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龍の峡谷⑨
彼は日本のごく普通の家庭で産まれた、ごく普通の人間だ。
両親にも愛され、少年時代を健やかに、不自由なく育ったと言っていいだろう。
そして成長し、大人となった彼は仕事の為に地元を離れ、上京した。
だがしかし、その後の人生はあまり順調とは言えなかった。
両親や友人たちと離れた一人暮らし。
仕事は上手くいかない。
人間関係のしがらみ。
そんな事による小さなストレスの積み重ね。
そんな疲弊した彼の心に生まれた隙。
それはほんの一瞬の気の迷い。
魔が差しただけだった。
しかし、気付けば身体は動いていた。
夜の闇に車体のヘッドライトの光が浮かび上がり、視界と思考を晦ます。
その光は鈍った彼の思考にとっての劇薬だ。
彼の身体はふらりと車道へと倒れ込み、そして――。




