#END エピローグ① 真白侑利
本編最終話その①です。
「ここは……?」
気が付けば、知らない場所に居た。
丘の上の、雲をも突き抜ける大樹の根本。
空は快晴。こんな眺めの良い場所、いつもならエルと一緒にこのまま寝転んで日向ぼっこでもしていたいくらいだが、生憎今は一人の様だ。近くにエルの気配も感じない。
ここが現実なのか、それとも夢の中なのか、前後の記憶も定かではない。俺はどうやってここに来たのだろうか。
それでもどこか懐かしさ、そして安心感を覚え、来た事なんてないはずなのに、まるで知っている場所の様な気さえした。
その懐かしさはもしかすると、前世の記憶由来の物だろうか、と記憶を辿る。
しかし、もはや虫食いだらけで記憶とも記録とも付かない、点と点が決して線で結ばれない思い出たちの中からそれを探し出す事は難しかった。
それでも、今の自分の――アルの記憶の中に有るこの感覚に一番近しい場所、それは“魔女の森”だった。
この日差しの暖かさが、あの森の中で過ごしたエルとの、魔女様との日々の温かさに似ていた気がした。
「目が覚めたみたいね」
こんなにも開けた場所だと言うのに、今の今まで気配すら感じさせず、瞬きの一瞬程の間に、突如目の前に現れた一人の女性。
腰まで伸びた夜空の様に美しい黒髪、長く伸び尖ったエルフ耳、吸い込まれそうな程に澄んだ紫紺の瞳。
その容姿に、思わずこの世で最も大切な自分の妻の名を呼びそうになったが、寸での所で留まった。
違う。この人はエルではない。
容姿こそまるで双子の様に似てはいるが、目つきも、纏う雰囲気も、その全てが違っていた。
そして、その人物に思い当たる節が一つだけあった。
俺は、その名を呼ぶ。
「――あなたが、かつての“魔女エル”ですか」
それは『勇者アルの冒険』の魔女。
俺たちに『時』の魔導書を託した魔女。
「ええ、その通りよ。かつて瞬きの間程の一時だけ“エル”と呼ばれていた存在。それがわたし」
やはり、そうか。
俺はずっと考えていた。何故『時』の魔導書の『隠匿』は『魔女エル』の死後も解かれることは無かったのか。
それは、彼女がまだ生きていたからだ。
いや、正確には“『魔女エル』としてこの世界に顕現した魂が生きていたから”だ。
「メールの差出人も、あなたですね」
「ちょっとした遊び心のつもりだったんだけれど――あまり、驚いてないみたいね」
「そうですね。『魔女エル』が目の前に現れたのなら、全てが繋がります」
「じゃあ、答え合わせといきましょうか。――わたしは、何者かしら?」
俺の中に有った想像、突拍子も無い妄想。
それでも、全ての辻褄が合ってしまう。
死者蘇生、エルフ、魔法、不老不死、龍、そして外世界の神による世界侵略。
俺は非現実的な、まるで物語の中の様な、異世界冒険を繰り広げて来たのだ。今更驚く事もないだろう。
「あなたが“この世界の神”ですね」
俺は自分の中に薄っすらと在った答えを述べる。
「素晴らしいわ、大正解。そう、わたしが“神ラプリエル”よ。まずは弟を、ラプラスを――あなた達に分かりやすく言うなら、メカクシを、倒してくれてありがとう」
あの世界の侵略者、邪神ラプラス。
かつて龍族と争い、そして魔王を産み堕とし、大災厄を引き起こし、そして復活を果たし、俺たちに討たれた外世界の神。
そして、その遺恨で在ったシモンの身体に残されていた黒い泥も消え去り、もうこの世にあの神は存在しえない。
「それは、俺たちも自分たちの世界を滅茶苦茶にされる訳にはいかないんで、むしろ礼を言うのはこっちです。魔導書のサポートが無ければ、勝つ事は出来なかったでしょう」
エルと“ずっと一緒”に生きると誓ったのだ。
その舞台であるこの世界を壊されては、元も子もない。
