わたしは、わたしらしく
【少し遠出をしませんか?】
ランハートから手紙が来たのは、それからすぐのことだった。
王太女の即位を直前に控えている最中、外出するほどの時間は取れないだろう――――そう思っていたら、文官たちは揃って首を横に振った。
「既にスケジュールは確保してあります。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
同時進行で、侍女達がわたしの身支度を整えていく。皆一様に張り切った表情で、手順に一切の迷いがない。
(あれ?)
ドレスを着替えながら、わたしは一人首を傾げる。いつも身につけているきついコルセットを外され、柔らかな布が身体を包む。上等な布地ではあるけれど、普段着ているものとは質が違う。
これは姫君が身につけるドレスではない。平民の出で立ちだ。
「準備は進んでます?」
着替えが終わったタイミングで、ランハートがひょこりと顔を覗かせた。ドギマギしているわたしにはお構いなく、彼は上から、満足気にわたしのことを眺めている。
「ランハート様、姫様の準備はまだ終わっておりません。髪型やお化粧、女性の準備には時間がかかるものですわ! このように覗きに来られては困ります」
エリーの抗議に、ランハートは困ったように微笑む。
「失礼。待ちきれなかったものですから」
そう言って彼は、わたしのつむじに口づけを落とす。胸がモヤモヤと疼く中、わたしは鏡越しにランハートを見上げた。
「時間はかかって構わないので、最高に可愛く仕上げてくださいね」
「それはもう! わたくし達侍女のプライドをかけて!」
エリーが胸をどんと叩く。
宣言通り、侍女たちは腕によりをかけてわたしのことを磨き上げた。ドレスに合わせて髪を結い上げ、いつもよりも念入りに――けれど自然な化粧を施す。
シンプルかつ上品なジュエリーをさり気なく身につけたら、ようやく完成。わたしはランハートに引き渡された。
「ああ、良いですね。僕がオーダーした通り。最高に綺麗です」
ランハートがそう言って微笑む。眩しげに細められた瞳に戸惑いつつ、わたしはそっと顔を背けた。
「ねえ、こんな格好させて、一体どこに連れて行く気?」
「内緒です。そちらの方がドキドキするでしょう?」
相変わらずの意地悪な笑みに、わたしはウッと言葉を失う。
スマートに差し出された腕を取り、わたしはランハートとともに歩き始めた。
***
(まさか、こんな形でランハートと対峙することになるとは……)
そりゃあ、きちんと話をする気でいたけれど、こんなに早いなんて聞いてない。
しかも、馬車に揺られて二人きり。目的地も教えてくれないから、どのぐらい掛かるかもわからない。
肝心のランハートは、本気で何事もなかった表情をしているし。
まあ、真偽の程はわからないし? 彼にとってはあれが日常茶飯事だったのかもしれないけど。
ガタンゴトンと馬車が揺れる。車窓から夜空を見上げると、星が一筋流れた。
わたしはもう、前みたいに外出を禁じられていない。
けれど、こんな風に城外に出るのは久しぶりだった。
清々しい空気を吸い込み、ほんの少しだけ背筋を丸める。
(なんだかすごく、気が抜けた)
王太女になるって決めてから、はじめの頃の何倍も頑張るようになったんだってこと、すっかり忘れていた。知らず知らずのうちに、気を張ることが常態化していたみたい。城を出て気づくなんて、思いもしなかったけど。
「お疲れでしょう? 少し休まれたら如何です?」
「……こんな時間に連れ出した張本人がそれを言う?」
尋ねつつ、次第にまぶたが重くなる。
馬車の揺れが心地良い。ウトウトと舟を漕ぐわたしを、ランハートがそっと抱き寄せた。
「どうしても、伝えたいことがあるんですよ」
囁きに耳を傾けつつ、ゆっくりと夢の中に落ちていく。
馬車が止まる気配がして、わたしはそっと目を開けた。
「着きましたよ」
ランハートの手を取り、わたしも馬車を降りる。
「ここ…………」
到着したのは、わたしの実家のすぐ側にある小高い丘の上だった。
見上げれば満点の星空、下方には人々の営みが織りなす街の灯りが広がる。城のバルコニーから見るのとはまた違う。心がほんのりと温かくなった。
「王太女に即位する前に、もう一度だけ、ご両親と過ごす時間を取られたらどうかと思ったんです。文官たちにも協力してもらい、スケジュールを調整してもらいました。ほんの半日だけですが、姫君ではない貴女に戻る時間が取れればと」
ランハートはそう言って目を細める。思わず目頭が熱くなった。
「貴女は我が国の大切な姫君である以前に、かけがえのない一人の女性です。僕の役割は、貴女の隣を歩くこと。ライラ様が自分らしく居られる場所を作ることだと思っています」
目尻から涙が溢れる。
ランハートは跪き、わたしの左手を握った。彼は手の甲に口づけ、わたしの薬指に指輪を嵌める。夜空に輝く星々のような色を纏う宝石に、わたしは静かに息を呑んだ。
「僕はライラ様を心から愛しています。王としての貴女も、普通の女の子としての貴女も、隣で支え、幸せにします。どうか、貴女と一生を共に歩ませてください」
いつになく真剣なランハートの表情。
心が大きく打ち震える。
(もう、諦めていたのに)
プロポーズなんてしてもらえない。ランハートから愛してもらえることはないって、そう思っていた。
(だけど)
ランハートはわたしに求婚してくれた。愛していると言ってくれた。
嬉しくないはずがない。
だからこそ、わたしにだって伝えなきゃいけないことがある。
「わたし……わたしは、平民王女だから! 普通の貴族みたいには考えられないから!
