シモン・クリムゾン
教会の中には、俺とシモンだけが残された。
図らずとも、最初に俺がしようと思っていた単独潜入と同じ状況だ。
「――簡単に行かせてくれるんだな」
「ええ。まさか、私の術が効かないとは――。旅の方だと伺ったはずなのですが、おかしいですね」
シモンは何が面白いのか、口角を上げ、嘯く。
「旅の者っていうのは、あながち嘘でも無いんだが……。まあ、それでも道に迷ったっていうのは嘘だな」
そう言って、俺は『空間』から真紅の石を取り出し、シモンの前に見せる。
麻紐に吊るされたそれを見たシモンは、上げた口角をそのままに、ふんと鼻で笑う。
「……何故お前がそれを持っている」
そして、纏う雰囲気ががらりと変わる。
「全身を黒く染めた男から貰った」
あの異形化してしまった、黒泥病患者。
きっと、彼はSOSを発していたのだ。この真紅の石を俺たちに託すことで、このシモンの凶行を止めて欲しかったのだ。
「ああ、また一人泥に呑まれたのか。しかし、それは信仰に背いた者共への神からの罰だよ、当然だろう?」
そう言って、シモンは懐から同じ真紅の石を幾つも取り出し、手のひらの上から溢れ落ちた真紅の石が地面に落ち、カツンと甲高い音を鳴らす。
そして、コロコロと転がった真紅の石からは、あの“黒い泥”がぐねぐねと這い出して来て、地面の上で歪に蠢いていた。
真紅の石は空の魔石だった。
では、空になる前にその中に有った物。――それこそが、黒い泥だった。
シモンは自身のその精神を支配する魔法を用いて、人々を洗脳する事でラプラス教の信者を増やし、そしてその信者たちに黒い泥を含んだ魔石を与えていた。
そして、メカクシ――神ラプラスの死後。
やがてその支配による洗脳は解かれて行き、信者たちは離散して行った。
残された魔石からはメカクシのコントロールを離れた黒い泥が溢れ出し、そして黒い泥は次第に信者たちの身体や心を蝕んで行き、やがて――、
精神を侵された者は、心の闇を増幅させる。その膨れ上がった心の闇は、もはや当人には制御出来ない。周りの物を傷つけ、やがて自身をも傷つける。
身体を侵された者は、黒泥病にかかり、身体はかつての異形の変異種の様に変質して行き、そして泥の様に溶けて行き、やがて死に至る。
それこそが、シモンの言うところの“罰”なのだろう。
俺はその気持ちの悪い様子を見て、自然と顔をしかめた。
しかし、それも一瞬の事。
「――罰、ね……」
俺はすぐに取り繕い、シモンの言をふんと鼻で笑い一蹴する。
「――何が可笑しい?」
シモンはもう、最初の優しく穏やかな神父の仮面を完全に捨て去っている。
不快さを隠そうともせず、俺を睨みつける。
シモンは胸の内で沸々と煮えたぎる怒りを隠そうとしているが、その熱は溢れ、言葉の端々を震わせる。
「いいや。それは本当に罰なのかなって、思っただけさ。その罰って言うのも、与える神がもう居ないなら、存在しえないだろう?」
「――何が、言いたい」
シモンはもう、俺の言わんとする事が何なのか、それに気付いているだろう。
いや、もしかすると最初から分かっていて、それでいて目を逸らしていたのかもしれない。
だからこそ、俺がその目を覚まさせてやろう。現実を直視させてやろう。
もうこれ以上、黒い泥の被害を増やさない為に。
「お前の信じる神は、もう死んだよ」
俺は、冷たくそう言い放つ。
無情に、その事実を突き付ける。
「――嘘だ。――嘘だ、噓だ……噓だ! 嘘だ!! 噓だ!!!」
シモンは激昂する。
煮えたぎる怒りは、抑えられなくなり、そして溢れ出す。
頭では理解していても、心は否定する。現実を受け止められない。
