妖精の里
――妖精は惑わせる。何度も何度も繰り返す。
それは児戯か、はたまた悪意か。
俺たちの家、魔女の森。
そこには迷いの魔法がかかっており、入った者は気づけば元の入口へと戻って来てしまう。
魔力の無い者は誰もその最奥部へと侵入する事は出来ない。
勿論、通常の人間よりも遥かに魔力の高い俺やエルの場合は例外だ。
その森を住処として利用しているし、身体を魔力で構成されている魔獣も例外的に侵入して来られる。
そして、アンナの起こした魔法の霧事件。
ゴーフ村で彼女の心象が産み出した、内部の者は外へと出られない霧。
空間を歪ませる霧。
この現象は、そのどちらでもない。
ここは俺たちの森では無いし、あの濃霧も出ていない。
この現象は、一体何なのだろうか。
―――
今回、俺たちはゴーフ村で畑にミステリーサークルを描くという珍事。
あの“魔力詰まり現象”を起こしていた地脈の源泉、“霊山”へとやって来た。
なんでも、この山には“妖精”が住むらしい。
そんな村人からの噂話を聞いて、
「アルさん! 妖精ですって! わたしも会ってみたいです!」
というエルの一言で、今日の目的は妖精なる珍獣探しとなったのだった。
『勇者アルの冒険』の物語にも妖精というキャラクターは登場していた。
彼女が興味を惹かれるのも当然の事だろう。
「あんたらなら大丈夫だと思うが、くれぐれも気を付けてくれよ? 真偽は定かじゃないが『妖精を探して山に入ったけど帰って来なかった』だとか『山から帰って来た奴がまるで別人みたいに頭がおかしくなった』なんて話も有る。それだからか、俺たち村の者もあの霊山には立ち入らないんだ」
その妖精の噂話をしてくれた村人は、そう最後に注意をしてくれた。
しかし、そんな事魔女様はお構いなしだ。
好奇心に胸を膨らませた彼女は、自身に魔法でも使っているのだろうか。
足元は舗装されている訳でも無く、ごつごつとした岩肌も見える獣道、その上登山には向かない軽装だと言うのに、なんのその。
その紫紺の瞳を輝かせながら、今にもスキップでもしそうな軽快な足取りで、まるで家族で動物園へと向かう子供の様に、とんとんと跳ねる様に山道を先導して行く。
「妖精って、どんな子達なんでしょうね?」
「本の中だと、どんな感じだっけ」
「えっと、確か――」
そんな風に話を転がしていると、ふわりと視界の中で“何か”が舞う。
小鳥程の大きさのそれは、銀色の光の粒子の尾びれを引きながら、瞬く間に視界の端へと流れて行った。
「アルさん、あれって!」
「ちょ、待って待って」
エルはぱっと表情を弾けさせ、その影を追って山の更に奥へと進んで行く。
俺も急いでその後を追って、地を蹴った。
程なくして、前を走っていたエルが足を止めた。
辺りには生い茂る木々、倒木や岩。
しかし、その場の足元は比較的平らで、少し開けている。
そんな少し開けた空間に、小鳥程の大きさの小さな影が“二つ”有った。
「くすくす。おきゃくさまー」
「くすくす。いらっしゃい、たびのひと」
薄く光を透かす銀色の羽、青と緑の混ざった髪色、笑った口角と同じ様に吊り上がった怪しく光る眼。
その眼球は人間の物とは違い黒目が無く生気を感じさせない様な、どこを見ているのか分からない不気味さがある。
そして、人型をしてはいるが、その大きさは片手で掴めるくらいの、小鳥程の大きさだ。
目の前のそれの外見は絵本で得た知識と合致する、妖精の姿そのものだ。
その二匹の妖精たちが、眼前でふわふわと浮遊しながら、俺たちに囁くように語り掛けてきた。
「わあ、やっぱり! 妖精さんです! あなたたちの噂を聞いて、探していたんですよ。こんにちはです」
エルはぽんと手の平を合わせ、紫紺の瞳輝かせながら、そんな妖精たちへと向けて挨拶をした。
「くすくす。さがしていたの? わたしたちを?」
「くすくす。おねえさん、おもしろいねー」
