第21話 命の落陽、そして萌芽
小山ほどもある巨大な岩蟹は仰向けに倒れて絶命した。
もはやピクリとも動かず倒れ伏すその姿に、商隊の仲間たちは大きな声を上げて勝利を喜び、生き残った仲間たちは抱き合って歓喜の抱擁を交わし、パメラもまた嬉しさに両手を上げて姉妹の勝利を喜んだ。
そんな彼らを呑気なものだと、クレバシは苦笑する。これからの作業の方が大変なのだから、と。
〇
「さて、やりますか。タヌライ」
「はーい」
クレバシが合図を送ると、タヌライはまず大きなハサミの付け根に大斧の刃を当て、勢いよく振り下ろす。ごっ、と鈍く、重い音を響かせながら、タヌライは何か所に刃をぶつけた。刃を食いこませる度に、体液が噴き出し、ほんのりと水臭くなる。そうしてある程度に切り込みが入ったら、強烈な勢いで斧を振り抜き、片方のハサミを落とした。
右が終われば、次は左。ハサミを落としたら、次は脚だ。頑強な甲殻と岩に守られていようとも、脆い部分を狙われてしまえば岩蟹も形無しである。順調に手足を落とされた岩蟹は丸坊主の姿だ。
手足を落としたら次はふんどしを剥がし、腹部を真っ二つに切り裂くと、中からは蟹のミソと共に、食われた人々の肉や骨が見えた。その臭いのきつさに、タヌライは目をぎゅっと瞑って「くさー」と嫌悪感を示す。
「見た所、まだ半日そこらかしらね。助かると良いんだけど」
タヌライが蟹を捌いている間に、クレバシも準備を終えていた。周囲一帯に自分の魔力の網を走らせ、商隊のメンバーだった人たち、馬車、馬車を引いていた生き物、その中に入っていた道具。可能な限りサーチして、再生を試みる。
とは言え、これだけの大規模だ。クレバシも初めての遭遇であるし、岩蟹レベルの被害が出かねない場所は、もっと実力のある護衛隊がついたり、商隊の規模も小さくなるからだ。
「あとはパメラの実力を信じるしかないわね」
街の中で見たあの蘇生術。あの規模の蘇生魔法はクレバシも見たことがない。あれが鍜治場の馬鹿力ではないことを祈るばかりだ。
指を空に向けてかざし、ぐるぐると腕を回した。ゆっくりと、ゆっくりと。呼びかける。魂に。時の流れに。あるべき場所。あるべき姿。思い出せ、思い出せ、思い出せ。魂の形。肉体の形。存在の形。曖昧な記憶の中に。明瞭な肉体の中に。描け。描け。描け。
腕を回すごとに砕かれた岩々、木々に花々。めくれ上がった肥沃の大地の岩盤が、砕かれた大穴が、そこに落ちた人々の死体が、裂かれ、潰され、跡形も残らぬ肉と血と骨の欠片が、岩蟹に食われ、砕かれ、溶けかけた人々が、空に吸い上げられ、巻き戻るように戻っていく。失っていた肉体の体裁を微かに取り戻しながら、魂が欠けた肉体が地面に寝転がされていく。タヌライはその作業を見つめながら、万が一にも岩蟹がその流れに乗って復活しないように、武器を構えて備えている。
「ふぅ」
一分ほど経って、クレバシの作業は完了した。辺りの大地は元に戻り、馬車は元通りに。荷材は、可能な限り戻したつもりだが、多少量に変動があってもそこは自己責任ということで。そしてあちこちが欠損した死体の並びは、蘇生させるには十分な量の肉体が残っていて幸いである。その中には、当然テットの死体もあった。
「パメラ、聞こえる?」
クレバシはテレパシーをパメラに送り、呼びかける。
「今から蘇生させてもらうわよ。蘇生屋も連れてきてちょうだい」
〇
駆けつけて来たのはパメラ一人であった。どうやら蘇生屋はいなかったらしい。ということは、この死体の中に紛れ込んでいるのか。自身の生存を一番に考えるべき蘇生屋としては、愚の骨頂である。
「こ、これ全てが……犠牲になった人の……」
「感傷に浸るのはあとにしてもらうわよ。魂と肉体の乖離は意志の弱い人ほど長続きしない。まして死の恐怖を強く感じて死んだなら、肉体に戻ることを恐れて本来なら蘇生が間に合う時間でも不可能になることが多いわ」
