必要
朝食が終わって数刻後のこと。
応接室のソファに腰掛け、目の前に跪く男性を見遣る。自分が『姫君だ』って初めて聞かされたのと同じ場所だ。
「姫様……! ご無事で良かった。心から安堵いたしました」
綺麗な顔をクシャクシャにし、ほぅと小さなため息を吐いたのは、今日も今日とて王子様みたいな風貌をしたバルデマーだ。
(全く、情報が早いことで)
わたしが城を去って約半日。このまま誰も連れ戻しに来ないんじゃないかって思っていたけど、さすがにそうはいかなかったらしい。小さくため息を吐いてから、わたしはバルデマーに向き合った。
「――――わたし、もうお姫様じゃないんだけど。陛下にそう聞かなかった?」
唇を尖らせて尋ねれば、バルデマーは困ったように首を傾げる。
「そんな風に仰らないでください。我が国には姫様が必要なのですから」
そう言ってバルデマーはわたしの手を恭しく握る。手袋越しに感じる体温。ついついたじろいでしまう。
(こういう触れ合いはどうしても慣れないなぁ)
救いを求めてチラリと後を振り返れば、アダルフォが微かに顔を顰めていた。
「……わたしが必要だなんて嘘よ。バルデマーが王配になりたいからそう思うだけ。
だって、わたし以外にも王位継承者はいるじゃない? ランハートやゼルリダ様は生粋の貴族なんだから、元々平民として育ってきたわたしより、ずっと適任だもの。
そりゃあ、これまで王配になるべく頑張ってくれたのに、申し訳ないなぁって気持ちはあるけど」
事実、この数か月間、彼はわたしのために色々と努力をしてくれた。
誰とも食事ができなくて寂しがってるわたしの所にやって来て、一緒にお茶をしてくれたし、話し相手になってくれた。お姫様扱いして、大切にしてくれた。
それは、わたしを好きだからじゃなく『王配になるため』ではあったけど、頑張ってくれたことには変わりない。失われた時間は戻ってこないし、罪悪感を感じてしまうのは仕方がないと思う。
「私は――――――姫様が一番、次の君主に相応しいと思っています」
バルデマーは何度か言葉を呑み込んでから、そう口にした。その様子に、思わず小さく笑ってしまう。
(バルデマーは嘘が吐けない人なのね)
正直で誠実な、優しい人。思ったことを素直に口にするんじゃなくて、思っていないことは決して口にしないタイプ。多分、ランハートと違って、世渡り下手で不器用なんだと思う。
だからこそ、我武者羅にわたしに向かってきたし、その野心を隠しきれなかった。完璧な見た目からは分からないそういう部分にこそ人間味を感じて、わたしとしては惹かれるものがある。
(まあ、だからといって、今更意味は無いんだけど)
だって、わたしは城に戻るつもりがない。貴族とか王族とか関係のないこの場所で、『ただのライラ』として幸せに生きる。
そうすれば、貴族である彼との接点は無くなるのだから。
「――――平民の生活を知る君主が出る――それは我が国にとって、とても大きなことです。貴族や王族にとって、本当の意味で国民に寄り添うことは難しい。姫様にもお分かりになるでしょう?」
「……そうね。本当にその通りだと思うわ」
この数か月間で、わたしは嫌と言う程そのことを思い知った。
ずっとずっと、陛下が歩み寄ってくれるって信じていた。わたしの気持ちを理解して、少しでも寄り添ってくれるだろうって期待していた。
だけど実際は、両親への手紙を隠されたうえ、そのことに対する罪悪感すら抱いていなかった。
きっと彼には一生、わたしの気持ちなんて理解できない。
「どうか戻ってきてください。私にはあなたが必要なんです」
「――――そう言えって陛下に命じられたの?」
「いいえ、私自身の意思です。寧ろ陛下は『放っておけ』と仰っていましたから」
「……そう」
やっぱり陛下はわたしを追おうとしなかったらしい。ふぅ、とため息を吐くと、バルデマーは徐に立ち上がった。
「また参ります」
そう言ってバルデマーは手の甲へとキスを落とす。ほんの少しだけ、心臓が跳ねた。
「……ところで、アダルフォ殿はいつまでここに?」
去り際、ふと気になったのだろう。バルデマーがこちらを振り返り、そう尋ねる。
「――――いつまででも。俺の主はライラ様ですから」
淡々と答えるアダルフォに、彼は微かに目を丸くした。想像だにしなかったのだろう。
「本当に良いの? わたし、お給料もまともに出してあげられないのに」
朝食の後、アダルフォはこのままここに留まって、わたしの警護をしたいと言ってくれた。
今のわたしはただの平民だし、警護の必要なんてない……と、言いたいところだけど、一回姫君として発表されてしまったので、しばらくは危ないだろうなぁと思う。お父さんやお母さんを危険な目に遭わせたくないし、正直言って有難い申し出なのだけど。
「もちろんです。如何様にも――――ライラ様のお好きなようにお使いください」
そう言ってアダルフォは恭しく頭を下げる。
そんなアダルフォのことを、バルデマーが冷ややかな目で見つめていた。
 




