哀しみに溶け込む
城に着いた頃には、空はすっかり暗くなっていた。途中で眠ってしまったため、どのぐらい時間が経ったのかは正確には分からない。
「こちらにどうぞ、姫様」
わたし達が使ったのは、隠し通路のようだった。古びているし、かび臭い。我慢して歩いた先には小さな扉があった。身体を縮こまらせて潜り抜ける。
(ここは……?)
扉の向こうも真っ暗だった。先導の騎士がゆっくりと何か大きなものを動かしている。隙間から段々と光が射し込んできて、ここが小さな部屋だということが分かった。どうやら本棚の裏に隠し通路が仕込まれていたらしい。
「姫様、申し訳ございませんが今夜はこちらでお休みください。明日、迎えのものが参ります。隠し通路は内側から鍵をかけていただければ使えませんので、どうぞご安心を」
そう言って騎士は、恭しく頭を下げた。ベッドや寝間着、軽食等必要なものは見る限り全て揃っているらしい。
(王太子さまの葬儀に参列するだけだもんね)
豪勢な部屋に通されなくて良かったと胸を撫でおろしつつ、わたしは小さく頷く。それからややして、騎士は元来た通路を戻っていった。
(さてと)
隠し通路に続く扉に鍵を掛けつつ、わたしは小さくため息を吐く。それから、部屋の端っこにある大きなベッドにダイブした。古くて小さな部屋だけど、掃除や洗濯は行き届いているらしい。全然埃は舞わなかった。
(そりゃそうか……お城だもんね)
ここが何のための部屋なのかは分からないけど、城内にある以上しっかりと管理されているのだろう。疲れた頭でぼんやりとそんなことを考える。
(まさかこんなことになるなんて思わなかったなぁ)
つい数時間前まで、王室なんて遠い雲の上の世界だと思っていた。一生関わることは無いだろうと思っていたのに、人生何が起こるか分からない。
とはいえ、それも明日の葬儀の間だけ。その後はお父さんとお母さんの元に戻って、また『ただのライラ』としての生活に戻る。
「――――王太子様、かぁ」
正直わたしは王太子であるクラウス様――――実の父親のことをあまり知らない。よく王都に御出ましになって国民と交流をしていたとか、遠くまで視察に行っていたとか、そういうことは噂に聞いているけど、顔も見たこと無いし人となりも分からない。
(明日、わたしはどんな顔をすれば良いんだろう)
泣いたり哀しい顔をした方が良いってちゃんと分かってる。だけど、それって案外難しいんじゃないかなぁなんてことを思う。
(そもそも、葬儀の時にわたしの居場所はあるのだろうか?)
だって、お母さんとお父さんがわたしを『引き取った』ってことは、わたしの存在は王室にとって不要――――もしくは目障りなモノだったんじゃないかなぁ。
それなのに、血が繋がっているってだけで葬儀に参加するなんて――――便宜的に呼ばれただけだろうし、歓迎されなくて当然じゃなかろうか。だからこそ、こんな部屋が宛がわれているんだろうし。
(すんごい端っこの方でお祈りだけさせてもらおう)
王女とは名乗らず――――というか自分で自分が王女だなんて思えないし――――、参列者の一人として礼拝堂の外から密かにお祈りをする。それで血縁者としての義務を果たしたことになるんじゃなかろうか。そんな風に考えながら、わたしはウトウトと目を瞑る。慣れない馬車なんて乗り物に乗ったせいか、身体がガッツリ疲れていた。
(貴族の御令嬢っていうのは大変ねぇ)
ふふ、と小さく笑いながら、わたしはそのまま眠りに落ちた。
***
(ふわぁ……すごい人)
厳かな雰囲気に包まれた宮殿の中、わたしは一人息を呑む。
今朝は早くから、わたしと同じか少し上ぐらいの女の子たちが数人部屋にやって来て、やれ着替えが、やれ食事がと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
(これがお姫様扱いって奴なのかも)
今後一生味わうことのない贅沢に、わたしはほんのり笑みを浮かべる。
着せられた喪服も物凄く良いものだってことが一目でわかった。多分だけど、わたしのクローゼットの服が全部買えちゃうぐらい高価だと思う。
「姫様、どうぞこちらに」
そんなことを考えていたら、昨日わたしを迎えに来た壮年の騎士がそう言って手を差し出した。葬儀の時間が近づいているのだろう。城内が俄かに騒がしくなっている。
「いえ……わたしはここから葬儀の様子を見守りたいなぁと思ってまして」
先程から貴族たちに溶け込めるよう、わたしは最大限の努力していた。溶け込むってのはつまり、目立ちもせず、かといって浮きもしないようにする――――居ても居なくても変わらない状況を作る――――ということだ。
「何を仰いますか! 姫様はクラウス殿下の実の娘なのですから、こんな隅っこに居てはいけません! さぁ、こちらに」
そう言って騎士はグイグイとわたしを引っ張っていく。どうやら選択肢はない、という奴らしい。
(それにしてもおじさん、声が大きいよ!)
既に何人かの貴族たちがこちらを振り向いている。『違うんです!』って言いたいけど、それが許される状況とは思えない。
そうこうしている内に、さっきまでとは比べ物にならない程、騎士達が多くいる場所に着いた。わたしまでピリピリとした緊張感を肌で感じる。
「陛下にお目通りを。事前にお許しは戴いております」
ある部屋の前まで来ると、騎士のおじさんはそんなことを口にした。待つこと数分。わたし達は宮殿内にある煌びやかな部屋へと案内された。
そこには男性が一人、黒い帳の掛けられた窓の方を眺めている。ロマンスグレーって言葉がピッタリの髪色に、綺麗な空色の瞳の男性だ。
男性はこちらを振り向くと、瞳を潤ませながらわたしのことを見つめる。
「君が――――ライラなのかい?」
男性は目を細めつつ、そう尋ねた。わたしはゴクリと息を呑む。
(……答えて大丈夫なのかな?)
もしかしなくてもこの人は国王陛下――――皆が言うことが本当なら、わたしの祖父に当たるのだろう。
貴族の世界では許しを得るまで口を開いちゃダメって聞いたことがある。今がどんな状況なのか、わたしにはちっともわからない。助けを求めて騎士のおじさんに目配せをすると、コクリと大きく頷かれた。どうやらオッケーって事らしい。
「はい……ライラと申します」
わたしはそう口にした。緊張で声が震えてしまう。だって、下手を打ったら簡単に首が飛んじゃう世界だって聞くもの。何が正解で何か間違いか分からないんだから、どうやったって緊張するに決まっている。
「あの子に――――クラウスによく似ている」
そう言って国王様は涙を流した。躊躇いがちにわたしの手を握り、それから哀し気に、愛し気に、わたしのことを見つめている。
(そうか……この人は息子を亡くしたんだものね)
身内が亡くなった経験の無いわたしには、正しく国王様の哀しみを理解できているかは分からない。だけど、少しだけ――――ほんの少し寄り添うことぐらいは出来ると良いなぁなんてことを思う。
しばらくの間、国王様はわたしの手を握ったまま肩を震わせていた。