そう言って軽く頭を下げる俺に対して、神エルは少し不快気な表情を見せた。
しかしそれも一瞬の事、気のせいかと思う程すぐに元の穏やかな表情へと戻っていた。
「――というか、弟、だったんですね」
「ええ。人間の様な血縁では無いのだけれど、わたしたちは同じ“未来を見通す”という概念から産まれた神よ。だからあの子は弟神なの」
「そう、だったんですね」
“未来を見通す”という概念。
つまり、そこから産まれた真実の目という権能、という訳だ。
神ラプラスがこの神ラプリエルの世界の侵略を企てたのにも、その姉弟関係に由来していたのかもしれない。
「そうね。昔話でもしましょうか――」
そう言って、神ラプリエルは語り始める。
「あなたたちの読んだ『勇者アルの冒険』その物語の始まる前の事よ。あの時は本当に大変だったの。ラプラスの落とし子――つまりは魔王ね、その魔王を討つ為に何人もの勇者が挑んで、そして敗れて行ったわ。流石にこのままではまずいと思って、わたし自身が神格を人の身に堕として、世界の内側から事の解決に当たろうとしたの」
そう神ラプリエルが語り始めると、その話の内容に合わせて辺りの景色が一変して行く。
まるで紙芝居の様に、本のページを捲る様に。
その記録をなぞって行く。
「その、人の身に堕とす必要は有ったんですか? 今みたいに神様のままなら、あんなの簡単に倒せそうですけど」
「神様って意外と自由でも万能でもないのよ。本当は神は世界に直接干渉してはならないってルールがあるの。だからね、本来であれば戦争が起ころうと、災害が起きようと、その結果に神は関与しないわ。――ゲームに例えると解りやすいかしら? ゲームマスターが途中で外から好き放題干渉して来たら、そのゲームは破綻してしまうでしょう? でも、ラプラスは外世界の神であり、侵略者。そのルールを破っていたって訳」
なるほど。あくまで神様は世界の観察と管理が仕事であり、そこに干渉しては正しい歴史を歩めなくなる、という事らしい。
「だからわたしは人として、魔女エルとして、勇者一行のパーティに加わったわ。そして、共に冒険し、同じ時間を長く過ごしたわたしは、彼と恋に落ちたわ。神でありながら、人を愛してしまったの。そして、彼がその天寿を全うするまで、共に人として生き、そして『魔女エル』という存在もまた、人として死ぬ事を選んだ。それが彼と“共に生きる”という、わたしの選択よ」
かつての勇者と魔女の選んだ“共に生きる”という選択。
それは終着点の有る、儚くも美しい物語。
俺とエルの選んだ“ずっと一緒”という選択。
それは終わりの無い、永遠の物語。
似ている様で、正反対の未来を選んだアルとエル。
「そして、わたしたちの子孫は、生きた証は、今もこの世界で生きているわ。あなたも、もう気づいているでしょう? ――勇者の故郷、アルヴに住むエルフ族。あれはわたしたちの血を受け継いでいるわ。神の血を受け継ぐからこその強い魔力、という事ね」
そう言って、神ラプリエルは自分の耳を指先でちょいちょいと触って見せた。
ルールを犯し、他の神の世界を侵略してきた神。
そしてルールに則り、しかしその穴を掻い潜ってそれに抗い、自分の世界を護った神。
知らぬ間に神々の戦いに巻き込まれていたらしい。
「でも、ラプラスは何故そんな事を……?」
「ラプラスは自分の世界を滅ぼしてしまったのよ。それで、その穴を埋める為にわたしの世界を狙ってきた。一度目は龍族が返り討ちに、つまりはわたしの子たちだけで解決したわ。でも、それも殆ど相打ちみたいな物。ラプラスは世界のどこかに隠れ潜み、その間もじわじわと世界を蝕んでいたわ。そしてわたしが降り立った時代には、落とし子である魔王にすら対抗できる者は残っていなかったわ」
