#END エピローグ② ユウリ・ヴァイオレット
本編最終話その②です。
「――久しぶりね」
聞き覚えの無い、女性の声。
その声に、エルははっと顔を上げた。
腰まで伸びた夜空の様に美しい黒髪、長く伸び尖ったエルフ耳、吸い込まれそうな程に澄んだ紫紺の瞳。
自分と瓜二つのその姿に、エルは目を見開いた。
「わたしには、お会いした記憶は有りませんよ?」
エルへと“久しぶり”と声を掛けるその瓜二つの女性の事を、エルは覚えてはいなかった。
それは触媒として消えた、遥か彼方の記憶なのだろうか。
いや、エルは名前すらも失っているのだから、誰の中にもその記憶は存在しえない。
もし覚えていられる存在が居るとすれば、それは――。
「そうね、ごめんなさい。今のあなたは名前も記憶も失っているんだったわね」
エルは自分と瓜二つのこの女性の事を覚えてはいない。
しかし、それが誰なのかなんて、エルには分かっていた。
覚えていないはずなのに、知っている。
「――ですから、初めまして。エルさん」
「――ええ、そうね。初めまして、エル」
だから、エルはそう挨拶をした。
『永遠』の魔女エルと、かつての『結晶』の魔女エル――いや、神ラプリエルが対峙する。
時の止まったこの世界で、二人の黒髪のエルフだけが、そこに居た。
「――アルさんをどこかへ連れて行ったのは、あなたですよね?」
それは先刻の事。
エレナ立ち合いの元、二人は共に小さな結婚式を挙げた。
そして、アルの持つスマートフォンで思い出の写真を残そうとした、その時だった。
シャッターを切ると同時に、世界の全てが静止した。
風は吹かない、雲は流れない、不気味なまでに静かな世界。セピア色に見紛う程の静寂。
エレナもスマートフォンのカメラを構えたまま、静止している。話しかけても返事は無く、触っても動く事は無い。
そして、隣に居たはずのアルの姿が、忽然と消え去っていた。
共に結婚式を挙げ、幸せに包まれていたはずなのに、最愛の人が傍から居なくなっていた。
一応辺りを探し回ってみるが、やはり居ない。
この世界の時間が停止し、その中でエルだけが動いていた。
そんな時に、程なくして現れたのが神ラプリエルだった。
そして、今に至る。
「そうね。あなたの大切な旦那様は、今わたしと大切なお話をしているの」
「――お話、ですか」
その神言葉にも、エルの心の水面は波打つ事は無かった。
何の驚きも、感慨もない様な、そんな声色でエルは言葉を返す。
「? ……あなた、やけに落ち着いているわね?」
「そうですね。だって、全部見えていますから」
そう言って、神ラプリエルの方を向くエル。
その右目が、真紅に輝いていた。
その輝きは、紛れもなく“真実の目”のそれだ。
「へえ、驚いたわ。それはあの時確かに触媒として――いえ、そういう事ね。片目だけ、彼にも秘密で隠し持っているなんて――。あなた、本当に魔女ね」
エルの目を見た神ラプリエルは、どこか喜色の滲む声色でそう言った。
ずっと傍に居たアルですらも、そして神ラプリエルですらも、エルの真の実力は図り切れていなかった。
エルの圧倒的魔力量の前では、神ラプラスの存在そのものを触媒として産まれた魔王を殺す事すら、片目を触媒とするだけで十分だったのだ。
故に、片目を残した。
そして、誰にもそれを明かさずに、隠し持っていた。
エルはこうなるかもしれないと予見していた。だからこそ、愛するアルとの“ずっと一緒”を守るために、神すらも騙し通す必要が有った。
全ては、この瞬間の為に。
「ふふっ。神様にそう言われると、なんだか照れますね。でも、これだけじゃ過去も未来も見られません。真実には程遠い。ただ、わたしの半身の事をちょっと覗き見る程度の物です」
エルはそう言って、そっと右目に触れる。
その目は自分の半身――つまり、アルの事を見る事が出来る。
