姫様のせいですよ?
楽しい時間はビックリする程あっという間に過ぎて行った。
(帰りたくないなぁ)
朝が来たら、また勉強漬けの日々が待っている。別に、一生遊び暮らしたい訳じゃないけど、こんな風に肩の力が抜くことの出来る場面がもっとあると良いなぁなんて切に思った。
「ねぇ、アダルフォ……ちょろっと寄り道して帰っちゃダメだと思う?」
「――――――ダメでしょうね」
アダルフォに尋ねれば、彼は至極申し訳なさそうに眉根を寄せた。
(ですよねぇ……)
馬車へと乗り込みつつ、わたしは小さくため息を漏らす。
「あっ、気にしないでね! 元々分かってて聞いたことだし。昼間より夜の方が危ないものね」
「はい、姫様。お気遣いありがとうございます」
アダルフォはわたしが腰を下ろしたのを確認すると、馬車の扉をゆっくりと閉める。
城までの帰り道、わたしは馬車に揺られるだけだけど、警護する方は気を張らなきゃいけない。おじいちゃんのお許しも得られていないのだし、直帰しなきゃいけないのは当然っちゃ当然だ。
小さくため息を吐きつつ、わたしは窓の外からこちらを覗っているランハートに向けて微笑みかけた。
「今日はありがとう、ランハート。とっても楽しかったわ!」
馬車に乗る前も一頻りお礼を言ったのだけど、改めてそう口にすると、彼は目を細めて笑った。
「それは良かった。だけど姫様、残念ながら『楽しかった』だけでは十分じゃありませんね」
ランハートはコンコンと窓を叩き、開ける様に促す。
「これ以上ない褒め言葉なんだけどなぁ」
馬車の窓を開けつつ、わたしは小さく首を傾げた。
ランハートがわたしの求めてやまないものを与えてくれたんだもの。これでも本当に感謝しているのだ。
(ほんのひと時の間でも、本当に楽しかったし幸せだったんだから)
むすっと唇を尖らせると、ランハートはクスクス笑いつつ、こちらに向かって手を伸ばした。
「少しは僕のこと、好きになってくれました?」
頬に触れる指の温もり。挑戦的な笑みに、胸がキュンと疼いた。
「なっ……それは、えぇと………」
(しまった)
「少しはね」って軽く返したら良かったのに、あろうことかわたしは、戸惑い、言い淀んでしまった。
(これじゃまるで『そうだ』と答えているようなものじゃない)
ランハートはわたしの反応に満足したらしい。ケラケラと笑いながら頭を撫でてきた。
「……わたし、まだなんにも言ってないんだけど」
「ええ。言葉では何も言われてませんね」
自分で腹黒いと言うだけのことはある。ランハートは意地悪な笑みを浮かべつつ、小さく肩を竦めた。
「~~~~っ! 大体、ランハートが悪いのよ? 『姫様を想って』みたいな言葉は綺麗ごとだって、前に自分で言っていたじゃない。わたしの心を掴もうとするのは面倒みたいなことも言っていたでしょ? それなのに、『少しは好きになってくれました?』なんて聞く方がどうかと思うわ」
以前のランハートとのやり取りを思い返しつつそう口にすると、何だか胸がムカムカしてくる。
(あの時は感心こそすれ、イライラなんてしなかったのになぁ)
どうしてそんな風に感じるのか、その理由が分からなくて、わたしはプイと顔を背ける。何だか無性に頬が熱いし、心臓のあたりがザワザワして落ち着かない。
「そう言えばそうですね」
すると、ランハートはそんなことを言いながら目を丸くした。どうやら無自覚だったらしい。
「しっかりしてよね」
言いながら思わずため息が漏れる。
一度方針を定めたなら、簡単にブレちゃいけない。トップの人間は尚更そう。わたし達がブレたら、動いてくれる文官や騎士達は困ってしまうもの。
(仮にも王配になろうって言うなら、その辺は押さえておいてもらわないと)
そんなことを考えていたら、ランハートはこちらに向かって身を乗り出した。彼の綺麗な顔がゆっくりと近づいてきて、わたしは思わず身を強張らせる。その瞬間、指先にチュッて柔らかな感触が走って、わたしは目を見開いた。
「――――姫様のせいですよ?」
(何それ……何それっ!)
そう言って微笑むランハートはあまりにも魅惑的で。身体中の血液が一気に沸騰するのが分かった。
「~~~~~~アダルフォ、帰るわよっ!」
「はい、姫様」
それまで黙って待ってくれていたアダルフォは、小さく頭を下げてから馬車の隣に並び立つ。
「じゃあまた。気を付けて帰ってくださいね、姫様」
ランハートは手を放してから、至極楽しそうに手を振った。
(言われなくても気を付けるわよ)
馬車の窓を閉めながら、わたしはフイと顔を背ける。
何やら一気に疲れてしまった。目を瞑りつつ、一呼吸吐く。
(アダルフォには悪いけど、馬車の中で少し休ませてもらおう)
そんなことを考えていたら「アダルフォ、姫様をよろしくね」っていうランハートの声が、微かに耳に届いた。
***
慣れない夜会で存外疲れていたらしいわたしは、馬車の中で一人、ウトウトと微睡んでいた。規則的な揺れが気持ち良いし、何だか余韻みたいなものを感じてしまう。
(ホント、楽しかったなぁ)
たとえそれが意図的に作り上げられたものであったとしても、自分が自分らしくいられる場所があるのは有難い。お姫様扱いでありながら、それだけじゃない絶妙な扱いが、今のわたしにはとても心地良かった。
(……お父さんとお母さんは今頃どうしているかな?)
段々と城が近づいてきている。街の灯りを眺めていると、両親と暮らした町のことが思い出された。
(頑張ろう)
早くお父さんとお母さんに会いたい。おじいちゃんに『会わせても良い』って思ってもらえるように、及第点を叩きださなきゃいけない。
全てはわたし次第。
折角こうして息抜きもさせてもらったのだし、頑張らないと――――。
「――――――ライラに一目会わせてください!」
その時だった。
風に乗って微かにそんな声が聞こえてくる。その途端、ピタリと馬車が停まって、わたしは身を乗り出した。
「アダルフォ?」
「……申し訳ございません、姫様。こちらの門は障りがあったようで」
アダルフォは申し訳なさそうに眉根を寄せる。だけどわたしは、そんなことはどうでも良かった。
「――――姫様は今出掛けていらっしゃる。ここにはいらっしゃらない」
「いっつもそう言ってるじゃありませんか! じゃあ、一体いつなら会わせてくれるんですか⁉」
「そもそも、会わせられないと言っているだろう!」
耳を澄ませれば聞こえてくる懐かしい声に、わたしは胸を躍らせる。
(間違いない)
「姫様⁉」
馬車の扉を開け、アダルフォが止めるのも聞かず、わたしは勢いよく走り出す。
「エメット!」
声を張り上げれば、数人の男性が一斉にこちらを振り返る。
「ライラ!」
そこにはわたしの幼馴染――――エメットが立っていた。




