ラプラス
ぽつん、ぽつんと血の雫が垂れて行く。
そして、その雫の粒がグリムの泥となってしまった黒い肌に触れた瞬間、そこからだんだんと波紋の様に広がって行き、グリムの黒い肌が白く変化して行く。
波紋はだんだんと広がって行き、やがてそれが全身にまで広がると、グリムの黒い泥の肌は跡形も無くなっていた。
そこにはもう黒泥病に侵され泥の様に眠っていたグリムの姿は無く、代わりに兄のライトに似た茶色い髪の青年が横たわっていた。
「ん……。兄、さん……?」
そして、人間の姿に戻ったグリムが目を覚ました。
「おお……! グリム……グリム!」
ライトは涙ぐみ、歓喜の声と共にグリムへと抱き着く。
「ああ……、兄さん! 兄さん! 喋れる……それに、動けるよ!」
グリムは手を閉じたり開いたりして、人間の身体の実感を噛み締める。
そして、起き上がったグリムとライトは抱き合い、喜びを分かち合っていた。
そんな暖かい兄弟の様子を、俺たちは見守っていた。
「本当に、成功しちゃいましたね……」
エルも感嘆の声を洩らす。
呪いを別の呪いで打ち消すという、エレナによる大胆な発想が、本当に黒泥病を治してしまった。
「ああ。私も思い付きだったが、上手く行って良かったよ。なんだか“あの時”を思い出すね」
「確かに、あの時もこんな感じで思い付きが始まりだっけ」
エレナの言う“あの時”とは、俺たちが出会ったばかりに頃、俺の「真実の目は二つ有るのではないか?」という思い付きから始まり、そして夢の中で龍と出会った、あの頃の懐かしい思い出の話だ。
そして、数十分程経ち、グリムも落ち着いた頃。
グリムは元に戻ったばかりでまだ激しい運動なんかは出来ないが、それでも立って歩くことも出来るし、普通に話すことも出来る様になっていた。
ズズ四世はライトから謝礼として大量の金貨を貰い、ホクホク顔だ。
「ズズさんも、いきなりだったのに来てもらってありがとうございました」
俺はそんな満足気なズズ四世にも、改めて礼を言う。
「なあに、困ったときはお互い様じゃよ」
なんて調子の良い事を言っているが、金貨の詰まった袋を両腕に抱きかかえていては、あまり説得力がない。
しかし、まあ実際助かったのは事実なので良しとしよう。
そして、俺たちはグリムに話を聞いて行く事にした。
「病み上がりで申し訳ないですが、少しお話を伺っても良いですか?」
「ええ、勿論です。皆様は僕の命の恩人ですから、知っている事なら何でもお答えします」
俺は『空間』に仕舞ってあった真紅の石を取り出して、グリムへと見せた。
「これに心当たりは無いですか?」
「――ええ、心当たりどころか、その石については良く知っています」
グリムは頷き、そして枕元の引き出しから、同じ真紅の石を取り出して、見せてくれた。
「やはり、あなたもそれを……」
「この紋章は僕が一時期嵌ってしまっていた宗教の物です。その宗教の名を、ラプラス教と言います」
ラプラス教――グリムの口から語られたその宗教。
それがおそらく、この黒い泥にまつわる事件の大元なのだろう。
「お前……そんな物に傾倒していたのか」
ライトが半ば呆れた様な声を洩らす。
「ごめんよ、兄さん。将来への不安から、藁にも縋る思いで、つい手を出してしまったんだ……」
グリムは俯きがちに、ライトに答える。
ライトはそんな物と言うが、誰にだってそういう事はあるだろう。
不安、嫉妬、孤独、恐怖、絶望――そう言った感情が、人を何かに縋らせる。
人のの逃避の感情が、神に救いを求める。
弱い人間にしか、分からない事もある。
きっと、そんな強い人間であるライトに対して、グリムは相談する事も出来なかったのだろう。
自分の不安を打ち明けられなかったのだろう。
俺だって、一度はその逃避の道を選んだ人間だ。気持ちはよく分かる。
そんなことを考えていると、エルがそっと俺の手を握る。
エルの顔を見れば、ふっと優しい微笑みを浮かべていた。
その暖かさに安心感を覚え、俺もその手を握り返す。
エルは俺の心を読んだのだろうか――いや、わざわざ読まずとも、もう長い付き合いだ。
俺の心の内なんて、魔法を使わなくても伝わってしまうのかもしれない。
「そのラプラス教について、詳しく教えて頂けますか?」
「――ラプラス教とは、神ラプラスを崇める新興宗教です。シモン・クリムゾンという男が教祖をしていて、信者には皆あの真紅の石が渡されていました。でも、ある時から急にラプラス様の事なんてどうでも良くなって、信者は皆離散して行きました。本当に唐突に、糸が切れたみたいに、興味がなくなったんです」