妖精たちは先程と同じ調子で、二人揃って怪しげに囁く。
エルはそんな妖精たちに対して興味深そうに、質問を投げかける。
「妖精さん。お二人のお名前は? あなたたちの他にも、仲間は居るんですか?」
「くすくす。なまえ? なかまー?」
「くすくす。おんなじ、おんなじだ、おもしろーい」
しかし、妖精たちはのらりくらりといった風に、質問に正面から答えてくれる事は無い。しかし、
「くすくす。ついてきてー」
「くすくす。こっちこっちー」
先程の問いへの回答替わりだろうか。
どうやら妖精の里へと案内してくれる様で、そう言ってひらりひらりと銀色の羽を羽ばたかせて、鱗粉の様な光の粒子の尾を引きながら、のんびりとした軌道で俺たちを誘って行く。
エルは静かに、ゆっくりと妖精たちの後を追って行く。
俺も風に靡くその美しい黒髪を追って、それに追従していった。
――道中、見慣れた植物が目に付いた。
「お、エル。見て見て」
「ああ。魔力草、ここにも生えてるんですね」
それは俺たちの家“魔女の森”にも生えていた、あの“謎草”だった。
元居た世界では見た事のない不思議な形をしている、シャキシャキとした食感が美味しいアレだ。
まだ俺たちが名前を持っていなかった頃、サラダにしたりして食べていた、懐かしの山菜的な植物だ。
そういえば、魔女の森の中以外ではこの謎草を見た記憶が無い。
「久しぶりに見たね、これ。もしかして珍しい?」
「そうですね。この山も地脈の魔力が流れていますから、そういった魔力の強い土地に生えてる事が多いみたいですよ」
そういえば、さっきエルはこの草の事を魔力草と言っていたな。
「……なあ、もしかしてこれって本来食材じゃくて、薬草みたいな物だった?」
「あ、気付きました? そうですよ。魔力回復の効果が有るので、魔女の作る薬の材料に使われる事が多いですね」
「ああ。味があんましなかったと思ったら……。でも食感は良いんだよなあ、これ」
そうぼやきながら、俺はいくつか摘んで懐へと仕舞い込んだ。
珍しい薬草らしいが、俺にとっては食事にアクセントを加える山菜だ。
少し頂いて行こう。
――歩き出して、しばらく経った。
日も落ちて来て、辺りは薄暗くなり、もうかなりの時間を歩いている。
しかし、目的地にたどり着く様子も無く、俺たちは依然宙を舞う二匹の妖精の背を追っている。
『永遠』の魔法、不老不死の身体。
エルはその身体に俺よりもずっと慣れ切っているからか、疲れた様子も見せず、文句一つも言わず、とてとてと同じ歩幅で妖精たちの後に続いている。
しかし、俺の方はまだ“普通”だった頃の感覚が抜けきっていないのだろう。
旅の道程である程度慣れてきているとは言っても、気持ちの上では僅かな疲労感を感じてしまう程の時間を歩いている。
「エル。やけに遠くないか?」
「そうですか? うーん……確かに、そうかもです。周りの景色も変わらないので、どれくらい経ったのか分かりにくいですね」
やはり、その口調からもエルはあまり違和感を感じてはいない様だ。
しかし、確かにこの木々生い茂る山の中では周囲の景色も単調で、正確な時間間隔を失いそうになる。
この霊山は確かに大きな山だ。
踏破するにはそれなりの時間、もしかすると普通なら数日はかかるかもしれない。
しかし、何も今回俺たちはこの山を隅から隅までこの脚一つで踏破しようという訳では無いのだ。
ただこの山のどこかに有る妖精の里へと向かっているというだけの事。
だが、それにしては余りにも時間が経ち過ぎている、遠すぎるのではないか。
もしかしたら、と一抹の不安が脳裏を過り、違和感を拭い切れなかった俺は、前をひらひらと舞う妖精に問う。
「なあ、妖精」
「くすくす。なあにー?」
「くすくす。どうしたのー?」
「お前らの里にはまだ着かないのか?」
その俺の言葉に、同じペースで前を飛んでいた妖精たちの動きがぴたりと止まる。
