本と創作の国⑦
結局、俺たちは何も分からず手詰まりになり、その日の会はお開きとなった。
その日の晩はエレナの家に泊めてもらい、夕食もご馳走になった。
そして、「エルさん、よかったらこれ使ってよ」というエレナの計らいで、エルは新しいローブを貰った。
エレナの御下がりらしいのだが、落ち着いたデザインでエルにもよく似合っている。
この国の中では『認識阻害』の必要は無いが、『空間』に仕舞っている荷物を取り出せず困っていたので、新しいローブはありがたかった。
例の古い魔導書は「私が持っているよりは、何か分かるかもだから」という理由から、今はエルが所持している。
今もベッドの上でゴロゴロしながら、その古い魔導書のページを捲ってみたり、上下逆さにしてみたり、うんうんと唸りながら趣向を凝らしていた。
「アルさん、左目ってどんな人が持っていると思います?」
明日に備えてもう布団に入ろうかという頃。
ベッドの上に転がっていたエルから、唐突にそんな質問が飛んできた。
「人?龍じゃなくて?」
真実の目を持っているのは龍だ。
だから「真実の左目を持つ龍はどこに居るか」なら分かるが、「どんな人が持っているか」という問いになるのはよく分からなかった。
「あー、まあ、どちらでも、です」
エルはそんな歯切れの悪い返事をする。
「うーん……。龍の峡谷にもう一匹別の龍が居る、とか?」
「ふふっ、二匹も居るなら、物語でそう描かれていそうですけどね」
俺が思いついた事を適当に口に出すも、エルに一蹴されてしまった。
まあ、俺も本当に龍が二匹も居るなんて思ってはいない。
それに、そもそも「目なんだから二個あるだろう」というのは、俺の中に謎めいた確信があるだけの、ただの思い付きだ。
こういうのを天啓が降りてきたと言うのかもしれないが、実際にはただの妄想かもしれない。
「まあ、本当に左側の真実の目が存在しているのかも分からないしね」
「いいえ、有りますよ。――きっと」
エルはこの時だけは何故か確信めいた物言いをした。
俺と同じ様に、彼女の胸中でもそう思わせる謎めいた確信が有るのだろうか。
そんな無駄話を挟みつつ、俺たちはアルヴでの夜を過ごし、程なくして訪れた微睡に身を任せるのだった。
そして――、
「――」
――誰かが、語りかけてくる。
しかし、正確には音として言葉が発されている訳では無い。
耳にではなく、心へと語りかけられているという事を、自然と理解した。
この感覚には覚えがある。
俺はそれに誘われるまま、目を開ける。
左目は瑠璃色、右目は紫紺。
美しい純白の鱗と、大きな翼。
目の前に佇む、圧倒的存在感を放つ巨躯。
デジャヴすら感じさせるこの状況。
見間違うはずがない。
眼前には、あの龍の峡谷で出会った龍の姿が有った。
状況から、ここはあの時と同じ様に夢の世界という事だとすぐに理解した。
しかし、以前とは状況が違った点が幾つか有る。
一つ目、それは龍の目だ。
以前は真紅に輝いていた右目――真実の目。
それが今は見ていると吸い込まれる様な、澄んだ紫紺の瞳に変わっていた。
――俺は、この色を知っている。
二つ目、以前この夢の世界へ来たときは、物語の中の龍の峡谷を思い起こさせる様な、自然豊かな洞窟の様な景色だった。
しかし、今眼前に広がる光景はそれとは違っていた。
“崩壊”――この光景を表すならば、その二文字が表現として適切だろうか。
確かにあの洞窟の面影は残っている。
しかし、地は裂け、崩れた壁面の岩が宙を浮き、静かに崩壊の一途を辿っていた。
そして三つ目、俺は左隣へと視線を移す。
「エル――」
そこには峡谷の時にはそこへ居なかった、エルの姿が有った。
あの時にこの龍の夢の世界へ招待されたのは俺一人だったが、今回は彼女も一緒に来られたようだ。
しかし、エルの様子はいつもと違っていた。
こちらをゆっくりと振り向いたエル。
その右目はいつもの見慣れた紫紺――ではなく、真紅。
真紅の右目、それは龍の持っていたはずの“真実の目”だ。
エルは俺の視線から、俺がその目の色の変化に気付いた事を察すると、ばつの悪そうに笑って見せた。
そんなエルの反応を見て、彼女もまたあの龍の峡谷での夜に、俺と同じく龍に出会っていたのだと理解した。
そして、正面の龍の右目は紫紺。
隣のエルの右目は真紅。
龍とエルの瞳の色が入れ替わっている。
この事からも、エルが龍の峡谷で真実の目を得ていたのだと、継承したのだと、察する事が出来た。
エルが隠し事をするのなんて、出会った時からずっとそうだ。
惚れた弱みというやつなのだろうか。
今更それを咎める気なんて少しも湧いて来なかった。
俺は「気にするな」の意味を込めて、エルへ微笑みを返し、手を握る。
それに、俺だけが龍に夢の世界へ呼ばれて、一緒に居たエルが呼ばれなかったというのはおかしな話だった。
俺よりもエルの方が相応しい。
魔法の腕前だけでなく、全てにおいて、真実の目に相応しいのは俺では無いと、そう思っていた。
そんな思いから、真実の目そのものをエルが継承していた事に、どこか納得している自分が居た。
そして、改めて龍の方へ向き直る。
左は瑠璃色、右は紫紺。
真実の目を失っても、その輝く二色の宝玉は美しい。
右目の紫紺はエルの色だ。
では、左目の海の様に深い瑠璃色は誰の物だろうか。
よく見ると、龍の表皮もボロボロと崩れ落ち、その周囲の崩壊は龍の身体にも同じ様に起こっている様だった。
いや、この崩壊の発生源こそが龍なのだろう。
今、龍は天寿を全うしようとしている。
そして、龍の精神世界たるこの夢の世界も、それを追う様に、崩れ去り、消え行くのだ。
俺たちが再びこの夢の世界へ招待されたのは、きっと龍からの最後の別れの挨拶のつもりだったのだろう。
「オオオォォォン――」
もう力が殆ど残っていないであろう龍の雄叫び。
その叫びで大気が震え、崩れ行く世界は更にその崩壊を進行させて行く。
最後の刻が迫る。
崩れ行く龍は、もう動かない。
「――」
そして、心へ語り掛けてくるその声も、峡谷で最後に聞いた龍の声と同じ様に、俺には何を言っているのか認識することが出来なかった。
あの時と同じ様に、視界はぼやけ始め、意識が遠のいて行くのを感じる。
夢から覚める時間だ。
俺はその手を離すまいと、繋いでいたエルの手を強く握る。
薄れ行く意識の中、視界の中で輝く、瑠璃色と、紫紺色。
――その瑠璃色にも、どこか見覚えがある気がした。