「そのある時って言うのは――」
やはり、グリムたち信者がそのラプラス教から足を洗ったタイミングは、メカクシが討たれた後のタイミングと殆ど一致していた。
であれば、おそらくそのラプラスという神とはメカクシの事だろう。
かつて龍に敗北したメカクシ――邪神ラプラスは、この東の大陸に身を潜めていて、いつからか新興宗教の神として崇められていたのだろう。
「しかし、ラプラスなんて神、聞いた事がないな。と言うより、この世界で他の神を信仰するなんて罰当たりな者が居たという事に驚きだよ」
エレナが呆れた様に、そんな事を言う。
しかし、俺にはいまいちピンと来ていなかった。
「この世界での宗教って、神様って、どういう物なの?」
そう、俺はこの世界における宗教観というのを全くと言って良いほど知らなかった。
一般的な多宗教であり無宗教な日本人らしく、頓着していなかったせいで、これまでこの異世界でもそれに触れて来なかった。
まあ俺にとって神が居るとすれば、それはまさに今隣にいる、俺に二度目の人生を授けてくれた、女神エルの事だろう。
エルが居なければ、今の俺は存在し得ないのだから。
しかし、俺の女神であるはずのエルは、
「アルさん、そんな事も知らなかったんですか?」
と、くすくすと笑っていた。
実際、俺は異世界人だからなんて言い訳出来ないほどの時間をこの世界で過ごして来た。
その癖、そういう一般常識であろうレベルの事を知らなかったのだ。
笑われても無理はないのだが、やや不服では有る。
「……興味が無かったんだよ」
俺は少し不貞腐れて、そう言い訳をした。
「そうだね、宗派によって多少の差異は有れど、この世界で神と言えば、指す存在はたった一つだ。新興宗教なんて物が産まれること自体、前代未聞だよ」
と、エレナが説明してくれた。
なるほど。この世界では西と東でも統一された、唯一神が居るらしい。
ブラウン兄弟は急にこの世界だとか変な会話を始めた俺たちを見て不思議そうにしているが、特段説明してやる必要もないので、ここは俺が世間知らずな愚か者という事にしておこう。
「その神様の名前は?」
「――女神『ラプリエル』様。それがこの世界を見守ってくれている、唯一の神の名だよ」
その後、グリムからラプラス教の拠点である教会の地図を描いてもらい、俺たちはそこを目指す事になった。
「ズズさん、アズール先生、それにアルさんとエルさんも……皆さん、本当にありがとうございました」
ブラウン兄弟は改めて頭を下げる。
「私たちも欲しかった情報は得られたからね、お互い様だよ」
「元気になって、本当に良かったです!」
「おかげさまで、わしもしばらく楽できそうじゃ」
と、三者三様だ。
そして、ブラウン邸を発ち、ズズ四世ともここでお別れとなった。
別れ際に「今度はエテル族の里にも遊びに来ておくれ」と言われたので、機会があればお邪魔しようと思う。
まあ、何処にあるのかも知らないが。
そして、俺とエル、そしてエレナの三人になった。
「エレナさんも、一緒に来るの?」
「当たり前だろう? 私の取材はここからが本番じゃないか」
「でも、きっと危ないですよ? それこそ、もしかすると戦いになる可能性も――」
神ラプラス――それはおそらく、メカクシの事だ。
であれば、もしかすると、万に一つの可能性としては、復活したメカクシとの戦闘になる場合も想定出来る。
そんな場所にエレナを連れて行くのは、流石に危険ではなかろうか。
「君らが、私の護衛をしてくれるんだろう? なら、何も心配はしていないよ」
エレナは本当に心の底から、露程の心配もしてないといった風だ。
「そう言えば、そんな話だったな」
まあ仕方ない。エレナがおとなしく引き下がるとも思えないし、全力でフォローすれば良いだけの事だ。
それに、前回メカクシを倒した時は、俺は勇者の剣を取りに過去へと飛んでいたから、実質的にメカクシを倒したのは、エルたった一人だったのだ。
しかし、今回は俺も居るし、二人とも前回よりも魔法の腕を上げ、強くなっている。
二対一なら相手が神だろうと何だろうと、負けるはずもない。
と言っても、何も無い可能性の方が高いのだから、大抵は取り越し苦労だろう。
メカクシは――神ラプラスは、死んでいるのだから。
「それでは、その教会へ向かいましょうか」
そんなエルの音頭を合図に、俺たちは山奥にあるという、そのラプラス教の教会へと向かった。
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