そして、数秒の沈黙。
風に揺れる木々の騒めきの音がやけに煩く耳に響いて来る。
エルは不安そうに、隣で俺の顔を覗き込んでいる。
「あ……れ?」
ぐらり。
突然、視界が一瞬暗転した。
立ち眩みだろうか。
「アルさん? ――アルさんっ!?」
しかし、その立ち眩みが収まる事は無く、一瞬の暗転が断続的に何度も繰り返される。
ぐらり、ぐらり、と。
エルの心配する声もどこか他人事の様に、ふわふわと耳を通り抜けて行く。
平衡感覚が奪われ、足を縺れさせる。
なんとか体勢を維持しようと踏ん張り、耐えようとする。
しかし、その暗転と暗転の感覚は次第に短くなって行き――やがて、俺は意識を手放した。
「くすくす。じかんぎれー」
「くすくす。またねー」
薄れ行く意識の中、そんな囁きが聞こえた気がした。
――視界が、暗転する。
―――・
「くすくす。ついてきてー」
「くすくす。こっちこっちー」
先程の問いへの回答替わりだろうか。
どうやら妖精の里へと案内してくれる様で、そう言ってひらりひらりと銀色の羽を羽ばたかせて、鱗粉の様な光の粒子の尾を引きながら、のんびりとした軌道で俺たちを誘って行く。
エルは静かに、ゆっくりと妖精たちの後を追って行く。
俺も風に靡くその美しい黒髪を追って、それに追従して――、
「――あれ?」
胸にしこりが有る様な気持ちの悪い違和感。
気の所為だろうか。
いや、そんなはずは無い。
妖精の後を追うエルの後ろ姿、風に靡くその美しい黒髪、この妖精たちの台詞。
既視感、デジャヴ。
確か、この後――、
――そして、思った通り。
道中、見慣れた植物が目に付いた。
「……謎草」
「あ、ほんとですね」
それは俺たちの家“魔女の森”にも生えていた、あの“謎草”だった。
そう、俺の予想――いや、おそらく記憶通りに、そこに在った。
「魔力草。魔力の流れている土地に生えていて、魔女の作る薬の材料になる、魔力回復の効果がある薬草、だっけ?」
「……ああ。アルさん、知ってたんですか?」
「まあ、ね」
その後、僅かな沈黙。
妖精たちの台詞、そして道中の謎草。
やはり、俺はこの先起こる事を知っている、デジャヴの様な感覚がある。
そんな風に黙り、考え込んでいた俺を心配したのか、エルが声をかけてくれた。
「どうしました? 体調でも、悪い……なんて、わたしたちに限って、そんな事無いですよね。すみません」
そう言って、エルは困ったように眉を下げて微笑んだ。
「エル。これは、何回目だ?」
きっと、駄目だろうな。
という半ば諦めを含みながらも、俺は問う。
問わねばならない。
「……何回目、ですか? よく分かりませんけど、わたしは初めてだと思いますよ」
「そう、か」
やはり、気のせいなのだろうか。
それとも、“この現象”は俺だけなのだろうか。
胸中で暴れる気持ちの悪い違和感は段々と大きくなって行き、俺の中をぐちゃぐちゃにかき乱す様だった。
――歩き出して、しばらく経った。
日も落ちて来て、辺りは薄暗くなり、もうかなりの時間を歩いている。
しかし、目的地にたどり着く様子も無く、俺たちは依然宙を舞う二匹の妖精の背を追っている。
エルは不老不死の身体に俺よりもずっと慣れ切っているからか、疲れた様子も見せず、文句一つも言わず、とてとてと同じ歩幅で妖精たちの後に続いている。
しかし、俺の方は僅かな疲労感を感じてしまう程の時間を歩いている。
この状況にも、やはりデジャヴの様な既視感を覚えてしまう。
「エル。やけに、遠くないか?」
「そうですか? うーん……確かに、そうかもです。周りの景色も変わらないので、どれくらい経ったのか分かりにくいですね」
やはり、エルは違和感を感じてはいない様だ。
そして俺はデジャヴをなぞる様に、前をひらひらと舞う妖精に問う。
「なあ、妖精」
「くすくす。なあにー?」
「くすくす。どうしたのー?」