「では、どうして今回あなたは出て来なかったんですか? 今回のラプラス復活の際にも、同じ様にまた『魔女エル』として――」
「いいえ。『魔女エル』はもう亡くなったのよ。アルと共に冒険し、魔王を倒し、そして二人は結ばれ、愛し合い、その命が尽きる最後のその時まで、幸せに暮らしたの。そういう終わりなの」
神ラプリエルはどこか遠い目をしながらも、それでも大切な物を抱きしめる様に、その瞳はまるで恋する乙女の様に純粋な物だった。
「言いたい事は分かるわ。『魔女エル』は死しても、神であるわたしは存在し続けている。同じ様にする事も出来たのでしょうけれど、さっきも言った様に、やっぱり内側からの干渉はグレーゾーンなの。何度もやっていると他のもっと偉い神様に咎められる可能性が有ったわ。それが一つ」
神ラプリエルは一つ指を立てる。
そして、もう一本。
「そしてもう一つ。わたし自身、『魔女エル』以外の何者かとしてこの地にまた降り立つ事に抵抗が有ったのよ。神のくせに、感傷に浸るっていうのもおかしいかもしれないけれど……でも、『魔女エル』は既に死んでいる、だからわたしが再び『魔女エル』としてこの地に降り立つ事は出来ないの。――わたしは、彼と生きた『魔女エル』としての思い出を上書きしたく無かったのよ。あれが最初で最後。わたしの胸の内で輝く、綺麗な思い出なの」
そう言って、神ラプリエルは立てた二本の指をもう片方の手で包み、そっと胸に抱いた。
神のくせにだなんて、そんな事が有るものか。
好きな人との思い出を大切にするというその気持ちは、間違いなく綺麗な物だ。
最も重要な、尊重されるべき人の気持ちだ。
「いいえ、おかしくなんて……。とても、素敵だと思います」
「ふふっ。ありがとう」
そして、気付けば辺りの景色は元の丘の上の大樹の根本へと戻っていた。
つまり、神ラプリエルの思い出を巡る記憶の旅は終わったのだろう。
「わざわざ会いに来てくれて、いろいろ教えてくれて、ありがとうございました」
話が終わったと思い、俺は改めて礼を述べる。しかし、
「何を言ってるの。本題はここからよ」
「本題……?」
神ラプリエルはふっと一笑し、その長い髪を掻き上げる。そして――、
「――君の中にある、ユウリの魂の一部を、返してはくれないかしら?」
「……は? ユウリって、一体……?」
一瞬、思考が停止した。
神ラプリエルが言っている事の意味を理解が出来なかった。
いや、理解する事を頭が拒んだ。
「分かるでしょう? あの子よ。あなたが縛り付けている、今はエルと名乗っている子よ」
ユウリ――つまりはエルの魂。それは確かに俺の中に有る。
あの森の中で、最初に出会った時――『死者蘇生』と同時に流れ込んで来たエルの魂一部、エルの旦那様。
それは確かにずっと俺の中に有る。
しかし、あの話の流れから、どうしてそういう話になるのか。
「わたしはね、ユウリをこの世界から連れ出そうと思っているのよ。あの子の力はこの狭い箱庭に留めておくには強すぎるわ。だからね、あの子の魂を一つに戻して、神格を与える事で、この世界から解き放ってあげようと思うのよ」
「いや、えっと、神格……? エルを神にするって事? でも、エルに魂を返すと、俺はどうなるんだ?」
確かにエルは既に神をも殺す程の力を有している。
明らかにあの世界において、一人だけ異質で強大な神の如き力を持っている。
人の命すらも意のままとする『永遠』、そして『死者蘇生』――まさしく神に相応しい大魔法の数々。
しかし、だからと言って、本当に文字通り神様にしてしまおうだなんて……。
