もう一人の
夕食の後、お母さんはシルビアから貰ったフレーバーティーを淹れてくれた。少しでもリラックスできるように、って配慮してくれたんだと思う。優しい香りが心を穏やかにしてくれた。
「ライラ様、やはり俺は――――」
「ううん、アダルフォにも一緒に話を聞いて欲しいの」
固辞するアダルフォをソファに押しとどめ、わたしはお母さんたちへと向き直る。
本当のことを聞くのはちょっぴり怖い。二人との関係が変わっちゃうんじゃないかって、ずっとずっと不安だったから。
だけど、このままじゃきっと前に進むこともできない。
(そんなの、嫌)
覚悟を決めて前を向くと、お母さんはまなじりをそっと緩めた。
「お母さんの妹――――ペネロペはね、お母さんとは違って、とても強い子だった。勉強が得意で、頑張り屋で。子どもの頃からずっと、お城での生活に憧れていたの」
「お城に? もしかして、最初からお妃様になりたかったの?」
思わずそう尋ねたわたしに、お母さんはクスクス笑いながら首を横に振る。
「ううん。そうじゃなくて、ペネロペは国のために役立ちたいって想いが強くてね。
本当はバルデマー様みたいに文官に目指していたのだけど、女性で文官に登用されるのって貴族の女性ぐらいで、物凄く狭き門でしょう? 平民出身で文官に登用されたって前例も無かったし。
だからペネロペは、お城で侍女として働くことになったの。そうすれば、貴族や王族を支えることが出来る。直接的に国政に関われるわけじゃなくても、自分に出来ることがしたいんだって張り切っていたわ。
家は貴族との関りもある所謂名家だったし、そのぐらいのコネはあったから」
「……そうなんだ」
お母さんの家族の話は、実は殆ど知らない。
コクリと小さく頷いて、お母さんは遠い目をした。
「働き始めて一年半経った頃のことよ。急にペネロペが家に帰って来たの。聞けば妊娠しているって言うし、相手が誰なのか、ちっとも教えてくれなくてね……。ペネロペは強情だから、無理やり聞き出すことはすっかり諦めていたの。
だけど、それから数日後のことよ。今は亡きクラウス殿下が我が家を訪ねていらしてね。
……あの時の衝撃は忘れられないわ。ペネロペもお母さんも、皆すごくビックリしてた」
(そりゃあそうだよねぇ)
自分に全く関係ないと思っていた王族が訪ねてくる衝撃を、わたしは身を以て知っている。本当に天変地異レベルで激震が走ったに違いない。
「殿下ははじめ『どうして急に居なくなったんだ!?』って、ペネロペに対して憤っていらっしゃったの。何も言わずに侍女を辞めて、殿下の前から姿を消したのね。
だけど、あの子ったらお金が尽きるまでは実家にも帰らないで、数か月間、色んな地を転々としていたらしくって。その時にはペネロペのお腹も大きくなっていたから、殿下はすぐに理由を察したみたい。
『僕の子だ』
なんて言うもんだから、皆更にビックリしてしまったわ」
お母さんはそう言って、わたしのことを慈しむような瞳で見つめる。胸の中が温かいようなむず痒いような奇妙な感覚で満たされて、何だかとても落ち着かなかった。
「殿下はね
『結婚しよう』
って、その場でペネロペにプロポーズしたの。すごく真摯で、愛情あふれる求婚だったわ。
だけど、妹はそれを受け入れなかったの」
「何で? ゼルリダ様と婚約していたから?」
だとしたら酷い話ではあるけど、納得はできる。
どうしてわたしがお母さん達に預けられたのか――――婚約中に余所で子どもを作ったのだとしたら、ゼルリダ様の反発はもっともだし、わたしを城から遠ざけていたのも当然だと思うから。
「……ううん。その時点でクラウス殿下は、誰とも婚約していなかったわ。もちろん、水面下で婚約者候補は上げられていたようだけど、殿下が首を縦に振らなくてね。
それでも、ペネロペは『自分じゃ妃になれない、国民に受け入れられないから』って頑なだった。国を思えばこそ、自分は身を引くべきだって――――そう言って泣いてた。
クラウス殿下は『皆を説得する』って言って帰っていったわ。だけど、それが二人の交わした最後の言葉になってしまった」
深い、深い悲しみの感情が、こちらにまで伝わってくる。
わたしは自分を産んでくれた人――――ペネロペのことを何も知らない。だけど、どうして彼女がわたしを身籠ったのか――――そして王太子様の前から居なくなってしまったのか、手に取る様に分かる。
「二人はとても、愛し合っていたのね」
許されない恋だと知りながら、それでも自分を止められなかった。本当はずっと、側に居たかったのだろう。だけどそれでも、愛する人のために身を引いた。
これがお伽話であれば、王子様に見初められた女の子は、お妃様になって幸せに生きるのだろう。だけどこれは、お伽話じゃない。
(ねえ――――王太子様が迎えに来てくれた時、どんな気持ちだった?)
