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 それまでの怒涛の日々が嘘のように、至極ゆっくりと三週間が過ぎた。



(暇だなぁ――――

じゃなかった! 楽しい楽しい。めちゃくちゃ楽しい)



 街はずれの小高い丘でボーっとしつつ、わたしは頭をブンブン振る。

 お母さんが作ってくれた茶菓子をバスケットに詰め、お気に入りの本とティーポットを携え、綺麗な花畑でのんびり過ごす。誰に邪魔されることも無い。絵に描いたみたいな自由な過ごし方だ。楽しくない筈がない。だって、これが城に連れて行かれるまでのわたしの日常だったんだもの。



(お城に居たら、今日は経済学の講義の日かなぁ。それか帝王学? 地理と歴史と外国語の講義も――――――)



 だというのに、気を抜いたら、ついついそんなことを考えてしまう。何かしている、っていうのが常態化してしまったせいで、のんびり過ごすことがとことん下手糞になってしまったらしい。先程から、開いた本を数行読んでは閉じ、お菓子を一口齧っては置き、ボーっとしては本を開き、ということを繰り返している。



「ねえ、アダルフォ。わたしって元々、どんな風に過ごしてたんだっけ?」


「…………実際に見たわけではありませんが、恐らくは、今と同じような過ごし方かと」


「だよねぇ」



 やっていることは前と全く同じ。なのに、感じ方が変わってしまった、っていうのが正直なところ。

 会いたい人にも粗方会って、行きたいところにも行き尽くしたから、何かしていないと時間が勿体ないなぁなんて気分になってしまう。



(どうやって時間潰そう――――)

「――――まぁ、本当にこんな所にいらっしゃったのですね!」



 鈴を転がすような声音が聞こえ、わたしはアダルフォと一緒に振り返る。



「あっ……! シルビア! エリーも!」



 柔らかな笑みを浮かべ、聖女シルビアがこちらに向かって手を振っている。侍女のエリーも一緒だ。



「ご無沙汰しております、姫様」


「久しぶりねぇ……って、一週間前にも会ったじゃない」



 言えば、シルビアは朗らかに微笑みつつ、わたしの隣へと腰掛ける。


 シルビアは週に一回、こうしてわたしに会いに来る。元々定期的に街を回り、祈りを捧げているからっていう理由で、他の人よりもフットワークが軽いんだそうだ。

 彼女はここに来るたび、城や陛下の様子を教えてくれる。曰く、わたしが退屈しないようにってことらしい。



(ランハートもシルビアも、わたしが『退屈する』ってことが前提なんだもんなぁ……)



 定期訪問があるのはシルビアだけじゃない。

 エリーはわたしが家に帰ってすぐに、休みを取って会いに来てくれた。涙ながらに手紙の件を謝られて、なんだか申し訳ない気持ちだった。



(陛下のせいで手紙が届かなかったのも、ゼルリダ様に手紙を奪われ、そのことを報告できなかったのも、全部エリーのせいじゃないもの)



 おかげで真相が分かったんだし、寧ろ感謝してるって伝えたら、エリーはこっちが心配になるぐらい泣いていた。



 バルデマーもランハートも、花やら宝石やら、お土産を持ってしょっちゅう家に来ている。最近では、講師陣や侍女頭、宰相やら騎士団長まで訪れるようになった。


 そして、それら殆どの人間が『城に戻って来い』ってそう言うのだ。



(まあ、当然っちゃ当然よね)



 せっかく時間もお金もふんだんに掛けて、次期後継者を育成していたんだもの。簡単に逃すわけにはいかないのだろう。正直、わたしが彼等でもそうするもの。応えてあげられないのは大変申し訳ないけど、元々わたしが望んだことじゃないんだし、大目に見て欲しいなんて思う。


 そんな中、『戻って来い』と言わないのは、ランハートとシルビア、それからエリーぐらいのものだ。


 だけど、シルビアは『戻れ』と言わない代わりに、今でもわたしをお姫様扱いする。


『姫様は姫様ですもの』


 そう言って微笑む彼女は、しなやかなようでいて、とても頑なだ。



「姫様、お茶のお替りを持って参りましたわ。それから、刺繍の図案と、最近王都で流行っている本、最後にバルデマー様からの贈り物とお手紙です」



 シルビアはエリーに目配せをし、持参したバスケットの中身を広げる。のんびりさせたいのか、忙しくさせたいのか、よく分からないラインナップだ。



(本当はもう、お腹がタプタプなんだけど)



 折角持ってきてくれたものを無駄にはできない。アダルフォも巻き込んで、皆でお茶をいただくことにした。


 シルビア達が持ってきてくれたのは、バラの花びらで香りづけをした、大層オシャレな紅茶だ。舌やお腹を満足させるというより、香りを楽しむために作られた贅沢品で、自分じゃ絶対選ばない代物。シルビアの女子力の高さをひしひしと感じる。



