ブラウン兄弟
俺たちは帝都の商業街を離れ、そことは少し外れた所に有る住宅街、そこで一際目立つ大きな家を訪れていた。
勿論、黒泥病の患者に会う為だ。
「ごめんくださーい! アズールです!」
エレナがカンカンと扉の呼び金を叩き、扉に向かって声を張る。
アズールとはエレナの家名だ、本名はエレナ・アズールと言うらしい。
程なくして、中からどたどたと音が聞こえて来て、そして一人の男が扉を開けて、出迎えてくれた。
茶色のパーマがかった短髪の、物腰柔らかな長身の男性。
30代前半くらいだろうか。
その歳で帝都にこの大きさの家を持てるという事は、それなりに良い家の出身なのかもしれない。
「お待ちしておりました、アズール先生。お話は伺っております」
実際大人気の作家先生なので何も間違いは無いのだが、俺たちからするとエレナが先生と呼ばれているのは何だか新鮮だ。
「ああ、ブラウンさん、大変な所悪いね」
エレナはいつもの調子で言葉を返す。
「いえ、遠方からご苦労様です。――それで、そちらの方々は?」
「ああ、すまない。紹介が遅れたね。こちらは私の友人たちで――」
俺はエレナから受け取った言葉のバトンを繋ぐ。
「アルと申します。それで、こっちが妻の――」
「エルです。よろしくお願いします」
エルも続いて言葉を繋ぐ。
「僕はライト・ブラウンです。以後お見知りおきを」
ライトはその長身を折り、丁寧にお辞儀をして見せた。
「二人は私の小説に出て来る、勇者と魔女のモデルとなった本人たちだ。きっと、弟さんの病についても、何か役に立ってくれるはずさ」
エレナが追加で俺たちの素性を明かすが、そう紹介されると少し気恥ずかしい。
しかしなるほど、どうやら黒泥病の患者はこのライトの弟さんらしい。
「ああ、勿論僕も読ませて貰いました。大変面白く、すぐに読み終えてしまいました。しかしなるほど、それでご一緒に西から来て頂いたんですね」
「ありがとう、楽しんで貰えて何よりだ。けど、そういう訳でも無いんだ。実は二人とはさっき偶々再会したばかりでね」
エレナは謙遜する事無く、堂々とその賛辞の言葉を受け取る。
「はぁ……」
ライトは「どういう事だろう」と心底不思議そうにしている。
まあそうだろう。西の大陸から来た知り合い同士の三人ならば、一緒に来たと考えるのが自然だ。
しかし、実際には本当に偶然帝都で再会を果たしたのだ。
「ともかく、そういう事でしたら歓迎します。さあ、皆さま中へ」
ライトは腕を広げて、俺たちを促す。
「ああ、お邪魔するよ」
俺たちはエレナを先頭にして、ライトに促されるまま、ブラウン邸の玄関扉を潜った。
案内された一室。
そこのベッドには男が一人、横たわっていた。
「グリム、お客様が来たよ」
ライトはそう言って、ベッドの傍の椅子に座る。
グリムと呼ばれた“それ”の様相は、あの時見た黒い男と酷似していた。
しかし、あの黒い男はここまで酷い有様では無かった。
グリムは全身が黒く染まっているだけではなく、皮膚の一部がドロドロの液状に溶けていて、ベッドの白いシーツには染みが出来ていた。
ひゅーひゅーという浅い呼吸音は聞こえてくるが、喋る事も、立ち上がる事も無い。
文字通り泥の様に眠る、ライトの弟、グリム。
「これは……話には聞いていたが、酷いな」
あまりの酷い光景に、エレナが顔をしかめる。
「ええ、これが黒泥病の症状です。最初はこれも身体の一部で、グリムも何ともない様子でした。ですが、それが広がって行くに連れて次第に立てなくなり、話せなくなり、そして今の状態です」
ライトは浅い呼吸を繰り返すだけのグリムの方へ視線を落としながら、噛み締める様に経緯を語る。
「……あの、グリムさんに『治癒』の魔法をかけてみても、いいでしょうか?」
エルがおずおずと、小さく挙手をする。
この黒泥病がどういった物なのかは分からないが、怪我や病気の類なら『治癒』の魔法で治る可能性も有る。
試してみる価値くらいは有るはずだ。
しかし、
「いいえ。お気持ちは有りがたいが、それは止めて頂きたい」
ライトにはすぐに拒否されてしまった。
何故だろう、と思っていると、すぐにその口から理由を述べてくれた。
「以前にも別の魔法使いの方にお願いしたことが有るのですが、それは無駄に終わりました」
「でも、エルなら、もしかすると――」
「いいえ、腕の問題では有りませんでした。黒泥病に対して『治癒』の魔法は、悪手なのです」
俺が食い下がろうとするが、ライトはやはりそれを頑なに拒む。
「どういう事だい?」
エレナも気になったのか、口を挟んだ。
「以前グリムに『治癒』の魔法をかけて貰った際、期待していた物とは真逆の効果が現れました。つまり、症状が進行してしまったのです。ですから、他の方法を模索している最中でして……」
ライトの口から語られた事実は、意外な物だった。
魔法が信用できないとかそういう類の話しでは無く、意味がない、言葉通り無駄に終わるのだ。
全く効果が無いどころか、その逆。ただ黒泥病の症状を進行させてしまう。
「なるほど、そういう事ですか」
しかし、エルは得心がいった様だ。
「エルには、何か分かったの?」
「はい。『治癒』の魔法は細胞を活性化させて傷を治し、病を治します。ですが、その魔法で症状が進行するという事は、きっと黒泥病はその細胞の動きが逆効果なのでしょう」
「つまり、生きているだけでどんどん死に近づいて行く病気――いや、呪いか」
「はい。そうだと思います」
「それでは、やはりグリムは……」
ライトは顔を伏せ、がっくりと肩を落とす。
そんな悪趣味な呪いをかける様な人物、それは一人しか居ないだろう。
俺の頭にはやはりあの目に包帯を巻いた少年の顔が思い浮かぶ。
完全にお手上げと言った様子の三人に対して、エレナは口元に手を当てたまま、考え込んでいた。
「……アズール先生にも、解決の糸口は見えないでしょうか」
そんなエレナの様子を見て、ライトは藁にも縋る様に、期待と諦めがない交ぜになった眼差しを向ける。
「――かもしれない」
考え込んでいたエレナが、重い口を開く。
「え?」
「もしかすると、治療する方法が在るかも知れない」
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