もしもこの場にペネロペが――――もう一人のお母さんが生きていたとしたら、きっとわたしはそう尋ねている。嬉しかっただろうか。それとも悲しかっただろうか。そんなこと、考えたって仕方がないって分かっているのに、それでもつい想像してしまう。
「殿下は本当に一生懸命、陛下のことを説得してくれたのよ? だけど、受け入れてはもらえなかった。平民出身の妃なんて、過去に例がない。国民や貴族の理解を得られないって言われてしまったらしいの」
それは陛下の性格を鑑みれば、想像に難くない。王族は感情で動いてはいけない――――その教えを貫いてきた人だから。
「殿下はその間、何枚も何枚も、ペネロペに手紙を書いてくれたの。だけど、それが妹に届くことは無かった。
出産を機にあの子が亡くなって――――その時になってはじめて、殿下はご自身の書いた手紙が隠されていたという事実を知ったの。きっと、ライラと同じか、それ以上に憤られたのだと思うわ」
そう言ってお母さんは涙を流す。
(お父さん――――)
その時になって初めて、わたしは王太子様が自分のもう一人の父親なんだって実感した。涙がポロポロと零れ落ちて、悲しみとか怒りとか、よく分からない感情でいっぱいになる。アダルフォが背中をポンポンと撫でてくれて、少しだけ気持ちが楽になった。
「だけどね、ライラ。たとえ殿下に会うことが出来なくても、手紙が一枚も来なくても、ペネロペは幸せだった。何度も何度もお腹を撫でながら、毎日嬉しそうに笑っていたわ。貴方が居るから。殿下との子である貴方が居るから、ペネロペは幸せだった。
本当はあの子だって、自分の手であなたを育てたかった――――それなのに、今日まであの子のことを話してあげられなくて、ごめんなさい」
嗚咽を漏らすお母さんをお父さんが抱き寄せて、一緒に涙を流している。わたしは大きく首を横に振った。
「そんなこと、思わなくて良い! だって、わたしにとっては二人とも、大事な大事なお父さんとお母さんだもん! 二人がわたしにくれた愛情は本物だって知ってるんだから」
十六年もの間、わたしは何の疑いもなく、二人の子として育ってきた。それは、生みの親と同じかそれ以上に、二人がわたしに愛情を注いでくれたからに他ならない。
「ありがとう、ライラ。そう言って貰えると、とても嬉しいわ。
だけど本当はね、わたし達はもっと早くにあなたの出生の秘密を打ち明けるつもりだったの。そうしないと、ペネロペやクラウス殿下が気の毒で……二人があなたのことを心から愛していたことが伝わらないんじゃないかって。だけど」
ずっと思い悩んでいたのだろう。お母さんは表情に苦悩の色を滲ませている。
「――――――これを、ライラに読んでみて欲しいの」
そう言って取り出したのは、一通の古びた手紙だった。一目で上質だと分かる紙に、丁寧で綺麗な文字が並ぶ。署名を見て合点がいった。これは王太子様――――もう一人のお父さんから、お母さんに向けて送られた手紙だ。
深呼吸を一つ、紡がれた想いへと目を落とした。
【先日はライラに会わせてくれてありがとう。
少し会わない間に、ライラがすごく大きくなっていて、とてもビックリしたよ。僕の名前を呼んでくれて、笑顔を見せてくれて、抱っこもさせてくれるようになるなんて……顔を見るだけで泣かれていた頃が嘘みたいだ。本当にとても嬉しかった。