「お前らの里には、まだ着かないのか?」
俺の言葉に、にやりと妖精の表情が歪む。
――再び、暗転。
―――・・
「くすくす。ついてきてー」
「くすくす。こっちこっちー」
妖精たちはひらりひらりと銀色の羽を羽ばたかせて、鱗粉の様な光の粒子の尾を引きながら、のんびりとした軌道で俺たちを誘って行く。
エルは静かに、ゆっくりと妖精たちの後を追って行こうと歩を進め出す。
しかし、行ってはいけない。
行かせてはいけない。
俺はすぐさま、妖精たちを追おうとするエルの手を取り、静止する。
「エル、待て」
「どうしたんです? 早くしないと、あの子たち見失っちゃいますよ?」
エルは俺の静止に対して、穏やかな表情で微笑み、首をかしげる。
しかし、俺の腹はもう決まっている。
「妖精の里に行くのは止めだ、帰るぞ」
「わ、ちょっと、急にどうしたんですか? ねえ、アルさんー!」
俺は半ば強引に駄々をこねるエルの手を引いて、来た道を速足で引き返そうとする。
しかし――、
「くすくす。ねえ、もっとあそぼうよ」
「くすくす。あそぼ、あそぼー?」
声に振り返る。
そこには俺たちを追ってきた妖精たちが居た。
妖精たちはそのどこを見ているのか分からない、怪しげで不気味な眼をこちらへと向けながらにやにやとした笑みを浮かべていた。
俺はそれに言葉を返さず、エルを自身の背後へと下がらせ、足元から小石を二つ拾う。
そしてその小石に『物体浮遊』の魔法をかけ、二匹の妖精へと向けて投擲した。
俺の突然の奇行に、エルは隣で驚きの表情を見せているが、構いはしない。
小鳥程の大きさの、紛い成りにも人型をした生き物を殺傷する事に一切の抵抗が無い訳では無かったが、それはこの現状においては躊躇う理由にはならなかった。
魔法によって加速し、宙を真っ直ぐと飛ぶ二つの石の弾丸。
一つは狙いが逸れて一匹の妖精の頬を掠めただけだった。
しかし、もう一つの石の弾丸は狙い通り妖精の胸部を貫く。
青黒い色の血液が辺りに飛び散り、ふわふわと銀色の羽で飛んでいた、先程まで妖精だった肉塊は、びしゃりと音を立てて地に落ちた。
「あーあ、ひどいなー」
石の弾丸を避け生き延びた妖精は、あの不気味な笑みを浮かべる事も無く、無表情で淡々と囁く。
「遊びは、終わりだ」
俺はそう言って、再び足元の小石を拾い上げ、再び狙いを定め、放つ。
命中したその石の弾丸は妖精の頭部の半分を吹き飛ばした。
「ううん、まだだめ」
しかし、頭部の半分を失なった妖精はそれでも両腕をだらりと垂らし、宙に浮遊したまま囁く。
妖精の無機質な声が頭に響く。
――三度、暗転。
―――・・・
「くすくす。ついてきてー」
「くすくす。こっちこっちー」
また、ここに戻ってきてしまった。
間違いない、俺たちはこの山中で同じ体験を、同じ時間を繰り返している。
今までの経験から推測すると、この場所この時間に戻って来る条件は、①時間切れ、②妖精の絶命、このどちらかだ。
時間制限はおそらく妖精側の限界値だろう。
年単位程の長時間を繰り返す様な力は無いのだと推測できる。
そして、妖精の死は強制的にループのトリガーを踏む。
それは謂わば奴らの最終防衛線だ。
正直言って、俺にはお手上げだ。
俺にはこれがどういった魔法なのか、どういった現象なのか、さっぱり分からない。
しかし、エルならば。
災厄の魔女、魔法の天才、彼女ならばきっとこの状況を打開出来るだろう。
俺は状況を理解し、整理。
そして一度大きく深呼吸。
「エル、ちょっと待って」
俺は一つ前の周と同じ様に、妖精を追おうとするエルを引き留めた。
今回の静止は前の周とは違い、エルに現状を話し協力を仰ぐ為だ。
「うん? アルさん、どうしました?」
エルは前進しようとしていた足を止め、こちらへと振り返る。
「変な事言うんだけど……。実はこの時間をもう既に三回経験している。それで、これが四回目って言ったら、信じてくれる?」