例えどれだけ遠く離れていようと。それこそ、例え世界を跨いだとしても。
例え神に邪魔されようとも、離れ離れにされようとも、繋がっていられる。
「それで、わたしの策略は全て筒抜けだった訳ね。――でも、それならあなたはここで呑気にしていていいのかしら? 彼は今、必死に神に抗っているというのに」
エルの右目には見えていた。
神ラプリエルと、必死に戦い続けるアルの姿が。
「そうですね、必死に。それこそ死にながらも、わたしの為に戦っています」
『永遠』の魔法。不老不死。それによって、アルは死ぬ事は無い。
だからこそ、死んでも死んでも立ち上がり、神に抗い続けられる。
全ては、愛する人の元へと戻る為に。
「なら――」
「――でも、それって、何だかとっても、素敵ですよね」
エルはそう言って、穏やかに微笑む。
自分の為に、ここまでしてくれるアル。
その愛を一身に感じられた気がして、心の奥底から暖かい何かが沸き上がって来る様で――。
だから、エルの表情は穏やかで、落ち着いていた。
元より、心配なんてしていない。
信じているのだから。
(――だって、わたしが連れて来た、わたしの勇者様だもの。ぜったいに、負けるわけがないわ)
心の中で、もう居ないはずの誰かがそう言っている気がした。
「ああ、それでこそよ。エル、やっぱりあなたにこの世界は狭すぎるわ。――さあ、わたしと来て頂戴」
神ラプリエルは、歓喜の色に満ちた声を上げ、エルに手を差し伸べる。
何かが神の琴線に触れたらしいが、エルにはそれが分からなかった。
「何言ってるんですか、嫌ですよ」
しかし、エルはあっけらかんとして、神ラプリエルの誘いを拒む。
それはエルにとって当然の返答で、それ以外の答えを持ち合わせてはいなかった。
「む……」
神ラプリエルは少し怪訝に眉を顰める。
「わたしはアルさんと“ずっと一緒”って約束しました。ごめんなさい、わたしは“一人では”そちらへは行けません」
エルはそう言って、ぺこりと丁寧に頭を下げる。
エルにとっての最優先はやはりアルなのだ。アルが居ないのなら、神になるだなんて選択肢にも入らない。
しかし、それは裏を返せば、アルが傍に居るのなら何でもいいし、どこでもいい、という事でも有る。
「それに、神様だって、ずっと昔にエルとして、勇者アルと結ばれて、幸せな時を過ぎしてきたんですよね? なら、わたしにもその権利が有るはずです」
「……そうね。でも、わたしの時とは違う。彼は不死性を得てしまった。終わりは来ないわ。彼は永遠にあなたを縛る枷でしかないのよ」
「でも、わたしをあの森から連れ出してくれたのは、アルさんですから。アルさんが居なければ、わたしはここに居ません。永遠に縛られるというのなら、わたしはそれを享受しようと思います」
エルはそう言って、ゆっくりと首を振った。
アルが自分を縛る枷だというのなら、それこそエルの望む所だった。
傍に愛する人が居るのならば、それだけで良かった。
「仕方ないわね。でも、時期に彼にも限界が来るわ。そうしたら、彼から魂を引き剥がして、それでおしまいよ」
「――そうさせないための、この“目”ですよ」
エルの右目が、真紅に光り輝く。
その目は今も戦い続ける彼の姿を映し出している。
この目が有れば、アルと繋がっていられる。
「全く、愚弟が余計な置き土産をして行ってくれたわね……」
神ラプリエルはそう小さく呟き、どこか遠い目で微笑む。
時が停止し、セピア色と見紛う程の静寂の世界で、二人の魔女が対峙する。
エルは『結晶』を、そして“エル”もまた『結晶』を、その手に――。
これは、後の新たな神、黒髪のエルフ、ユウリ・ヴァイオレットの物語。
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