変わるもの、変わらないもの
最近、人は変われば変わるものだなぁとよく思う。
「シルビア様!」
わたしの目の前に居るのは、姫君になってから初めてできた親友――――と、唯一無二の幼馴染だ。
「まあ、エメット。そんなに走らなくても良かったのに」
「いいえ。シルビア様の望みですから。当然のことです」
少々擦れたお坊ちゃんだったのは何処へやら。今のエメットは、従順で素直、とても熱心な騎士(見習い)になっている。
採用されてたった数日。普通ならひたすら訓練を積むべき時期なんだけど、そこは縁故採用。下積みと同時進行で実地経験を踏ませてもらえることになったのだ。
エメットが配置されたのはシルビアの護衛――――の、使い走り。先輩が護衛をしている姿を見て学びつつ、伝令役なんかをこなしている。
シルビアといえば、我が国が誇る素晴らしい聖女。フットワークも大変軽く、移動の機会なんかもとても多い。
だけど、エメットはニコニコと笑いながら、あっちへこっちへ走り回っている。
「何よ、エメットの奴。わたしに対しては全然敬意を払わない癖に、シルビアにはデレデレしちゃって」
そりゃ、シルビアは超が付く美人だし。心根まで美しいし。ついつい傅きたくなる気持ちは分かるけれど。
「いやいや、そこは過ごしてきた年数ってものがあるだろう? 今さらお前を相手に態度を変えるとか難しいって」
「まぁね。そうだけどさぁ」
今やここまで砕けた口調でわたしに接してくれるのは、家族以外じゃエメットぐらいだもの。密かに嬉しかったりする。
――――なんて、口に出しては言えないけど。
「というかライラ、こんな所で油を売ってる暇あるのか? 王太女即位まで、もう一週間も無いんだろう? 先輩たちがピリピリしてるよ。儀式が何事もなく執り行われるまで、全く気が抜けないって」
「失礼な。これでも緊張しているし、昼夜準備に勤しんでいるのに!
だけど、わたしにだって息抜きは必要だもの。シルビアとエメットに会ったら少しは気が紛れるかなぁと思って」
実際問題、わたしの周囲は今、かなりピリピリしている。多分、儀式の主役であるわたしと同じかそれ以上。準備する側の方が神経を使うし、色々大変なんだと思う。
それに、侍女達も文官達も、ずっとわたしが側に居ちゃ気が抜けないし、ちょっとした愚痴すら零せない。だから、意図的に離れる時間だって、時には必要かなぁって思ったのだ。
「姫様、実は私も緊張していたのです。ですから、こうして姫様とお会い出来てホッとしました。足を運んでいただき、ありがとうございます」
「そんな。お礼を言われる筋合いはないんだけど……シルビアでも緊張するの?」
即位の儀において、シルビアは聖女の祝福を授けてくれることになっている。
聖女の祝福っていうのは、『わたしが治める御代が神に愛され、守護されますように』っていうお呪いだ。
神聖な行為だから練習が効かないらしく、一発本番。彼女にしかできないこと、役割だけど、いつも冷静沈着なシルビアだもの。緊張するところとか、失敗するところとかあんまり想像できないんだけど。
「もちろんですわ。姫様の晴れ舞台で醜態を晒すわけには参りません。私に出来る、全身全霊、全力の祝福をさせていただかねばと、今から意気込んでおりますの」
「そこまでプレッシャーを感じなくても」
「いいえ! 私がしくじれば、国の未来が変わってしまいますもの。責任重大ですわ」
シルビアはそう言って、ギュッと拳を握りしめる。
(恵まれてるなぁ)
王太女としての最初の一歩で躓けば、幸先が悪い。
だから周囲はわたしが転ばないよう、躓かないよう、最大限の準備をし、何度も何度もシミュレーションをしながら、最善を尽くしてくれている。
「ありがとう、シルビア」
そう口にしながら、心がほんのりと温かくなる。
本当はシルビアに対してだけじゃなく、この城で働いている全ての人達にお礼が言いたい。
儀式を目前にして、わたしがこうして穏やかに日々を過ごせているのは、皆の努力のたまものだ。
わたしが過度に緊張しないようリラックスできる環境を作り、メリハリの付いた日々を送れるようにスケジュール管理をし、やるべきこと・覚えるべきことを最小限に絞り込んで、たくさんたくさん心を砕いてくれてるんだもの。
「わたし、頑張るよ」
お世話になった全ての人に声を掛けることは出来ない。だけど、想いを返すことは出来る。
王太女として最善を尽くすこと。皆が暮らすこの国を、豊かで活力があり、幸せなものにすることが、わたしに出来ること、すべきことなんだと思う。
「なんか……お前、変わったな」
しみじみとした表情でエメットが言う。わたしは思わず目を丸くした。
「そう?」
「そうだよ。この間里帰りしてた時も思ったけど……あの時よりもずっと、大人っぽい顔をしてる」
エメットはそう言って、胸に手を置き膝を突く。騎士としての最敬礼だ。まだまだぎこちないけど、彼がわたしに敬意を払っていることは伝わってくる。
「俺、もっと頑張るよ。いつかライラの警護も担当できるよう、精進する」
エメットの口からこんな言葉を聞ける日が来るなんて、思ってもみなかった。
どうしよう。目頭が熱くなっちゃうじゃない。
「期待してるわ」
返事をし、エメットと一緒に微笑み合う。
人は変われば変わるもの。
エメットも、それからわたしも。
***
「ねえ、アダルフォ。エメットはいつか、わたしの護衛騎士になれると思う?」
帰り道、アダルフォと長い回廊を歩きながら、そんなことを尋ねてみる。
「ええ、きっと。
想いは人を強くしますから」
そう応えるアダルフォの表情は温かい。
彼もまた、この数か月で大きく変わった人の一人だ。
最初はどこかぶっきら棒で、取っつきにくいというか。わたしの行動を諫める場面も多かったけど、今や海よりも広い心でわたしを見守ってくれている。
何だかとても嬉しくて、わたしはそっと微笑み返す。
本当にたくさんの人達が国のため、わたしのために頑張ってくれている。腐ってちゃいけない。気合を入れなおさなきゃ。
――――そう思ったその時だった。
「…………え?」
視界の端にスラリとした長身の男性と、艶やかかつ華やかな御令嬢が映る。二人はしばし向かい合って談笑したかと思うと、男性側が女性を部屋の中へと迎え入れる。
顔はよく見えないけど間違いない。
あの部屋はランハートが城内に与えられている部屋だ。
「ライラ様」
困惑した表情でアダルフォがわたしを見遣る。
(どうしよう)
気づかない振りをしなくちゃ――――ううん、せめて何か言わなきゃって思うのに、返す言葉が見つからない。
人は変われば変わるもの。
だけど、中には変わらない人も存在する。
わたしはしばらくの間、その場に立ち竦んでいた。