「……四回、ですか。えっと、つまり、どういう事です?」
俺の要領を得ない説明に、エルは不思議そうな表情を見せる。
しかしその目に疑いの色は見られない事を確認して、俺は更に言葉を重ねる。
「俺たちは、一定の時間を繰り返している。――妖精に出会って、山の中を散々歩かされて、疲弊してきた辺りで時間切れ、そして視界が暗転して、また妖精に出会う場面に戻って来る。この繰り返しだ」
「繰り返し……」
「ああ。そして何故か分からないが、俺だけが前の周の記憶を引き継いでいるみたいだ。けど俺一人じゃこの現象に対処出来そうにもない。信じて貰えるか分からないけど、この現象からの脱出にはエルの協力が必要だ」
「ええ、分かりました。信じますよ、勿論です。話を詳しく聞かせてください」
「ありがとう。――えっと、多分この現象は一定時間の経過、それと妖精の死がきっかけになって、振り出しに戻って来るみたいなんだ」
「妖精の死って、殺したんですか?」
「ああ、試してみた。でも駄目だった、殺しても暗転して戻って来てしまった。だから時間切れ前に何らかの方法で抜け出す必要が有ると思うんだけど……、その方法が分からない。でも、幸いこの周はまだ時間が、可能性が残ってる」
そう言って、俺は拳を握りしめる。
その拳の中に希望が有ると信じて。
「ところで、妖精さんたち居なくなっちゃいましたね。案外このまま下山出来たりするかもしれませんよ?」
そんな風に話し込んでいると、気づけば先導していた妖精の姿は見えなくなっていた。
このパターンは今までの周では見た事が無い、初めての事だ。
単純な下山、前の周で図ろうとした逃走という手段、それも妖精の監視の無い今なら取れるだろう。
エルの言った通り、案外許されてそのまま脱出成功ハッピーエンドという可能性もある。
「そうだね。妖精たちが気付いて戻って来る前に下ってみようか」
――歩き出して、しばらく経った。
エルと手を取り合い、来た道を辿って下山して行く。
しかし、どれだけ歩いても麓へと辿り着く事は無かった。
日も落ちて来て、辺りは薄暗くなってきた。
このままではまずい、制限時間が迫っている。
焦りからか、嫌な汗が肌に張り付く。
ごつごつとした岩肌が見える獣道、同じ景色が無限に続いている。
まるで緩慢に引き延ばされた空間を、牛歩の様に進んでいる――いや、退行している気さえしてくる。
「……また、振り出しに戻ってしまうんでしょうか」
エルも迫る時間を察したのだろう、ぽつりとそんな言葉を漏らす。
「ああ。でも、もしこの周も駄目でも、また次の周でもエルに同じ説明をするよ。何度でも何度でも。――だから、一緒にこの山から脱出しよう」
「そうですね。でも――」
エルは途中で口を噤む。
その表情には少し陰りが見えた気がした。
そんなエルの視線の先に目を向けると、俺たちを追ってきた――いや、最初から見ていたのだろう。
そこには小鳥程の大きさの二匹の妖精だ。
「くすくす。ざんねーん」
「くすくす。じかんぎれー」
ぐらり、と視界が一瞬暗転した。
そしてその立ち眩みが収まる事は無く、一瞬の暗転が断続的に何度も繰り返される。
この感覚を知っている。
ループのリセットだ。
この周は駄目だった。
だが、可能性を一つ潰す事は出来た。
こうやって何度も何度もやり直して、試行錯誤して、必ず脱出してみせる。
戻ったら、またエルと話をして、そして――。
そして、その暗転と暗転の感覚は次第に短くなって行き――やがて、俺は意識を手放した。
「――でも、ごめんなさい。その言葉、もう何回も聞いたんですよ」
薄れ行く意識の中、エルのぽつりと呟く様な、そんな声が聞こえた。
(え? いや、待ってくれ、それは、どういう――)
しかし、俺の抵抗の意志は虚しく、無慈悲に――、
――視界が、暗転する。
――― ???
