侍女と妃
「よしっ……完成っと」
額に滲んだ汗を拭いつつ、わたしは満面の笑みを浮かべる。
目の前には刺繍を施した2枚のハンカチ。どちらも父と母に向けたものだ。お世辞にも出来が良いとは言えないけれど、心を込めて一針一針縫ったし、模様が目立たないような糸と布を選んだし、元々の素材が良いから、普段使いしても恥ずかしい目には遭わない筈――――そう信じたい。
(どうしよう……誰かとこの感動を共有したい)
うずうずしながら周囲を見回すと、侍女達が口々に褒めてくれた。我ながらちょろいなぁと思うけど、お世辞だろうが嬉しいものは嬉しい。ありがとうって応えつつ、予め用意しておいた手紙を取り出す。
「エリー、これを届けてほしいの。手配してくれる?」
「はい、姫様」
そう言って微笑むのは筆頭侍女のエリーだ。お淑やかだけどしっかり者で、すごく責任感が強い。多分だけど、わたしの侍女を務めるにあたって、影でめちゃくちゃ努力をしてくれているんだと思う。毎日のように新しいお化粧のやり方や髪型の結い方なんかを提案してくれるし、部屋でわたしがリラックスできるよう、アロマや本、お花を取り寄せてくれたりとか。インクや筆ペン、紙なんかも可愛いものを用意してくれたり、すごく細やかな気遣いの出来る女性だ。
彼女はいつも、わたしからの両親への手紙を届ける手配をしてくれている。今回も予め包装紙とリボンを用意してくれていたらしく、綺麗に梱包されたハンカチにわたしは瞳を輝かせた。
「お二人とも、きっと喜ばれるでしょうね」
「うん……そうだったら良いなぁ」
喜んでくれるという確信はあっても、実際に顔を見られるわけじゃない。絶対って言いきれないあたりがもどかしい。
因みに、両親への手紙の運搬は、わたしを城に連れてきた騎士で、アダルフォの上司に当たるランスロットが務めているんだそうだ。
(どうせなら二人の反応とか、返事とかも持ち帰ってくれたら良いのに)
そんなことを思うけど、わたしが直接やり取りするわけじゃないし、エリーから目上の人間に交渉させるのは酷だろう。
(早く、二人からのお返事が届きますように)
心の中で祈りつつ、わたしはエリーを見送った。
「少しは好きになれましたか、刺繍」
アダルフォがわたしに尋ねる。
「うん。最初程の苦手意識はなくなったし、好きになったと思う。今後は、商品として売られているものも参考に取り寄せてみたいし、自分でももっと色んな縫い方を試してみるつもり」
「それは良かった」
わたしが答えると、アダルフォは穏やかに微笑む。胸がほんわかと温かくなった。
以前に比べて、アダルフォは口数が増えたように思う。シルビアのおかげで彼について知っていることが増えたし、互いに慣れてきたのかもしれない。わたしにとって最も身近な人間の一人だし、こんな風に気軽に話してもらえるようになったことを嬉しく思う。
(もっと仲良くなれると良いなぁ)
そんなことを考えながら、わたしは穏やかに目を細めた。
***
エリーは淑やかに、けれど足早に城内を移動していた。
(少しでも早く、姫様のご両親に届けないと)
彼女よりも一つ年下のライラは、ある日突然自分の出自を知り、戸惑いながらも次期国王になるために努力を重ねている。
王族というと、どこか人形のような完璧な人間を想像しがちだが、平民育ちのライラはよく笑うし、よく凹む。それを好まぬ貴族も多かろうが、同年代のエリーとしては共感できるし、人間味があって良いと感じている。
そんなライラにとって、育ての親がどれ程大切な存在なのか、エリーはきちんと理解していた。
(きっと本当の娘として、大事に大事に育てられたのよね)
ライラは心根の素直な娘だ。エリーを初めとした侍女にも明るく優しく接してくれるし、意見に耳を傾けてくれる。家族から虐げられたり、心に孤独を抱えた人間はあんな風にはならないだろう。
それに、平民出身ということを感じられない程、ライラは初めからある程度の教養を身に着けていた。もちろん、王位継承者として、という意味であればまだまだだが、下地が既にあるというのは大きい。
