あなたも一応、
とはいえ、そんなに簡単に将来の夫を決めるわけにはいかない。
(品行方正。働きぶり、評価は良し、と。当然かぁ)
バルデマーの情報に改めて目を通しつつ、わたしはそっと息を吐く。
文官として働いている彼の情報は、謂わば筒抜け。上官や周りからの評価、実家の状況や交友関係諸々、放っておいても舞い込んでくる。
これまで、おじいちゃんの跡を継ぐ覚悟が中途半端だったし、後継者教育なんかにかまけてあまり調べてこなかったのだけど、そろそろ本腰を入れなきゃならない。
(でもなぁ。評価が高いことと、人の上に立てる人物かどうかは違うもんね)
我が国が採用しているのは完全な実力主義――――ではなく、ある程度は家柄や年齢がモノを言う。当然、突出した人は上に行けるのだけど、まずは枠の中で揉まれ、のし上がる必要があるらしい。
バルデマーはまだ若いし仕方ないけれど、そういう意味では普通というか、飛び抜けた存在ではないように思う。誰かを率いて何かを成し遂げた経験だって当然ない。
まあ、それを言ったらわたしも同じなんだけど。
「ああ、本当にお戻りになられたのですね」
揶揄するような声音。ムッとして振り返れば、そこには予想通りランハートが居た。
「――――勝手に入って来るなんて、ランハートは相変わらずねぇ」
毎度毎度、取次を待たないんだもの。そっとため息を吐けば、ランハートはクックッと喉を鳴らした。
「今回はちゃんと取り次いでもらいましたよ。あなたが集中し過ぎて、気づいてなかっただけです」
「……へ? そうなの?」
エリーの方を見れば、彼女は気まずそうに微笑んでいる。どうやら本当のことらしい。
「失礼いたしました……」
「別に構いませんよ。それにしても熱心ですね。まるで人が変わったみたいです」
ランハートはそう言って、テーブルの上に積み上げられた書類の山を見る。一目見たら、それらがわたしの婚約者候補たちについての情報だって分かるだろう。だけど、今更何をしているか隠すのもなんだから、中身を見ないようにとだけ釘を刺した。
「これでも未来の王太女ですからね。配偶者選びは真剣にしなきゃでしょう? 国の未来が掛かってるんだもの」
言えば、ランハートはニコリと微笑み、わたしの向かい側のソファに腰掛ける。
「『城には戻らない』って仰っていた、あのライラ様がねぇ」
「いけない? そんなに王太子になりたかった?」
「いいえ。そんなこと、露ほども思っていませんよ」
意地の悪い笑みを浮かべつつ、ランハートはエリーが淹れてくれたお茶に口を付ける。
ランハートはわたしに『城に戻らなくて良い』と言ってくれた、数少ない一人だ。『わたしはもう姫様じゃない』って言ったら、名前で呼ぶ様に変えてくれたし、変に持ち上げたり、お姫様扱いなんてしない。
その癖『別に王太子になりたい訳じゃない』なんて言うものだから、彼が何をしたいのか、考えているのかイマイチ分からない。
(分からないといえば)
ランハートについて知りたいことは他にもある。
意を決して、わたしは彼を見つめた。
「ねえ……もしかしてランハートは昔、シルビアと何かあった?」
先日、ふと浮かび上がった疑問。
ランハートはほんのりと目を丸くし、それから穏やかに目を細めた。
「――――純粋すぎる人間は、僕は苦手です」
全然、質問の答えになっていない――――だけどきっと、それが全てなのだろう。
「そっか」
答えつつ、少しだけ胸がモヤモヤする。
ランハートはクスリと笑うと、そっと身を乗り出した。
「僕のことが気になりますか?」
尋ねられ、ドキンと大きく胸が跳ねる。
昨日、バルデマーに『意識してほしい』って言われた時のドキドキと、似ているようでちょっと違う。何がどう違うのか、今のところ説明が出来そうにないけども。
「…………そりゃあ気になるわよ。あなたも一応、婚約者候補なんだし」
「ハハッ」
答えたら、ランハートは声を上げて笑った。いつも気取った彼らしくない、楽し気な笑い声。腹を立てても良い筈なのに、何でだろう。寧ろ嬉しい。
「今はお互い、そういうことにしておきましょう」
そう言ってランハートは、わたしの額にチュッと優しく口づけた。
心臓がバクバクと鳴り響く。頭上で微笑むランハートの表情から目が離せない。
だけど、彼相手に分かりやすく反応するのは何だか癪だ。そっと視線を逸らしつつ、澄ました表情を浮かべ続ける。
「また来ます」
耳元で響く甘やかな声音。ランハートの香が遠ざかる。
やがて、扉が締まる音を確認してから、わたしは大きくため息を吐いた。真っ赤に染まった顔を両手で覆い、唇をグッと引き結ぶ。
(嫌な奴)
心からそう思うけど、不思議なことに、ランハートを婚約者候補者から外そうという気にはならなかった。