だからこそ、口では嘘だと否定する。
感情を昂らせて、握りしめた真紅の石たちを、感情のままに床へと叩き付ける。
叩きつけられた石たちは砕け散り、赤い欠片が飛沫を上げる。
蠢く泥が、地を這う。
「お前が! お前たちが! 我が神を――!!」
シモンは眼帯を外し、投げ捨てる。
そこには、異形の黒い泥。眼球の代わりに、その穴には蠢く泥の塊が詰め込まれていた。
それはラプラスの寵愛。それは神の力の一端。
「ああ。殺した」
ラプラスがこの世界を脅かす悪だなんて、彼に言っても、きっと伝わらないだろう。
彼もまた、被害者なのだ。ラプラスという邪心に魅入られてしまい、己が人生を歪めてしまった、被害者だ。
それでも、心の底から信じているのだろう。
だから、俺も多くは語らない。説明も、弁明も、言い訳もしない。
ただ、ここでこの負の連鎖を終わらせる。邪神による世界侵略、その物語はここで終わらせる。
床を蠢く黒い泥の群れが、シモンの足を這い上がり、そして眼帯を中心として、その半身を漆黒で埋め尽くす。
かつて神ラプラスがエルと対峙した時と同じ様に、黒い泥の鎧をその身に纏う。
しかし、それも不完全な物。神ラプラスには程遠い、劣化版。借り物の力。
それは、俺も同じだ。
俺の魔法も、元はエルの魂の一端、そこから借り受けた劣化版だ。
借り物同士、劣化版同士、良いじゃないか。
「貴様にも、罰を――!」
シモンは指先をこちらへ向け、『赤い稲妻』を放つ。
「――『ファイアボール』『形状変化』」
俺は炎球を作り出し、その炎球は形を変え、その身に纏う。
シモンの黒い泥の鎧に対して、俺の鎧は浄化の炎。
旧王都を吹き飛ばした程の業火を圧縮して、鎧とする。
――泥と炎が、対峙する。
俺は炎を纏った腕でその稲妻を弾き、弾かれた稲妻の軌道は指向性を失い、教会の天井を穿つ。
ぱらぱらと屋根だった物が崩れ落ち、天井の穴からは夜空を覗かせる。
―――
同時刻。
エルとエレナは教会の外から、屋根を貫く赤い稲妻を外から見ていた。
「悪いね、結局足手まといになってしまった」
船酔いしたみたいに気持ちの悪い感覚がまだ抜けきらないエレナは、太い樹の木陰に腰を下ろしていた。
「いえ。大丈夫ですよ。それよりも、エレナさんの体調は大丈夫ですか?」
「まだ少し気持ち悪いが、問題ないよ。アルさんの加勢に行ってあげてくれ」
エレナは気丈にそう振舞うが、やはりまだ少ししんどそうだし、一人にしておくのは危険だろう。
仮にもエルたちはエレナの護衛を請け負ったのだ、放置しておく訳にはいかない。
「いいえ、わたしはエレナさんの護衛をさせてもらいます」
「でも――」
「アルさんは強いですから、心配は要りませんよ」
そう言って、エルはエレナの隣にゆっくりと腰を下ろした。
心配していないと言えば嘘になる。
それこそ最初は一緒に行動しようと提案する程に、エルは過保護と言える程にアルの事を思っていた。
しかし、今エレナを一人にする訳にも、ましてやあのシモンの居る所へ近づける訳にもいかない。
あのシモンという男がどういう力を持っているのかなんて知らない。
それでも、あれが神ラプラスに匹敵する相手だとはとても思えない。
アルはエルに並ぶ程の魔法使いだ。
そんなアルが、あの程度の相手に負けるはずがないだろう。
エルはそう自分に言い聞かせて、アルを信じて待つという選択をした。
(待ってますよ、アルさん)
夜空を見上げれば、ぶつかり合う炎と稲妻。
その軌跡が瞬く星々を掻き消す様に、夜空のキャンバスを彩っていた。
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