我が君
私室に戻ると、煌びやかで重たいドレスをベッドに脱ぎ捨て、初めて城に連れてこられた時に着ていた服を引っ張り出した。
(捨てられなくて良かった……)
本当は処分されるところだったんだけど、エリーが気を利かせて取っておいてくれたのだ。季節が一つ、冬から春に巡っているから少し生地が厚いけれど、どうせ着るのは短時間だから問題ない。家に帰るまでの間に着られる服が有れば、それで構わなかった。
(わたしはもう、お姫様じゃない。お姫様じゃないんだ!)
洋服を着替え終えたわたしは、全身がビックリするほど軽いことに気づいた。物理的な重さが違うってのも当然あるけど、精神的なもの――――プレッシャーが与える影響って大きかったんだって実感した。
(さて、と)
城から脱出する前に、応接室に取り残したままのエメットを迎えに行かなきゃならない。何せ事情を何も説明しなかったので、今頃は困惑しているだろうし、ヤキモキしているだろう。
(エリーが話し相手になってくれてたら良いんだけど)
とはいえ、エリーの精神状態も心配だ。責任感の強いエリーのこと、今頃はきっと、自分自身を責めていると思う。さよならをする前に、手紙の件はエリーのせいじゃないってこと、わたしがすごく感謝しているってことを伝えなきゃいけない。
(急がなきゃ)
この時間から貸馬車が捕まるかは分からないし、真っ暗な中歩くのは危ないから、もしかしたら宿を取らなきゃいけないかもしれない。だけど、わたしは現金を持っていないし、エメットがわたしの分までお金を持っているか不安だった。
(お駄賃に一個ぐらい貰っとく?)
先程外したばかりのジュエリーをチラリと視界に入れつつ、わたしは首を横に振る。
いつも、何処からともなく与えられる煌びやかな宝飾品達。大粒のエメラルドのイヤリングも、小さなダイヤがいくつも連なった豪奢なネックレスも、全部全部国民の血税から購入されたものだ。おいそれと持ち出してはいけない。
――――っていうか、わたしはもう姫君じゃなくなったんだし、触れる権利すら失っていると思う。
(あっ、だけど……これなら大丈夫かも)
唯一、個人から贈られた宝石を手に、わたしは小さく息を吐く。それは、ランハートが今日のために準備してくれたブレスレットだった。デザインがあまりゴテゴテしてないし、可愛らしい小さめの石だから、多分そこまで高価じゃない。それでも、担保として差し出せば宿代ぐらいにはなるだろう。
ブレスレットを着けなおし、わたしはゆっくりと立ち上がる。
(――――この部屋ともお別れね)
色んなことが一気に頭を過るけど、のんびりしている時間はない。邪魔が来ない内に、さっさとここを出よう――――そう思って扉を開けると、部屋の前にはアダルフォが立っていた。
「アダルフォ」
彼の名を呼びながら、わたしはゆっくりと深呼吸をする。
このまま何事もなく城を出られるかもしれない――――ついさっきまで、わたしはそんな風に思っていた。
陛下はプライドが高いし、みっともなく追い縋ることはしない。わたしの頭が冷えて、城を出るのは非現実的だと諦める――――そんな期待をするんだろうって思っていた。だけど――――
「……わたしを引き留めに来たの?」
陛下は人間をただの道具だと思っているから、自分の手が汚れないなら何でもするのかもしれない。そう思うと、何だか絶望的な気持ちになる。
「いいえ。その逆です」
彼はそう言って恭しく頭を下げる。
「ご自宅までお送りします。幼馴染の彼も一緒に」
「えっ……?」
それは思わぬ申し出だった。馬車も宿も、何もかも自分で調達しなきゃって思っていたし、そうするつもりだった。
「良いの?」
正直わたしは、アダルフォやエリーには絶対反対されるって思っていた。二人とも愛国心が強いし、わたしのことを心から心配してくれている。今更平民に戻ったら皆が困るし、危ないって言われるんだろうなぁって思っていたのだけど。
「ええ。既に馬車の準備は整っておりますし、幼馴染の彼にも事情を説明し、そちらでお待ちいただいています」
アダルフォの言葉に、わたしは目を丸くする。短時間でここまで準備を進めてくれたことが驚きだし、こんな風に協力してくれることが信じられない。
普通の家出だって、大抵は引き留められるものだろうし、片棒を担ぎたくはないってことで放置をするものだと思う。だって、そうしないと責任問題になっちゃうもの。
「だけど、本当にそんなことして良いの? 後でランスロットや陛下から罰を受けるんじゃ……」
わたしだって、元々は他の誰かを巻き込むつもりはなかった。だけど、意地を張っていられる状況じゃないし、助けてもらえるならありがたい。不安と期待を胸にアダルフォを見れば、彼は穏やかに目を細めて笑った。
「俺の主人は姫様――――あなたです。あなたがここを出ると決めたなら、その手伝いをする。騎士として当然のことです」
そう言ってアダルフォはわたしのことをまじまじと見つめる。真摯な瞳。何だか目頭が熱くなった。
「だけどわたし、もうお姫様じゃないよ? それでも良いの?」
「もちろんです。我が君――――ライラ様」
アダルフォはそう言ってわたしの手を握る。堪えていた筈の涙が一気に溢れ出した。
「急ぎましょう。これ以上遅くなっては危ないですから」
「――――うん!」
気を取り直して、わたしは城を出るべく歩き始めた。




