第19話:崩壊する商隊
地面から突き出した巨大な岩の大壁は、その巨大な質量を商隊にぶつけ、その衝撃で多くの馬車と馬、そして護衛隊と商人たちを叩き潰し、空へと投げ捨てた。その時に死んだ者たちは幸運だ。地上はと言えば地面が割れ、土砂と岩が舞い上がり、辺りの岩盤がめくれあがって逃げ延びた者たちが次々に飲み込まれ、生き埋めになっていく。
絶望の中で逃げ惑うも、地面に飲まれた者たちは悲鳴さえ暗闇に残って誰の耳にも届かない。僅か一瞬で被害は甚大だ、生きている人たちが一瞬で死んでいく。
決して安全なものとは言い切れない旅路であった。だが比較的簡単な道のりで、安全はある程度、保証されていたはずであった。だから参加した新米の探索者も多くいたのだ。
これをきっかけに出世してやると目標を持った者もいただろう。もしかしたら誰かが自分の力を見抜いてスカウトしてくれるかもしれないと夢を抱いた若者もいたかもしれない。運良く珍しい商材に出会えるかもしれないと胸を躍らせた新米の商人もいたかもしれない。今回もいつも通りだ、と退屈しながら馬車を進ませた、旅慣れた商人もいたかもしれない。
みんな、みんな、墜ちていく。暗い穴底に、助けを求める声も残せず、ここにいた証も立てられず。
哀れではないか。志半ばで何も果たすことが出来ず、こんなにも呆気なく終わるなんて、惨めではないか。
だが悪夢は止まらない。辛うじて生き残った人たちを、さらに襲うのはその突き上がった岩壁である。空さえ覆い隠すほどに巨大なそれは、叩きつけるように倒れ込み、生き残った人たちを踏み潰そうと襲い掛かる。
もはやこれまでか。誰もが諦観して、絶望の底に追い遣られた、その瞬間——。
「うおおおおおおおっ!」
空を裂くほどの咆哮が轟き、轟音《ごうおn》と衝撃が大岩の落下を弾き飛ばした。一体何事だ。誰もが空を見遣れば、宙には小さな陰が一つ、大岩の壁を塞ぐ存在が漫然と立ちふさがっているではないか。
「クレバシっ!」
誰であろう、タヌライだ。
「ダガルズ!」
タヌライの合図が空から響くと同時に地上からはクレバシの大声が響く。
呪文が響くと、周囲の人々の身体が光に包まれるや、その瞬間、巨大な岩壁から大きく距離を取ったところに身体が移動した。これはテレポートの魔法だと誰かが理解した瞬間、次々と人々が周囲に転送されてくる。その中には穴倉に落ちた人々も含まれていて、無事な馬車、細切れになった肉片、原形をとどめない木片、足や腕がおかしな方向に曲がった人々——そして、クレバシ。
「ふぅ……数が多すぎんのよ」
冷や汗を搔きながらクレバシは息を吐いた。
「く、クレバシ、今のは……!?」
「見りゃわかるでしょ、タヌライが吹っ飛ばしてる間に、あたしがテレポートで感知できる限り全員拾って逃げたのよ。あとちょっとタヌが教えてくれるのが遅かったらマーキングが遅れてたわ」
辺りを見回すが、まだいない人間が多く、そして拾いきれなかった死体はいくつもある。さすがにあの一瞬でテレポートするためのマーキング行為は時間が足りず、7割程度しか一緒に跳ぶことは出来なかった。
「……残りはあいつの腹の中かしらね」
ハットを深く被り直しながら、クレバシは一歩、二歩、前に出た。大地が盛り上がって岩雪崩が起こる。地盤を切り裂いて現れたのは巨大な岩石の塊。山だ。まるで地中から山がせり上がってきたようではないか!