夫が――――ランハートが自分以外の女性と逢うのは嫌。わたしだけを愛してって言っちゃうよ。それでも良いの?」
それは、自分なりに考えて出した結論。
わたしはランハートを夫にする。彼はわたしが王族として歩んでいくのに、必要な人だ。前に立つでもなく、背後から護るでもなく、隣を歩こうとしてくれる人だから。
だけどそれでも、わたしは自分の気持ちだって大事にしたい。
愛されたいって。わたしだけを大切にしてほしいって。
自分の考えを伝えることすらしないのは間違っているって思ったから。
「そんなこと、当然ですよ」
ランハートは呆れたように、困ったように笑いながら、わたしのことを抱きしめる。普段の気取った表情とは違う、砕けた笑み。わしゃわしゃと頭を撫でられ、息をするのも忘れて目を瞠る。
「まさか、僕が浮気をすると思っていたんですか? 馬鹿ですね。僕にはライラ様がいるのに。他の女性を見たりしません」
「だけど……だけど! この間、部屋に他の女性を入れていたじゃない! わたし、アダルフォと一緒に見てたんだから。全然、わたし以外の女性を見てるじゃない…………っと」
しまった! あの日のことは黙っておくつもりだったのに! 洗いざらい吐いた上、咎めるようなことまで言っちゃったし。
(ダメダメじゃない)
一人打ちひしがれるわたしに、ランハートは目を丸くする。それから、口の端を綻ばせると、彼はわたしの頬を撫でた。
「僕の部屋に女性が出入りしているのを見て、嫌な気持ちになったんですか?」
「…………うん」
そんなの、当たり前じゃない? 表情だけでそう伝えたら、ランハートは意地悪な笑みを浮かべる。
「あれは今日の衣装の仕立て屋です。せっかくのプロポーズですから。貴女の思い出に残るものにしたい。ドレスも宝石もこだわりたいと思ったんですよ」
サラリと口にできるあたり、本当にそれ以外の女性の出入りがなかったのだろう。思い当たるフシが複数あれば、『どれを見られた?』ってなるはずだし。
「しかし、嬉しいですね。そんな風に想っていただけるということは、ライラ様も僕を想っている――――そんな風に自惚れても良いですか?」
「へ……なんで? どうしてそんな風に思うの?」
想像もしていなかった返答に、わたしは目を白黒させる。
そりゃ、婚約者に選んだぐらいだし? 憎からず想ってますけど――――とは言えない。つくづくわたしも素直じゃない女だ。
「だってそうでしょう? 自由にして良いと言われるより、余程愛情を感じます。
心配せずとも、僕は既にライラ様のものです。生涯、貴女だけのものです」
そう言ってランハートはわたしのことを抱き上げる。彼よりも目線が高くなり、わたしは思わず息を呑む。
「――――わたし、これでも結構モテるんだから。わたしが悲しんだらアダルフォが黙ってないし。
バルデマーだって『王配になれなくてもわたしの愛がほしい』って言ってたぐらいで」
……って、何を言ってるのわたし!
言った側から羞恥で顔が真っ赤になる。
だけど、ランハートは目を丸くすると、困ったように笑いながらわたしを抱き止める。
「それは……絶対に余所見できないよう、しっかりと捕まえておかないといけませんね」
視線が絡む。
ランハートの言葉が胸に響き、わたしは思わず目を瞑る。
(幸せになりたい)
それは心の奥底に眠っていた願い事。
わたしはこれから、王太女として、おじいちゃんと共に国を率いていく。
普通じゃダメ。王族として、ときに自分を殺し、人々のために生きていかなきゃならない。
だけど、ランハートと一緒なら。
わたしはただのライラに戻れる。
隣を歩きながら、一日のうちのほんのひとときでも、普通の女の子として、幸せに過ごせる気がするから。
(わたしは、わたしらしく)
平民として生きてきたわたしも、これからのわたしも、等しく大切にしていきたい。
はじめての口づけを受け入れながら、わたしは満面の笑みを浮かべるのだった。
 