「わ、わかりました! や、やってみます……」
言葉は弱気であるが、目の力強さは本物だ。彼女はこれだけの死体を前にしても覚悟を決められる強さがある。
「あんたでダメだったら、他の誰がやってもダメよ。あたしはそれくらい評価してるから、気楽にやりなさい」
クレバシの声は彼女に届いたかわからぬ。パメラは両足を畳み、祈るように両の手を合わせ、深く意識を集中させた。彼女の意識が表層から、心の内の深い深淵へと潜るのを感じる。こんな一瞬でとてつもない集中力を発揮するその豪胆さに、やはりクレバシは恐ろしさを感じる。
(ひょっとしたら、魔法に関してはあたしと同じか、それ以上の……)
いや、今考えても栓無いことだ。今はこの動向を見守るばかりである。
彼女の意識が最奥に落ちた時、魔力が萌芽する。それはたちまちのうちに伸びて、彼女の四肢に枝葉を広げると、肉体を突き破り、周囲の命の残骸の、ありとあらゆる場所へと伸びて貫く。命の枝葉は伸びて、伸びて、やがて大樹のように大きな存在へと変わり、そこへ実をつけるように人々の中に命の形を宿す。
あるいは螺旋のように大きく渦巻いて、光の波が辺りを包み込むように、押し流すように、離れていくものを押しとどめ、絡め捕るように。命の光が、圧を放つ。
たちどころに肉体の損傷は戻り、世界に記憶された姿へと戻る。敗れた衣服、折れた武器や防具を纏った姿へ。肉体の回復と、身に着けていた物の復活。クレバシは確信する。これほどの回復魔法は、やはり他において二人といない、と。
パメラから放たれた黄金の渦は、やがてゆっくりと消え去る。彼女の中へと戻り、伸びた枝葉は縮み、大樹は針のように細く、螺旋は残滓すら残さず穏やかに散り、魔力はまた芽へと、種へと戻る。
「ふぅ」
大きく息を吐きながらパメラが目を開くと同時に、意識を取り戻した人々は現状に混乱しながらも自分たちが生き返ったことを知った。その中には商隊に参加していなかった人たちもいる。彼ら、彼女らは涙を流しながら喜び、抱き合った。
恐るべきことに、これだけの大規模の死者がいながら、パメラは誰一人として蘇生をしくじってはいなかった。クレバシの予想では、どんなに最高の成果でも3割復活できればマシだと思っていた。だが、どうだ。実際には全員だ。全員が蘇生されている。蘇生術があると言えども、魂が肉体に戻ることを、とりわけ生前に感じた恐怖感が強ければ強いほど、蘇生魔法は効果を弱くする。
だがクレバシは見た。
離れ逝く魂たちを光の渦が抱き締め、包み、愛し、安堵を与えていたこと。生き返ることへの恐怖心を薄れさせ、もう一度希望の光を取り戻させたことを。これを蘇生魔法と言って良いのだろうか。もっとスケールの大きい、何か自分の知らないさらなる強大な力なのではないか。クレバシは、そう思わずにはいられなかった。
「姉さま!」
「テット!」
そんなことを思考の端で考えていると、息を吹き返した弟との感動の再会が彼女を待っていた。パメラはテットを強く抱き締め、泣いて喜びあっている。
「成功してよかったね」
「ええ、そうね」
その光景にはクレバシも見覚えがある。まだダンジョンに挑んだばかりの頃、不注意でタヌライが死んだとき、クレバシもひどく狼狽した。同時にタヌライも、別の件でクレバシが初めて命を落とした時、泣いて憔悴しきっていた。身内の死は、それほどに耐えがたく、身を裂かれるような苦しみでありながら、ここでは必ず乗り越えなければならない試練なのだ。あの日の自分たちの姿と、今のパメラたちの姿が重なった。
「パメラ、やっぱりすごいね」
「凄いなんてものじゃないわ、規格外にもほどがある……彼女なら、もしかしたら……」
心の中に湧いた一つの可能性を、しかし、クレバシは頭を振って可能性から追い出す。今はそんなことを考えている時ではないし、彼女らの喜びに水を差す時でもない。
ポケットからパイプを取り出し、クレバシは煙を噴かせた。