「きっと、魔法の力を失うわ。そして、もしかすると、最悪の場合『死者蘇生』の魔法が逆転して、命を失うでしょうね。さらに言えば、あなたのそのユウリに対する愛情も元を辿ればその魂由来の物よ。魂を返せば、案外綺麗さっぱり忘れられるんじゃないかしら?」
いきなり過ぎる。エルを神にする? その代わりに俺が死ぬ? 何を言っているんだ。
それに、忘れられる訳が無いだろう、エルは今の俺の全てだ。
始まりは歪な関係だったかもしれない。それでも、もう何年連れ添ったと思っているんだ。
元がどうだろうと、これまで積み重ねて来た物があまりに大きすぎる。
俺のエルに対する感情は、紛れも無い本物だ。
「――俺は、エルと“ずっと一緒”に居るって、『永遠』の愛を誓ったんだ。それは出来ない。それに、エルだってそれを望んではいないはずだ」
「ええ、そうでしょうね。あの子はあなたに依存している、してしまっているわ。でも、それはあの子の世界が、見聞が狭いからよ。この窮屈な世界の中で、あの子程の存在が永遠に生き続けるというのは、あまりに酷だと思わないかしら? わたしの愛する子ですもの、ユウリには幸せになって貰いたいのよ」
彼女は神として、そしてこの世界に生きる人々全ての母として、エルの幸せを思っている。その思いに嘘偽りは無いだろう。
それは実際に血縁の有るエルフ族だから、というのもあるのだろうし、姿のよく似たエルに自分を重ね合わせているのかもしれない。
でも――、
「その理屈だと、俺の幸せも望んではくれませんか」
俺だってこの世界で暮らす人間の内の一人だ、少しの温情が有っても良いんじゃないだろうか。
「あなた、さっきもそうだったけれど、何か勘違いをしていないかしら? ――まるで、自分もわたしの世界の住人みたいな口ぶりね」
「? ……どういう事ですか」
「だってあなた、外世界の人間よ。わたしの子じゃないわ」
「――ああ」
神ラプリエルの言葉に衝撃を受けたが、しかしそれは紛れもない事実だ。
その言葉はすっと、自然に嚥下することが出来た。
「理解出来たかしら? “異世界人さん”」
どうして、俺は自分がこの世界の人間だと、錯覚していたのだろうか。
きっと欠落した記憶、そしてこの世界で過ごした長い時間、新たに積み重ねた思い出が、そう思い込ませてしまったのだろう。
そうだ、本来の俺は異世界人だ。
神ラプリエルにとっては、俺もあのラプラスも同じ物。それらに違いは無い。
俺たちは、この世界にとっての異分子なのだ。
でも、だからと言って、はいそうですかと引き下がる事は出来ない。
俺はエルと“ずっと一緒”に、これからも生きて行くのだから。
一つ大きく息を吸い、波打つ心を落ち着ける。
そして――、
「――でも、俺もエルには幸せになって欲しいんですよ」
「そう。なら、魂をユウリに返してあげてちょうだい。あの子を解放してあげてちょうだい」
「“ユウリ”じゃありません。今の彼女は“エル”――俺の大切な、愛する一人の女性です」
「それはあなたがユウリを縛り付ける為の、偽りの名よ。あの子が“エル”である内は、幸せになんてなれないわ」
「いいえ。俺がエルを幸せにするんです。幸せに笑うエルの隣には、きっと俺が居るんです。だから――」
娘の幸せを願い、娘をどこの馬の骨とも知れぬ男に渡すまいとする神ラプリエル。
そういうのは普通父親の役割だろう、と思うのだが、この神様がそういうなら仕方がない。
それならば、俺はこう言うべきだろう。
「――『お義母さん、娘さんを僕に下さい』」
「――『なら、わたしを越えて行きなさい』」
俺は『炎』を、神は『結晶』を、その手に――。
これは、後に新たな神の隣に並ぶ、元異世界人、真白侑利の物語。
作品が少しでも面白いなと思って貰えたら、画面を下にスクロールして、ブクマや評価で応援して頂けると、今後の執筆の励みになります!