「くすくす。ついてきてー」
「くすくす。こっちこっちー」
もう何百回、何千回聞いたか分からない、妖精たちの声。
エルはそれを右から左へと聞き流し、同じ様に繰り返す。
「お、エル。見て見て」
「ああ、魔力草。ここにも生えてるんですね」
これも、もう何度も繰り返したやり取りだ。
どういう理由かは分からない。
だが、アルがループを認識するのは数十回に一回だ。
しかし、それも三周分前後の記憶を維持した後、また全て忘れてしまう。
そして、そのループの認識の頻度も繰り返していく内に段々と減って行き、ついにはアルはループを認識する事も無くなってしまった。
最初の頃はアルがエルと同じ様にループを認識した事を喜び、協力して脱出を図ろうとした。
しかし、その記憶の維持が一時的な物だと分かると、これはエル一人で解決しなければならない現象だと悟り、それも諦めてしまった。
――繰り返す。
何度も何度も何度も、繰り返す。
『勇者アルの冒険』の物語、その中で登場する妖精はサブキャラクターの様な立ち位置だった。
彼らは旅する勇者と魔女を魔法で惑わせ、その旅路を邪魔していたのだ。
その目的は単純、彼らは楽しんでいるのだ。
同じ時間と空間を繰り返しているとも知らずに、同じような反応を示す人間と、繰り返しを認識して戸惑う人間。
それらを観察して遊んでいるのだ。
今回はアルがループを認識できないまま繰り返す“道化”の役回り、エルがループを認識して戸惑い藻掻く“玩具”の役回りだった。
ただの子供の遊び、小さなこと共が虫の羽を捥いで楽しむのと何ら変わりはない。
新しい玩具を見つけた妖精たちはなかなか手放してはくれない。
その遊びは、きっと玩具が壊れてしまうまで続くだろう。
――しかし、それが元々壊れた玩具だったのなら、話は別だ。
――― ?????
「ええ、本当に、こっちの役回りがわたしだったのは幸運でした」
普通の人間ならば既に狂っていてもおかしくはないだろう。
しかし、エルは余裕を含んだ様に、不敵に笑う。
何百回、何千回と繰り返した、その果て。
突然、妖精は今までとは違った行動を取った。
エルの前から逃げ出そうとしたのだ。
しかし、エルはそれを許さない。
逃げ出すも、すぐに追い付かれて銀色の羽を指先でひょいと掴まれた妖精たち。
「どうして、どうしてこわれないの!!」
「おかしい、こんなのおかしいよ!!」
追い詰められた妖精たちの表情には、もはや怪しげな笑みは無い。
怒りと焦りが混ざった様な、そんな声を荒げる。
「そうですね、相手が悪かったです。相手が“災厄の魔女”だったのが、不運でしたね」
「まじょ、やだ、やだ……」
「おわり、もう、おわり……」
このループから抜け出すにはどうすればいいのか。
簡単だ、妖精たちが飽きるまで続ける事だ。
百、千、無限に繰り返した。
しかしエルは弱音一つ吐かず、顔色一つ変えず、淡々と妖精たちにとっての“つまらない”時間が繰り返される。
そして、先に音を上げたのは妖精たちの方だった。
普通、ループを認識している側の精神が壊れて、壊れた玩具は捨てられ、そしてこの遊びは終わる。
しかし、相手は二百年もの時をたった一人森の中で過ごした災厄の魔女だ。
たった数千回の繰り返し、何てことは無い。
それに、今回は隣に愛する人が居る。
エルの心が折れるはずも無かった。
妖精たちの遊びは、初めから破綻していたのだ。
「あら、もう遊びは終わりですか? じゃあ、わたしの勝ちです、勝者には何か報酬が必要ですよ?」
「やめて、たべないで」
「なにが、ほしいの」
「最初から、決まってますよ。――あなたたちの里を、見てみたかったんです」
―――
「んん……」
木々が風に靡く心地の良い音に、意識の覚醒を促される。
頬に暖かな感触を感じる。
山の麓の涼しい木陰の下で、気づけばエルに膝枕をされる形で一眠りをしていたらしい。
「おはようございます」
「おはよ。ごめん、いつの間にか寝ちゃってた」
身体を起こし、起床の挨拶を交わしてまだ重たい瞼を擦る。
何か長い夢を見ていた気がする。
しかし夢は夢らしく、例に漏れずその全容を思い出す事は出来なかった。
「ふふふ。寝顔を見ていたらあっという間でしたよ。それに、面白かったです」
「俺、そんな変な顔してた?」
「さあ、どうでしょうね?」
エルは悪戯っぽく微笑み、すっと立ち上がる。
木陰から出ると、日差しに照らされた艶の有る長い黒髪が風に靡き、その髪の隙間から尖ったエルフ耳がちらりと覗いていた。
―――
妖精は居たのか、妖精の里は有ったのか、どんな所だったのか。
それは彼女だけが知る事だろう。
しかし、彼女の表情はどこか満足気で、輝いて見えた。
それ以降、その霊山で妖精の噂は聞かなくなった。
山へ入っておかしくなる者も居らず、超常現象に見舞われる事も無い。
そして、その後山に生える謎草は麓の村の民に貴重な資源として重宝されたらしい。
しかし、それはまた別の話だ。