大きな岩壁が突き立てられる。それがはさみのような形状であることは遠く離れている今ならよく見えた。山のように大きな体と、それを支えるのは大樹ほどもある大きな脚。そして背中には山脈を背負ったようなその姿。
「岩蟹……本来なら第五層の、奥まったところにしか現れなかった超危険生物。これはちょっと、ただの商隊の護衛には荷が重い相手だわ」
山そのものが動き出したような巨大なモンスター、岩蟹の堂々たる君臨である。
「クレバシ!」
これ手ごわい奴だと息を呑んでいると、パメラの悲壮な叫びが耳を揺さぶる。
「なに? 言っとくけど、一緒に戦おうって言わない方が……」
「テットが……テットがいないのです! ど、どこに……」
「………っ」
慌てて岩蟹の方へと目を向け、精神を集中する。大丈夫、動揺しているパメラと違い、クレバシは冷静だ。テットの魔力はずっと同行していたから記憶しているし、サーチする能力には格別の自信がある。
クレバシは精神を研ぎ澄ましながら岩蟹の足元辺りを入念に探り……見つけた。みつけてしまった、というべきか。
「落ち着きなさい、パメラ」
「で、でも……」
「あんたがこの先、本気でこのダンジョンに挑む覚悟があるなら、狼狽することなく今から言う事実を受け入れ、飲み込みなさい。テットは死んでるわ」
「……っ!?」
途端、パメラの顔が蒼褪め、膝から崩れ落ちた。絶叫するのを必死でこらえ、口元を手で覆うが、その分の衝撃は涙となって目からたちまち溢れ出す。それを責める気にはなれまい。これが最初の試練だ。ダンジョンの中で、自分の死、あるいは家族や親しい者の死を目にすることは避けられない。最初の試練なのだ。
「最初にあいつがハサミを突き出した時、あんたは偶然あたしの傍にいたから手を引いて助けてやることが出来たけど、テットは離れていたからその時に死んだのね。あいつの足元辺りに倒れてるはずよ」
「あ、あぁぁ……そんな……っ!」
「生存者と落下者を優先してテレポートしたから、あの子は連れて来られなかったのね。けど地上で死んだのはまだ幸運だわ、落ちてからだと探すのが大変だから」
「……っ! ……っ」
パメラは、必死で涙と言葉を堪えている。あるいは、ショックが強すぎて言葉も出ないのだろうか。だが、そこで心が折れられては困る。
「パメラ、もう一度言うわ。本気でダンジョンに挑むつもりなら、この程度で心を乱している暇はないわよ。この先、貴女は幾度となく、仲間の死を目の当たりにすることになるわ」
「で、でも……でも……」
テットが……そう零すパメラ。
「落ち着きなさい、パメラ・ロズ・クロエルド!」
その瞬間、辺りは水を打ったように静まり返った。
「貴女の役目はなに。弟の死を嘆くこと? ダンジョンの強大さに打ちひしがれて尻尾を巻いて逃げること? 違うはずよ。貴女が誇りと勇気を以て、無謀と嘲笑されながらもここに来た理由は、故郷を救いたいからのはずよ!」
「……っ!」
「弟の死だけを見て、故郷に逃げ帰る? ならその先にあるのは、貴女が愛する臣民の死だけよ。それが嫌なら、現実を見なさい! いいこと? あいつを倒せばゆっくりと死体を集めて生き返らせられるわ。もう一度言うわよ。あの岩蟹を倒せば、全部解決するのよ!」
「あ、あれを倒せば……テットは……皆さんも……」
「そうよ」
パメラの眼に、光が点る。強い意志の光だ。打ち砕かれかけた心が戻り、涙が引っ込んで、怯えが勇気へと変わる瞬間の、強い眼だ。
「……見苦しいところをお見せしました、クレバシ。ですが、私はあの魔物と戦う術を持ち合わせていません」
「そうよ。そして、ここにいる全員が束になったところで申し訳ないけど、火中に薪をくべるくらい役に立たないわ。貴女の役目は何?」
ふぅ……。パメラは、大きく息を吐き、真っすぐな瞳でクレバシを見つめる。
「あの魔物が倒れた後、テットを蘇生させることです」
「うん。良い顔になったわね」
クレバシが拳を前に突き出すと、パメラはそれを不思議そうに見つめ返す。
「ほら、拳を当てるのよ。探索者同士の挨拶みたいなもんよ」
「こ、こうですか」
こつんと、ゲンコツをぶつけ合って、その動作がなんだかおかしくて、パメラは笑った。クレバシも、目を細めてニッと優し気に微笑む。
「クレバシ!」
そこへ飛んできたのはタヌライだ。巨大な斧を背負い、既に臨戦状態に入っている
「もう準備はいいかい?」
「ええ。久しぶりの大物ね、やるわよタヌライ!」
「うん!」
タヌライとクレバシは魔物へと目を向ける。山ほどにも巨大な魔物。ここにいる武装集団ですら震えあがり、戦う気力をそがれるほどの威圧感と、確かな戦闘力。
「本当に、勝てるんですよね」
背中から不安げな声を投げかけるパメラに、クレバシは振り返ると、親指を立ててニカっと笑う。
「当たり前でしょ! 灰の姉妹、舐めんじゃないわよ!」
途端、クレバシの周りを紫色の光の螺旋が覆い、周囲を威圧した。暴風にも似た魔力の奔流。傍に立っているだけで気を失ってしまいそうなほどのそれが、クレバシの魔力である。
「行くよ、クレバシ!」
「行くわよ、タヌライ!」
二人は同時に飛び出し、巨大な岩蟹へと向かった。




