ランハートの提案
それは、ランハートに渡すための刺繍が出来上がり、彼をお茶会へと誘った時のことだった。
「夜会?」
「ええ」
わたしの問い掛けにランハートは笑顔で答える。シルビアが居ないためか、今日の彼は毒気が少なく、幾分話しやすい。ソファに優雅に腰掛け、紅茶を楽しむランハートは、中々に絵になる貴公子ぶりだった。
「姫様に刺繍のお礼をと思いまして」
「お礼って……だけどこれ、元々あなたが贈ってくれた布と糸だし、わたしは未だ公務デビューしてないもの」
お礼にお礼を返されたらキリがないし、公に姫と呼べるか微妙な立ち位置のわたしが、夜会なんて大層なものに出席して良いのだろうか。そんなわたしの疑問を感じ取ったのか、ランハートはクスクスと笑った。
「ああ……夜会と言っても極小人数、内輪の人間を集めた非公式のものですし、既に陛下の了承も得ています。姫様もいきなり公務に出るより、少しずつそういう場に慣れた方が良いだろうからって言ってましたよ」
「そう。なんか……ランハートってわたしよりおじいちゃんと仲良しよね」
毎度毎度、ランハートの根回しの速さには感心してしまう。別におじいちゃんに裏を取っているわけじゃないけど、彼のこの行動力とかを鑑みたら、多分本当のことなんだと思う。
「共に過ごしてきた時間が違うだけですよ。それに、陛下は姫様のことを殊の外大事に思っていらっしゃいます」
「そりゃあ、唯一の孫――――跡取りだからね」
ほのかに唇を尖らせつつ、わたしはふいと顔を背ける。
「まぁまぁ、そう言わず。姫様だって貴族のパーティーに興味がおありでしょう?」
「そりゃ……無いって言ったら嘘になるけど」
だって、わたしの中の貴族のイメージって、豪華なドレスや宝石を身に着けて社交に勤しんでる、みたいな華やかな感じだったもの。実際どういうものなのか、この目で確かめたいって思うのは普通の感覚だと思う。
それに、今受けている講義だって、半分ぐらいは社交に関するものだ。そのくせ、礼儀作法やダンスを実践する場は公務を担っていない以上、極端に少なく、かといっていきなり公務で実践するのもかなり怖い。
相手が国内の貴族ならまだ良いけど、他国の貴族や王族を相手にしなきゃいけないことも多々あるっていうんだもの。非公式に場数を踏めるのは、正直言って有難い。
(それに……)
「ねえ、ランハート。もしかして……わたし、夜会の間は外に出ても良いの?」
「もちろん、その点も当然、陛下に許可を戴いています。まぁ、終わったら速やかに城にお帰り頂く必要がありますけどね」
その瞬間、わたしの瞳にランハートから後光が射しているように映る。トクトクと心臓を高鳴らせつつ、わたしは小さくため息を吐いた。
「ランハートってホント、ピンポイントで人の弱点を攻めてくるわよね」
「それはそれは……お褒めに預かり光栄です」
そう言ってランハートは楽し気に瞳を細める。
刺繍のときもそうだったけど、ランハートにはわたしがどうやったら自分の思い通りに動くのか把握しているらしい。
城に軟禁状態になっているわたしにとって、外に出られるという、ただそれだけのことがどれ程嬉しいか――――そのことを彼はきちんと分かっているのだ。
そのために必要な大義名分や根回しを的確に把握して動ける辺り、彼の自己評価は間違っていないと思う。
それに、夜会の開催とか采配みたいなことは、バルデマーにとっては苦手分野だろう。交友関係が広く、華やかなことが大好きなランハートだからこそできることだ。だから、自分の得意なことで攻めるやり方は決して間違っているとは思わないし、嫌いじゃない。
「と、いうわけでこちらが招待状です」
「ありがとう。……って、一ヶ月後? ちょっと準備期間が短いんじゃない?」
頭の中でこれからするべきことを思い浮かべつつ、わたしはランハートに問い掛ける。
わたしのワードローブはおじいちゃんのお蔭で充実してはいるけど、夜会に赴くとなると別途ドレスを新調しなきゃいけないんじゃなかろうか。
それに、ダンスや礼儀作法、社交術なんかもまだまだ習得途中だ。あと一ヶ月で自信を持って披露できるかと問われたら「否」と答えてしまいそうになる。
「そんなことはありません。貴族にとって急なお呼ばれは日常茶飯事です。
とはいえ、姫様は王族――――未来の王太女でいらっしゃいますから、僕等みたいに今日明日、って形での招待はそう無いとは思いますけどね。
それに、何事も短期集中で学んだ方が効率が良いでしょう?」
「まぁね……確かにそうなんだけど」
刺繍の件だって、両親に贈り物をするっていう明確な目標があったから、短期間で頑張ろうと思えた。講師たちも、明確な期日がある方が教えやすいだろうとも思う。
単純に、わたしの逃げ道が無くなってしまうってだけで。
(――――まぁ、良いか)
遅かれ早かれ通らなければならない道なら、さっさと通過してしまった方が良い。綺麗に舗装までしてくれるのなら、それが何よりじゃない。
わたしの表情から感情を読み取ったのだろう。ランハートは「決まりですね」と言って、満足気に微笑んだ。
「あっ、エリー! 良いところに来てくれたわ」
その時、お茶のお替りを持って、侍女のエリーがやって来た。エリーはビクッと身体を震わせたかと思うと、何やらぎこちない笑みを浮かべる。
「姫様、何かわたくしに御用でしょうか?」
「あっ、うん。用というかお願いなんだけど、今度ランハートの主催する夜会に出席することになったの。だから、エリーにも色々と準備を手伝ってほしいなぁと思って。ほら、ドレスとか髪型とか、エリーが一番詳しいでしょう?」
「えっ……ええ、けれどわたくしでは――――――」
エリーはそんな風に言葉を濁らせる。わたしは小さく首を傾げた。
(やっぱりだわ……最近のエリーは何かがおかしい)
いつも凛として、堂々とした佇まいだったエリーが、ここ最近は何かに怯える様に身を縮ませ、誰かの陰に隠れていることが多い。
体調が優れないと休みを申し出られることも多くて、かなり心配な状況だ。医師の診療を受けるよう勧めているのだけど、いつも『診察は不要です』って返ってくるので、他にしてあげられることが見つからない。
悩みがあるなら話してみて欲しいと思うけど、主人と侍女の立場ではそれも中々難しいのだろう。わたしに主人としての力があれば、何とか出来たのかもしれないなぁなんて思うと、もどかしくて堪らなかった。
(前みたいにわたしから頼られて元気が出るってわけでも無いみたいだし)
知らない間に彼女の気に障ることをしてしまったのかもしれない――――そんな風に色々と勘繰って、モヤモヤしてしまう。
「申し訳ございません、姫様。他の侍女と相談して、最善を尽くしますわ」
ようやく口を開いたエリーが口にしたのは、彼女らしくない後ろ向きな言葉で。わたしは心の中で小さくため息を吐くのだった。
 