「……ねえ、もしもシルビアは『明日から聖女の仕事をしなくて良い』って言われたら、どうする?」



 性格や価値観は違えども、シルビアとは境遇が似ている。もしもシルビアがわたしのように自由を手にしたらどうするか、ふと気になったのだ。



「まあ……! そんなこと、考えたこともございませんでしたわ」



 問い掛けに目を丸くすると、シルビアはそっと首を傾げる。



「そうですわねぇ……優しい誰かと結婚して、子どもを産んで、こんな風にゆっくりとお茶を飲んで過ごしたいと思いますわ。緑豊かな領地だったら最高ですわね」



 ニコリと微笑みながら、シルビアはどこか遠い目をする。



「ですが、楽しいのは最初の内だけだと思いますわ。こうして聖女として働くことは、謂わばわたくしそのもの。いつの間にかお祈りを始めて、色んな街を巡って、聖女として動いていると思いますの。

例えば、ある日突然聖女としての力が無くなったとしても、わたくしはわたくしに出来ることを続けるのだと思います」


「…………そっか。そうなんだね」



 胸のあたりがチクチクと疼く。それが何なのか分からないまま、わたしは小さく息を吐いた。



「シルビアはすごいね」



 元々自分で選んだ道じゃなかったのに、それでも真っ直ぐ進み続けている。途中でコースアウトしちゃったわたしとは大違い。シルビアだって、嫌なこととか苦しいこととか、たくさんたくさんあっただろうに、そういうことをちっとも感じさせない。



「いいえ、姫様。わたくしがこんな風に思えるようになったのは、姫様のお陰ですわ」


「……え? わたし?」



 問えば、シルビアは力強く頷く。



「何で? わたし、いつだってシルビアに貰ってばかりで、何も出来ていないのに」


「わたくしね、これまでずっと、自分の感情と向き合わずに生きてきましたの。考えれば考えるほど、悲しくなったり、寂しくなったり、時にイライラして辛くなりましたから」



 ポツリポツリと言葉を連ねるシルビアは、どこか儚げで、寂しい空気を纏っていた。



「作り笑いを浮かべていれば、誰からも詮索されない。楽しいふり、喜んでいるふりをして、『わたくしは幸せだ』って自分を納得させてきました。怒りも悲しみも、微笑んでさえいれば、存在しない気がしてくる。

ずっとずっと、このままで良いと思っていましたわ。誰かの操り人形で居ようって。その方が楽だからって。

だけど、姫様にお会いして、それじゃいけないと思ったのです」



 何故だろう。目頭がじわりと熱を持つ。シルビアの瞳にも、薄っすらと涙が溜まっていた。



「姫様が悩んだり、苦しんだり、家族を恋しがっている姿を見て、わたくしは初めて自分の気持ちに向き合うことが出来ました。わたくしはずっと、寂しかったんだって――――そんなことにすら気づかずにいたのです。

明るくて、素直で、戸惑いながらも前に進もうとする姫様は眩しかった。誰かに舗装された、美しい道程を漠然と進むわたくしとは違う。険しくとも、ご自分でご自分の道を切り拓いて行かれる方だと思いました。

そんな姫様を見ながら、わたくしも、自分の足で自分の道を歩んでみたいと――――初めてそう思ったのです」



 感情を表に出すべからず――――王族としての教育が始まってすぐ、わたしはそう教えられた。それなのに、今のわたしの顔は、みっともない程クシャクシャだ。


 その教えの真逆を行っているのだから、わたしはとても、出来の悪い生徒だったのだと思う。


 だけど、それが誰かの――――シルビアの助けになったのなら、こんなにも嬉しいことは無い。わたしが城に連れて行かれた意味もあるのかもしれない、なんて思った。



「ねえ、姫様。わたくし、感情豊かであることは、悪いことだとは思いません。

姫様は誰かの鏡となりうる人。わたくしの感情を映し出してくださったみたいに、他の人にも同じことが出来ると思いますの。

だって、姫様に会いに来ている皆さまは、誰一人として陛下にそうと命じられたわけではありません。皆、自分の意思で姫様に会いに来ているのです。

あなたには、人の気持ちが分かる。平民と貴族、両方の気持ちと価値観がお分かりになるでしょう? これは陛下やランハート、ゼルリダ様には持ち得ない強味です。

わたくし、姫様は良い君主になられると、そう思いますわ」



 シルビアはそう言って穏やかに目を細める。



(うん、とは言ってあげられないけど)



 ありがとう、って口にして、わたしは小さく笑った。

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