誰も知らない、わたしのこと
ギルドの掲示板前は朝から人だかりだった。
新しい討伐依頼が張り出されたらしい。
「お、出た出た。討伐ランクB。王都の東の森に魔物の群れだとさ」
真っ先に張り紙を見にいったレイヴンが、軽く口笛を吹いた。
「ふん。やっと俺たちの腕が鳴る仕事が来たってわけね」
ツンとした態度のシリルが呟く。けれど氷色の髪の先が、どこか楽しげに揺れていた。
「んふふ〜!お仕置きの時間かしら〜?」
腰に下げた鈴を鳴らしながら、ミナが楽しそうに拳をパンパン鳴らしている。
「おお、筋が張るな。久々に全力で盾を構えられるぜ!」
ガルドは肩をぐるぐる回しながら笑う。
そんな空気の中で、アリシアは一歩下がって、そっと皆を見つめていた。
心の奥では――戦えるのに。でも、それは口に出さない。
すると、レイヴンがぴしっとアリシアを指さした。
「お前は城でお留守番な!」
「え……あ、うん……」
戸惑いながらも、アリシアは笑顔で頷いた。
「いや、だってお前、戦闘訓練も受けてねぇだろ?護衛もついてないんだし、今回は王都でのんびりしてろって。心配すんな、帰ってきたら土産話でも聞かせてやるよ」
「……ありがと、気をつけてね」
そう言うと、彼らは笑いながら手を振ってギルドを後にした。
アリシアはその背中を見送る。
自分は、戦いに行かない。ただのお留守番。だけど――
(あの背中を、守れるくらい強いのにね)
ほんの少し、胸の奥がチクリとした。
でも今はまだ、誰にも言わない。
誰にも知られないまま、“普通の女の子”として過ごす日々を――アリシアは選んだのだから。
ーーーーーーー
「アリシア様、ギルドから皆さん出発されたようです」
メイドが丁寧に頭を下げてから部屋を出ていくと、アリシアはふうっとひとつ息をついた。
今日から数日間、レイヴンたちは王都近郊での討伐任務に出ている。アリシアは王城でお留守番だ。
「ふふ。まさか“か弱い女の子”にお留守番を任せる日がくるなんてね……」
誰もいない部屋の中で、アリシアはひとりごちる。かつて、自分ひとりで魔王を倒し、世界を救った。誰にも頼らず、誰の助けも借りず、ただ前に進むしかなかった。でもこの世界では――“そんな過去は誰も知らない”。
おとぎ話に出てくるような、美しい城の中で暮らし、誰かに「危ないから」と守られて。
それはアリシアにとって、夢のような生活だった。
「この世界のみんなは、わたしのことを“ちょっと気の弱そうな女の子”だと思ってるんだよね」
実際、レイヴンはからかい半分で「お前、一番非力っぽいし、待ってろよな」なんて言ってきた。
――否定しなかった。
むしろ、内心ではちょっとだけ、うれしかった。
アリシアは城の中庭に出ると、手すりにもたれて街を見下ろした。遠くから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。露店の甘い香り、道端で歌う吟遊詩人。かつての戦場では感じることのなかった、「普通の世界」がそこにあった。
「……これが、普通の生活なのかな」
そう呟いた時、アリシアの心に、かすかなざわめきが走った。
――王都の空気が、わずかにピリついている。
彼女は感覚で分かる。魔族の気配。まだ遠いが、確かに何かが近づいている。
「……でも、わたしは普通の女の子。騎士団がいるし、みんな強いし。きっと大丈夫」
そう言い聞かせるように微笑む。でも、その指先には、ほんのわずかに力が入っていた。
――“いざとなったら、私が守るから”。誰にも知られないように、静かに、そっと。