行ってきます!
「忘れ物はない?」
朝日の射し込む玄関口。お母さんは微笑みつつ、小さく首を傾げる。
「うん、大丈夫」
まるで街にちょっと買い物に行くかのような気楽さだ。
手にはお母さんが焼いてくれたお茶菓子の入ったバスケット。それ以外に持っていくものは何もない。
初めて城に連れて行かれた日、わたしは困惑と悲しみの感情でいっぱいだった。だけど今は、そうじゃない。何だか晴れ晴れと誇らしい気持ちだ。
「子が巣立つ、って言うのは嬉しいものね」
お母さんはそう言って目を細めた。お父さんも一緒になってうんうん頷く。
「巣立ちかぁ。うん、そうだね」
そう言われて悪い気はしない。胸を張って微笑むと、二人は笑みを深めた。
「身体に気を付けてね。ちゃんと睡眠を取って、無茶をし過ぎないこと」
「うん、分かった」
「ご飯も。しっかり食べるのよ?」
「うん。温かいご飯が食べたくなったら、アダルフォと一緒に戻って来るね」
そう答えたら、お母さんは「馬鹿」って口にして顔を覆った。どうやら琴線に触れてしまったらしい。
「手紙書くから。今度こそ、絶対、ちゃんと届けてもらう。だから、お母さんたちも手紙、書いてね」
「ええ、ええ! たくさん書くわ。お城にも、会いに行って良いのよね?」
「もちろん! 絶対来てよね」
お母さんの背中をポンポン撫でながら抱き締める。下手糞な刺繍が施されたハンカチに、涙がじわりと染み込んでいく。どうやら、替えのハンカチを用意してあげた方が良さそうだ――――そう思うと、何だか城に帰るのが楽しみな気もしてくる。
(全く、これじゃ、どっちが子どもなのかよく分からないなぁ)
だけど、そんな風に思えるようになったのは、わたしが大人に近づいている証なのかもしれない。
わたしはもう、守られるだけの子どもじゃない。
お父さんやお母さん、沢山の人が暮らすこの国を守っていく。そのために頑張らなきゃならない。
「アダルフォさん、ライラのことを宜しく頼むよ」
お父さんがそう言って深々と頭を下げる。アダルフォは穏やかに微笑むと、力強く頷いた。
「ありがとうね、アダルフォ」
わたしの行動に振り回されてばかりだっていうのに、文句ひとつ言わず、アダルフォは何処にでも付いてきてくれる。
「礼には及びません」
そう言ってアダルフォは膝を折る。
おじいちゃんに反発して城を出た時、アダルフォは『主人はわたし』だって、ハッキリそう言ってくれた。そんな彼の心意気に、わたしは応えていかなきゃならない。
「それじゃ、そろそろ行くね」
そう言って玄関の扉を開ける。すぐ側に、おじいちゃんが用意してくれた馬車が停まっていた。ほんの少しの名残惜しさを胸に、大きく息を吸い込む。
「ライラ!」
と、その時、背後から勢いよく呼び止められた。エメットだ。
「エメット! 見送りに来てくれたのね」
「いや……その…………」
エメットはもじもじしつつ、頬をほんのりと赤らめる。その視線は、さり気なくアダルフォの方へと向けられていた。
「何よ、わたしよりもアダルフォと離れる方が嫌なわけ?」
「そうじゃなくて! そうじゃないんだけどさ……なんていうか、その」
「何? 人の門出の邪魔してまで言わなきゃいけないことなの?」
竹を割ったような性格の彼にしては歯切れが悪い。じれったく思いつつ、にじり寄る。
「その! どっ、どうやったら俺も、アダルフォさんみたいに騎士になれますか!?」
「…………ええっ!?」
それは思わぬセリフだった。面食らったわたしを余所に、アダルフォは平然とした様子で、目を瞬く。
「本気で騎士になりたいのか?」
エメットはゴクリと唾を呑み、表情に躊躇いを滲ませる。
「本気かって聞かれると、自信は無くて……。もしかしたら、全然覚悟が足りてないのかもしれません。だけど俺、これからもアダルフォさんに稽古をつけてほしくて」
(正直者だなぁ)
騎士ってのは命がけの仕事だ。簡単に足を踏み入れて良い世界じゃない。そうと分かっていながら、尋ねずには居られなかったのだろう。エメットの気持ちを想うと、何だかとっても微笑ましい。
アダルフォは穏やかに笑むと、エメットの肩をポンと叩いた。
「覚悟が出来たら城に来ると良い」
その瞬間、エメットの瞳がキラキラと輝く。わたしまで何だか嬉しくなってしまった。
エメットが城の門を叩くのは、そう遠くない未来だろう。
(何だか楽しみが増えちゃったな)
お母さんたちと目配せをし、満面の笑みを浮かべる。
それから馬車に乗り込むと、窓から身を乗り出して息を吐いた。
「行ってきます!」
そう言って大きく手を振る。
「――――行ってらっしゃい!」
馬車がゆっくりと動き出す。ジワリと涙が滲み出た。
お父さんとお母さん、それから大好きな我が家が、少しずつ小さくなっていく。
だけど、二人から無理やり引き離された時とは全然違う――――希望に胸が満ちていた。
本話を以て一章完結となります。
二章でも、よろしくお願いいたします。