けれど、平民の生活を経験した王が立つということが持つ意味は、ライラ自身が考えるよりもずっと重く、大きい。
国民達は既にライラの存在を知っている。王太女としての正式なお披露目はまだだが、新聞や雑誌等では連日、ライラについての報道がなされているし、国民の期待も日に日に高まっている。それらの事情をライラは知らない。情報統制が為されているからだ。
けれどライラならきっと、プレッシャーと向き合い、色んなことを吸収しながら、王族として国を引っ張って行ってくれるだろう――――ついついそんな風に期待をしてしまうのだ。
(それにしたって、ランスロット様は酷いわ)
エリーはランスロットに手紙を託す度『返事を受け取って来て欲しい』と伝えている。ライラから直接頼まれたわけではないし、越権行為だと分かってはいたが、家族のことを話すときのライラの切なげな表情を思えば、多少のお咎めは気にならない。
しかし、肝心のランスロットからは、分かった分かった、と毎度適当にあしらわれてしまう。そのことがエリーはとても腹立たしかった。
(本当は、アダルフォ様が使者を務めた方がずっと良いと思うのだけど)
ライラの育ての親のことは、ランスロットに一任されているからとの理由で、変更は認められなかった。これらの事情は、現状ライラには伏せられている。
(もしも許されるなら、わたくしが直接姫様のご実家を訪問したいのだけど――――)
けれどその時、エリーはハッとして足を止めた。彼女の進む先に佇む一人の女性の存在に気づいたからだ。
女性はまるで精巧な人形のように美しく、凛とした空気と煌びやかな衣装を身に纏っている。彼女の後ろには、数人の侍女が付き従い、全員が真っ直ぐにエリーのことを見つめていた。ビリビリと背筋が震えるような緊張感がエリーを襲い、彼女はゴクリと唾を呑む。
ライラの義母――――王太子妃ゼルリダだった。
エリーは急いで道の端に移動し、ゆっくりと恭しく首を垂れる。心臓がドッドッと変な音を立てて鳴り響き、全身から嫌な汗が滲んだ。
(早く……早く通り過ぎますように)
ゼルリダは気難しく、厳格なことで有名だ。大層な美人だがピクリとも笑わず、いつも冷たい瞳をしている。同じ空間に居るだけで相当なプレッシャーを伴うため、侍女達も数か月おきに全て入れ替わっているらしい。
「――――――あなた、ライラの侍女でしょう?」
けれど、エリーの願いは届かなかった。彼女の頭上で冷ややかな声音が響き、エリーは唇を震わせる。
「質問にはきちんと答えなさい。あなたは一体何を運んでいるの?」
エリーがおずおずと顔を上げると、ゼルリダは次いで質問を投げ掛ける。
「――――妃殿下のおっしゃる通り、わたくしは姫様の侍女にございます。そしてこちらは、姫様からお預かりしている、とある方への贈り物です」
侍女の対応は良くも悪くも、主人であるライラの評価につながる。ガクガクと震えそうになる身体を奮い立たせ、エリーは毅然とゼルリダに立ち向かった。
「そう。ならばそれ、そのまま私に渡しなさい」
「え……?」
想定外の返答に、エリーは思わず目を見開く。呆然とゼルリダを見上げながら、ライラから預かった手紙とハンカチの入った小包をギュッと胸に抱き締めた。
「――――あなた、私の言うことが聞けないの?」
「おっ……恐れながら、わたくしの主人はライラ様でございます。いくら妃殿下が相手とは言え、姫様から預かった荷物をお渡しすることは……」
「そんな事情、私には関係ないわ」
そう言ってゼルリダは、エリーの手から荷物をスッと抜き取る。一瞬だけ触れた彼女の手は、まるで氷のように冷たく、エリーはビクリと身体を震わせた。
「これは私が預かります」
「しかし、妃殿下!」
「あの子には『ランスロットに託した』と、そう伝えなさい」
取り付く島もない冷たい声音。ゼルリダは踵を返し、侍女達を伴って去っていく。
(どうしよう……姫様が心を込めて作った物なのに…………)
エリーは瞳に涙を滲ませ、愕然とその場に膝を付いた。
 




