変わらない朝
数か月ぶりの我が家。数か月ぶりに眠る自分のベッド。
だけどお布団はふかふかと柔らかく、干したてのお日様の香りがした。
「おはよう、ライラ」
朝、キッチンに向かうと、お母さんが笑顔で出迎えてくれる。
野菜がたくさん入ったスープの香り。温かい湯気が立ち上る。多分中身は昨夜の余り物を無秩序にぶち込んであるんだと思う。だけど、それがとっても美味しいんだってことをわたしは知っていた。
(お母さんらしいなぁ)
少し焼き過ぎたパンの香りが食欲をそそり、鮮やかな果物のジャムが食卓に並んでいる。
お城では完全無欠の食事しかテーブルに並ばなかったうえ、毒見後の冷たい食事しか食べられなかった。だから、こんな風に温かい食事を見るのは久しぶりだ。
「お腹空いたでしょう? すぐに朝ごはんにしましょう?」
温かな笑顔。まるで昨日までの日々が嘘みたい――――城に連れて行かれるまでに過ごしていたのと全く同じ朝だった。
何ら特別なことは無い。だけど、それが物凄く嬉しい。
「うん! もう、お腹ペコペコ」
瞳に薄っすら溜まった涙を拭って、わたしは席に着いた。
「おはよう、ライラ」
いつものように庭仕事から帰って来たお父さんが、そう言ってわたしのことを抱き締める。土塗れの汗まみれ。だけど、それがとても愛おしい。
「おはよう、お父さん」
お父さんを抱き返しながら、わたしはまた、こっそりと泣いた。
「さあ、あなたも早く席に着いて? 貴族の方のお口には合わないかもしれないけど」
「いえ、俺は……」
いつもと同じ朝。だけど、一つだけ、いつもと違うことがあった。
皺ひとつない騎士装束に身を包み、部屋の片隅に控えているアダルフォの存在だ。
昨夜アダルフォは、縺れる様にして抱き締めあったわたし達家族をたっぷり一時間、見守ってくれた。あんな真夜中に、三人が三人ともめちゃくちゃ無防備だったから、わたしが姫じゃなかったとしても危なかったと思う。だから、彼の存在はとても有難かった。
その後、そのまま馬車の中で休むと言うアダルフォを、わたしが無理やり家の中に引き摺り込んだ。彼の部屋よりはずっと狭いだろう客間に案内して、そこで休むように伝えたのだ。
そういうわけでアダルフォは、未だ我が家の中にいる。
「遠慮しないでよ、アダルフォ。お母さんの料理、すっごく美味しいよ」
わたしが言えば、彼はほんのりと眉間に皺を寄せた。よく分からないけど、何かしら葛藤しているらしい。長身の彼が立っていると、天井が物凄く低く見える。それが何だか可笑しくって、わたしはアダルフォの手を思い切り引いた。
「っていうか食べなきゃダメ。これ命令だから、ね」
アダルフォは渋々といった様子でわたしの隣に腰掛ける。そう言えば、彼とこうして食卓を囲むのは初めてのことだ。『従者は姫君とテーブルを共にしない』とか何とか言って、いつも断られていたんだもの。何となくだけど、さっき彼が葛藤していた理由が分かった気がした。
「さ、食べよ?」
全員で手を合わせて微笑み合う。正直それだけで胸が一杯だった。だけど、いただきますをして、スープを一口含んだその瞬間、胃が勢いよく動き始める。もっともっとって身体が求めているのが分かって、わたしは苦笑を漏らした。
「どう? 美味しい?」
お母さんが不安気に首を傾げる。城の食事で舌が肥えたんじゃって心配しているみたい。
「美味しいに決まってるじゃない! 世界で一番美味しいよ」
ボロボロと零れる涙をそのままに、わたしは次々と料理を口に運ぶ。
わたしを覆っていた重たい鎧がボロボロと剥がれ落ちるみたいだった。剥き出しになった心が、優しく、温かく包み込まれていくみたいだった。
(本当に帰って来たんだなぁ)
少しずつ、少しずつ、実感が湧いていく。
お父さんとお母さんは、事情を詳しくは尋ねなかった。手紙すら届いていなかったんだもの。不義理な娘だと思われていたんじゃないか、って少しだけ心配だったけど、そんなことは一切なかった。ただありのままに、わたしのことを受け入れてくれている。
「良かったですね、ライラ様」
アダルフォがそう言って穏やかに微笑む。こんなに優しい彼の顔は初めて見る気がする。何だか嬉しくなって、頷きながら、わたしはまた涙を流した。