これまでライラのことを大切に育ててくれてありがとう。心から感謝している。
実は近頃、ライラを引き取った方が良いのではないかと、父や重鎮たちが騒ぎ始めている。結婚から三年が経ってもゼルリダに子が出来ず、将来を不安視し始めているらしい。
僕自身、いつかは父を説得して、ライラを自分の手で育てたいと思っていた。可愛い我が子の成長をこの目で見届けたい。その想いは今でも変わっていない。
だけど、君達を本当の両親だと思って、幸せそうに笑っているライラの顔を見て、気が変わった。君達の側で、普通の女の子として愛されながら育った方が、ずっとずっとあの子のためになるんじゃないか――――そう思い始めている。
僕はペネロペを妻にしてあげることが出来なかった。
もしも僕に『誰が妃でも関係ない』と思わせるだけの実力があれば、こんなことにはならなかった筈だ。今頃家族三人で仲良く笑い合って過ごせていたのかもしれない――――そう思うと悔しくて堪らない。
それに、ライラには、僕と同じ重荷を背負わせたくない。
王族としての柵など感じず、好きな人と幸せになって欲しいと、心からそう思う。
幸いなことに、ゼルリダもライラを引き取ることに反対している。彼女が反対する限り、父や周りも強く出ることは出来ない筈だ。
僕はこれから王太子として、ライラが幸せに暮らせる国を作っていこうと思う。ライラやこの国に暮らす皆の幸せのために、全力を尽くしていきたい。
そして、願わくば――――ペネロペが妃になったとしても、誰も文句を言えないような――――そんな自分を目指していきたい。
ライラももう五歳。今後は表立っての面会は控えた方が良いだろう。
だけど、僕は永遠にライラの幸せを願っている。
僕の分まで、どうか娘のことを愛してやって欲しい。
クラウス】
ポロポロと止め処なく涙が零れ落ちる。胸が熱くて、苦しくて堪らなかった。
(王太子様は――――クラウス殿下は――――紛れもなくわたしのお父さんだった)
顔も見たことがないだなんて、薄情なことを言い続けていた。知ろうとすらしなかった――――だけどわたしは、そんなお父さんの愛情に救われていた。この十六年間、ずっとずっと。
(ごめんなさい、お父さん……)
他人扱いして、ごめん。愛情が無いなんて疑って――――亡くなったことを悲しんであげることすらできなくて、本当にごめん。
どんなに泣いても、この気持ちがお父さんに届くことは無いって知っている。だけどそれでも、枯れてしまうんじゃないかってぐらいに、涙がポロポロと零れ落ちる。
その時、来客を知らせるベルが鳴り響いた。
「誰でしょう? ……俺が見てきます」
アダルフォが眉間に皺を寄せて立ち上がる。わたしは小さく首を傾げた。
(本当に誰なんだろう?)
こんな時間に人が来るのは珍しい。何なら非常識だと言われる時間だ。アダルフォが警戒するのも無理はない。お父さんも彼に続くようにして部屋を出た。
「――――えぇっ!?」
だけど、それから数秒。お父さんの素っ頓狂な声が聞こえてきて、お母さんと顔を見合わせる。急いで玄関に向かうと、直立不動のアダルフォの後に、来訪者の姿がチラリと見えた。
「アダルフォ? 一体どなた―――――」
そう言い掛けて、わたしは思わず目を見開く。
「陛下……」
そこには数週間ぶりに会う祖父――――この国の国王陛下が立っていた。




