇生術があるとわかれば、どんな傲慢な連中でも待遇良く迎えてくれた。
一方で、貧乏人に蘇生を無償で施してやっても、奴らは麦のひとかけらすら返そうとしなかった。苦しんでいる人を救うための術だと使命に燃えた時期もあった。だが、現実は契約を挟まなければ、人とは醜く、恩を返そうともしない。そうだ。何が無償の愛だ。人の醜さを知っているのか、この女は。だって、俺を救ってくれたのは金だけだったんだぞ!
嗚呼、でも。
嗚呼、それでも。
確かにあった。誰かを救いたいという気持ち。無償で、何の恩も期待しないで蘇生して、ありがとうと返してくれた人の言葉の温かさを、なぜ今になって思い出す。そんなものは呪いだ。そいつらが何を施してくれた。心を豊かにするだと。蘇生屋を営んで、山のように肉と酒を飲み食いして、また次の仕事を待つ方が、ずっと楽だった。
楽だった、はず……なのか?
「ありがとう」という、無邪気な言葉。
金銭が絡む余地が一切ない、純粋な感謝。
最後にその言葉を聞いたのは、いつだ……?
「蘇生屋」
パメラとマッシュの問答に、割って入ったのは、パメラの弟の若き貴族、テットであった。
彼は沈痛な面持ちでマッシュを見つめ、しかしその表情は、どこか申し訳なさそうでもあった。
「お前の言う通り、俺たち貴族の在り方は……税金などは、確かに貧困層を苦しめているだろう。施しを与えているが、それも足りていないことだろう。お前の問いかけに対して、オレはまだ、答えを出せていない……」
その言葉は弱々しく、頼りなく、姉の言葉に比べると、ふわふわしている。
「お前の言うことも正しく思う。だが、姉さまの言葉の方がずっと正しく感じる。けど、それは両立するんだろう。どちらかが正しいということではなく、立場や状況によって、姉さまの言葉も間違いに代わることがあるのだろう」
「それでも」と、テットは震える瞳で、マッシュを見つめる。
「それでもオレは、姉さまの言うように、人としての正しさを大事にしたいし、その心を理解してほしいとも思う。だから……」
呟いて、テットは腰に佩いた小剣を外し、マッシュに差し出した。
「だから、今回はこれで事を収めてくれないか?」
「テット!?」
その剣がマッシュに向けられたのを見て、パメラは絶句した。
紋章と宝石がいくつかついた、テットが初めてダンジョンタウンに来た時から装着していた、小剣。何か大事な物なのだろうと、あるいは儀礼用の剣なのだろうと思っていたが、パメラの反応見るに、そんな生易しいものではなさそうだ。
「なんだ、この剣は……?」
「これは、我がクロエルド家に代々伝わる、エルフの国の建国王——白い王より祖先が与えられし宝剣。オレが父より継ぎし、聖なる剣。これを、お前たちに譲ろう」
その言葉に、クレバシもむせ返り、変な咳が出た。エルフの国の国宝を、今目の前にいる浮浪者も同然の男に譲ろうというのであるのだから。
「な、なにを言っているのです、テット!?」
「姉さま。姉さまの言葉は正しい。ですが、彼の言葉も間違っていない。生きるためにはお金が要る。そして息苦しくしているのも、確かにオレたち貴族に一旦はあります。この様な者のように、救われない存在が我が国にもまだまだ多くいるでしょう。この男のように、人生を変えられるほどの技術を持ちえていない者の方が、遥かに多い」
テットは拳を握り、己の胸に当てる。何かを強く、強く決意した瞳で、マッシュを見つめる。
「これはオレの覚悟だ。お前のような存在を、少しでも多く救うための、オレの覚悟。オレは未熟だった。己惚れていた。お前のように、貴族という席に胡坐を掻き、世の中を楽観視していたのだろう。蘇生屋のマッシュ、オレはお前に会うことが出来て良かった」
「……っ、小僧が、何を……」
「この剣は、売れば小国を変えるほどの額になる。そこいらの店では到底扱いきれないだろう。だから、どこかの王族か貴族にでも売ればいいさ。その金を、お前たちはわけあってくれ」
もはやテットの眼には一切の揺るぎが無い。怯えが無い。覚悟を決めた、男の眼をしている。
「この町の人々全員を蘇生させるよりも、遥かに莫大な富を得られるはずだ。これを以て、今回の件、どうか水に流してほしい。お前たちから仕事を奪った、オレから今出せる最大限の謝罪だ」
「………」
沈黙。
誰もが、その勢いに気圧された。
姉のパメラとは違う、まだ未熟ながらも、芯に強さを秘めた、王者の気迫。そして、少年の純粋な嘆願。
どうする、と互いに蘇生屋が見つめ合っている中で、マッシュは乱暴な手で小剣をひったくると、射殺さんばかりの視線でテットを睨みつけた。テットも、それを正面から見返す。
「……嫌いだぜ。お前ら」
「構わない。お前が納得してくれるのなら」
けっ、と唾を吐いてマッシュは馬に乗る。
「戻るぞてめぇら! こんな正義ごっこに付き合ってられっか」
馬を叩いて走らせ、マッシュは商隊の元へと戻る。残った蘇生屋たちも一礼をしてから小隊へと戻り、後にはクレバシとパメラ、そしてテットだけが残った。地響きが近くなっている。そう遠くないうちに、商隊の仲間たちもここに辿り着くだろう。
「テット、貴方……」
「いいのです、姉さま」
パメラが何かを言いたげにしているが、テットは爽やかな笑みを浮かべて、首を横に振る。
「クレバシ。オレのような半端者をこの度に参加させてくれてありがとう。心から感謝する」
「……あら、随分と好い男になったわね。何か学びを得たのね」
「ああ」
テットは正面の大樹の町を見上げ、深く頷いた。
「オレには、オレのやるべき使命がある。やっと理解できた」




